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- なにかが - 岩崎敬郎 [2009年5月24日(日)]
目先を変えてみませんか! - 西村雅興 [2009年5月24日(日)]



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なにかが
岩崎敬郎
2009年5月24日(日)
昨日全剣連発行の「剣窓」が届いた。
五月の審査会の結果が発表になっていた。
最近は審査結果のほかに「あと一歩」の受信者の
番号も公表されるようになっている。
この「あと一歩」を励みにし、次の受審まで
また稽古に励む人。なぜだろうと悩む人と悲喜こもごもである。
岩崎は今回も又「もう一歩」組。
これで受審12回のうち、一次合格2回そのうち「もう一歩」が
2回、残り10回のうち8回が「もう一歩」。
技術的なものだろうか?
精神的(メンタル)のぶぶんであろうか。
稽古量が足りないのであろうか(それはあると思う)
稽古の質が悪いのであろうか(それは師匠がよいのだから無いと思う)
とにかく審査員が納得していないと言うことは
岩崎の剣道はいまだ八段の価値が無いのであろう。
持田先生は
「私は五十年間基本をやりました。」
とおっしゃったという。
今一度原点に立ち戻り剣道と自分を見つめなおし
基本に立ち返る稽古をするべきであろう。
返されても、抑えられても、抜かれても
先を取り、攻めて、崩し、打ち切る、そして死んでしまう。このことが重要であると思う。
(あっ、これができれば、返されることも、抑えられることも
抜かれることも無いか)
賢くないなーーーーー!
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目先を変えてみませんか!
西村雅興
2009年5月24日(日)
『返されても、抑えられても、抜かれても
先を取り、攻めて、崩し、打ち切る、そして死んでしまう。このことが重要であると思う。』

西村の参考意見として読んで下さい。
岩崎先生はここを重要と思われている様ですが、既に十二分に備わっていると思います。
死ぬ気で打つ、見事に死んでみせる・・・・先生は見事に具現化されていると、西村は思っています。

原田先生曰く
・死ぬところは三つある『打つ前に死ぬ、死ぬ気で打つ、見事に 死んでみせる。』と言われたそうです(岩崎先生書き込み)。
・『手は勝手に動くわなあ!しかし、足はそうは行かない』
(岩崎先生書き込み)。
・インタビューで、「今日の立ち会いは『いつ捨てるか。』が課題でした。
・京都で原田先生が西村にこういいながらある字を書いた布を下さいました。
 (場所はお多福の女将さんの自宅で食事を二人っきりでいただいていた時です。)
 「西村には分かるだろから、これを渡す!」
 『不動智』の文字でした。
  不動『心』はまだまだだ、不動『智』でなければなあ!
 そのとき少し解説を受けたと思います。
 「何事にも対応できる『智』でないとなあ!」
 それまでの西村の頭には、不動心しか意識がありませんでした。
 『智』の意味するものは何ぞや?その時から、その解明と智の 具現化が課題でした。
 最近、心底これが理解を出来、具現化できる様になりました。
 しかし、西村の阿修羅の様な命がけの人生では、この『智』を 生かした人生そのものでした。
 いつも剣道の方が後から付いて来て、人生を検証してくれてい ます。
 
最近の西村の剣道観
・攻めて、緩めて誘って(身を捧げる『捧身』)相手に随って勝。
・相手の誘いに乗ってあげて、身を捧げる『捧身』にて体に任せる。
・活人剣、無刀の位です。
三橋先生曰く
剣道は『読みと反射だ!』
【読み】
西野悟郎先生、静岡の井上先生両先生共に・・・
先生が面を見せて西村を誘う。
西村はそのお誘いに進んで体を出して面を打たんとする。
しかし、左手はしっかり懸中待、先生は面を来るものと信じて小手を打ってくる。
大先生といえども、小手に来ると分かっていればそれを捌くのは訳が無い。
軽く摺上げて面をいただくこと三本。
信じられないと思われるでしょうが・・・これが『読み』です。
相手の誘いに乗る勇気・『捧身』が必要です。

野正先生
先生の剣先を裏から体を入れんと身を捨てて押す。
先生はこれを強く押さえ込みに懸かる。
『浮木』の原理で、ヒョイッと剣先を返してゆっくり、しっかりと出かけていた体をさらにお大きく入れて大きな面を打つと見事に入る。
打たれた先生は大喜びで褒めてくれた。
これは賀来先生と野正先生との立ち会いで、賀来先生が出された技.
賀来先生
「攻めたら、あいつさがりよった、逃げた相手は打てんわなあ!
そこで、あいつの性格を知っている。
裏から押し上げて攻めようとした、案の定強く押し返して来た。
気が強いからなあ!そこでヒョイッと剣先をかわして面だよ!」
西村「今度東京で野正先生に試してみます。」と賀来先生に言った。
虎の巻持参で野正先生と対峙した。
これが『読み』です、相手を計(はか)るです。
しかし、『読み』が本当か、どうかは分からない。
それで、身を捨てて刃の下に入って行く勇気がいる。
打つ前に死ぬ・・・である。

【反射】
一足一刀の間合いから、さらに進み、抜き差しならないところまで間合いが入ってしまったとき。
身を任せて相手に問う。
後は体の中の神仏に任せる。
相手の刃に身を任せる『捧身』勇気、自分を信じきる勇気が必要だ。
後は相手に随って動くのみ。
咄嗟の動きは石火の打となる。
意が働かない打は一瞬の打になる。

読みも・反射もいつ捨てるかと、十分相手を計ってのことである。
【インタビューで、「今日の立ち会いは『いつ捨てるか。』が課題でした。】原田先生言。

京都大会で数打ち出あったが、賀来先生と佐藤博信先生の立ち会いに見られた。
なるほど!打つ前に死ぬ!これを具現化できる、西村の大好きな両範師でした。

長々と書きましたが・・・・
岩崎先生の目指すところは『打つ前に死ぬ!』の具現化、体現化ではないでしょうか。

一回目の一次合格の時は迷い・悩みが無かった。
あの昼寝が無かったならば二次も受かっていたでしょう!
「お前は一回目で受かるか、少し長くかかるかのどちらかだ。」
と原田先生がかって言われましたがその通りだと思います。
なまじ強くなり相手が見えてくると、「打つ前に死ぬ」が次第に難しくなってくる。
真の八段になる為の『心法』の修行をさせられている様な気がします。

【『返されても、抑えられても、抜かれても
先を取り、攻めて、崩し、打ち切る、そして死んでしまう。このことが重要であると思う。』】
もうこのような肩の張った思いは捨てましょう。
ここは既に出来上がっているのですから。
先生の課題はその前の『打つ前に死ぬ!』ではないでしょうか。

西村は八段を欲しいとも欲しくないとも思わない。
受けようとも受けたくないとも思わない。
その気になった受けてみるか・・・。
剣道にそれほどの執着は無くなってしまった。
心が剣道の段の欲、技の研究の欲から遠ざかれば遠ざかるほど、
見えてくるものがある。
剣道によって真に求めていたものが、実は人生で手に入れていたからだ。
外へ求めていた青い鳥は既に自分の心の中と人生にはばたいていた。

岩崎先生の仕事の発展と義員活動の更なる充実を計る為に、剣道で八段への『心法』の修行させられている様な気がします。
しかし、剣道でなくても仕事三昧、議員三昧の境地を貫けば、もっと家族、世の中に貢献できると思います。

岩崎先生が八段を全く意識しなくなったとき、そのときは既に八段ではないでしょうか。
段への執着を捨てる!しかし、これが難しい。 

前回の立ち会いを見たとき、既に八段と思いました。
ただ何か、打たれに出る勇気は感じられませんでした。

失礼なことを書きましたが、同門のよしみでお許しください。
いかように言われようと、西村の思いをぶつける
・・・これが「打つ前に死ぬ覚悟が出来ている」からこそ書けたのです。

ラブにはソフトラブとハードラブがあります。
ソフトラブは耳と心には心地よいものです。
しかし、それはお世辞にしか過ぎなく、何の約にも立たない。
ハードラブは時に相手から手ひどいしっぺ返しを受けるかもしれない。
しかし、本当に愛しているならば、それを恐れずに心からなる思いを伝える。
今回は、西村から岩崎先生へハードラブをお送リ致します。
先生の『心の大化け』を期待しております。
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