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- 岡憲次郎先生『事理相忘』より、さらに発展して!!! - 西村雅興 [2008年11月18日(火)]



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岡憲次郎先生『事理相忘』より、さらに発展して!!!
西村雅興
2008年11月18日(火)
岡憲次郎先生『事理相忘』より、さらに発展して!!!

◎自分が頭で考えたことは相手の人にわかる。
 心の修行をしている人にはその心が映ります。
 映ったその瞬間に打たれます。
 自分はその時には頭の中は充満していますからものの判断というものが できなくなっていますから打たれます。
 月と池の関係です。

西村の書いた『月影』を理解されればその入り口に立ったということです。

◎私は右足を出しながら打つようにしています。
 私は形から気がついた。

西村は二足歩行の原理から気がついた

◎自分の膝が指の先にかかったらその重心を抜かないと打てない。
 だから自分の重心がどこまでかかったら足が抜けなくなるか。
 そこまで重心が出て行くまでには打てます。
 ですから、膝を自分の親指の付け根までゆっくり出していく時間に相手 の人は動いたところを察知し、打ってくる。
 そのところを動いた状態から動いた状態で打つ方が早い。
 そしたら打てる。

西村の表現では右膝でせめて起こす。
原田先生流では、体全体が流れる様に攻め入り、相手の色が見えた瞬間反射的に打ち取る。

◎頭をずーっと出していく。
 そうすると身は懸かりになったらだめだと言いましたけれども足との関 係がありますけれど、自分の重心を爪先にかからないようにして頭を出 します。
 あんまり早く出すとだめなんですけどゆっくり。
 相手は動いたのを察知して打ってきますからそこを打つ。

西村は首の後ろの緊張を緩め、頭を捧げる(ゆっくりと)の表現。

◎右足を出したら、右足に力を入れますと、さっき言った指の先に力が入 ります。
 右足を出しても右足に自分の重心を移動させません。
 しかし、相手は動いたと思って打ってくる。
 右足に重心が乗っていないから抜いて打つことが出来る。

西村流では『月影』です。

ここでは重心の使い方で、『体が懸かりで、剣が待』
相手を呼び込み自分の動きの中に取り込んで打つ。
右足の動きで相手をおこしたり、重心移動をスムーズにする教え。

◎「兵法伝書」の中に書いてある。
 「攻めというのは待つにあらず、進むにあらず、打つにあらず、打たざ  るあらず。
  心をもって攻めることなり。」

最近、西村の剣道はこの心境に近くなり、高名な範師八段と稽古をしても、全く攻められることが無い。
しばらくすると、先生の心が見えてくるようになった。
そうすると、先生が先をとって西村を起こしにかかる。
西村はこの起こし(虚)、引き出しにすっと乗ってあげる(虚)、先生はこの虚に実で反応するが、一瞬しまったと虚に転じ立て直しをはかる。
この虚に実をもって打つ。

要は打ち気を捨て、相手と相和し同調すれば、お互いが心のレベルで感じ合い、感応し合う。
硬直状態になれば、打つ前に死に、身を捧げて相手に問う!
相手の返事に体が勝手に対応する。
ここで『捧げる勇気』『捧身』これが自分可愛さに出来ない。
このレベルになれば『心法』のレベルになり、剣道では難しい。
その人の人生観がこのレベルに達する必要がある。
一度死に臨んで、自分の人生が何であったかを問うた経験があれば出来る!
一般的にはなかなかにここまで自分を追いつめ、検証するチャンスは無い!

この世界を超えると、これは岡先生が書かれたとこよりも一歩前に進んだ『相手を読み、裏を取る。読み勝ち』このときは竹刀の早さ、身の早さ、技術などは一切役に立たない世界に入っていく。
これを使うと範師恐るに足らず。
『相手の心が見えるか、陰を動かし裏をかく』
まるで剣豪小説の世界に入っていく。

これは摩訶不思議な人間の心の探究にほかならない。
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