鐘木足? 剣道には鐘木足は良くないから、足は前向きに平行にしろと注意される。 剣道雑誌、ビデオ等で多くの選手、大先生方の足を見て来たが、そのほとんどは外開きの足で、どこからが鐘木足なのか分からない。 唯一見事に足が平行で運用されていたビデオを見た。 持田先生は昭和の武蔵と称された中野八十二先生に稽古をつけるビデオだった。 何と見事に足は平行に運用されていた。 今まで感心した例はこの持田先生以外にだだの一つも見ていない。 足を平行にしろと言う理由はよくわかる。 しかし、いくら足をひっぱたかれても、注意され手も、自覚し注意しても出来ないのが現実だ。 そういう西村も「君!足を平行に!」とよく注意をされたし、未だに平行とは言い難いのが現実だ。 これを足をより平行にするのはどうすれば良いのかを検証したい。
剣道が竹刀当て競技になりながら、剣道は刀の様に竹刀を操作しろと言われても難しいのと同じだ。 違う得物を持ち、違うルールで事に臨めば、同じ様に出来ないのだ。 竹刀は軽く長い、面打打は頭頂部の布団を狙うからだ。
(剣道日本) 先の八段選抜大会で優勝した濱崎先生の準決勝の面も次のページの模範的な面打も手元の浮いた面でしかない。 これが竹刀を持った早く、速く打つ面の限界なのだろうか。 しかも、竹刀が面を捉えた瞬間は右足は大きく浮き上がっている。 そう言う西村も試合とか、相手よりより早く面を打とうとすると同じパターンの面うちになってしまう。
(剣道時代) 87ページの東先生の打ち込み稽古の写真は左手の位置といい、左脇の締といい、右手の伸びた位置といい見事なものだ。 早速切り抜いてトイレのドアの内側に貼っておいた。 無念無想の境地の時に潜在市域に刷り込む最高の方法なのだ! しかし、先生は上段の名選手だったからこそ、頭に描く基本面打に忠実な面を打てるのかもしれない。 実際の試合では面金の判定で嫌な思いをした経験があると、面布団を狙う 左手の浮いた濱崎先生の様な面打ちになると思う。
同じく25ペーじに西村の尊敬する岩立三郎範師の面を打つ写真がある。 西村の知る限りいつも左手を斬り手を崩さない唯一の先生の様な気がする。 その大きな秘訣に柄が短く刀感覚の持ち手、手の内である事である。 竹刀当て競技を優先すると、どうしても長い柄が有利であるからだ。
椎名先生の柄も極端に短い、彼の竹刀捌き、左右胴打ちの見事さは柄の短さに秘密がある。
竹刀を当てるものではなく、斬る道具を使っている意識で剣道をすると、当然柄が短くなるのだ。
今回珍しいっ写真が載った。 普通はこの手の写真は載らないのだが・・・。 剣道日本23ページの写真だ。 最短距離で打つの写真だ! さらに93ページの江口先生の写真だ。 打ち込み稽古はどうあれ、実践的にはこの程度の手元の上がりが一瞬の切れ味良い打には最適なのだ。 コツは腰と胸で左拳を一瞬前に出す事によって、結果的に竹刀が上がり右手の引き上げが無く鋭い面に繋がる。
剣道には本音と立て前と実際に大きな差がある。 試合剣道、稽古剣道、昇段剣道・・・・etc。 中級者まではこの狭間で大きく悩む事になる。 目指すものをいつもしっかり見据えておかまいと、旗揚げゲームに適応した打になり、稽古をすればするほど癖が強くなり下手になって行く。
いつもながら長い前置きは『意識』が問題であって、形は結果としてついて来る話の説明である。
ここからが本題になる。
構えの足は 剣道時代92ページの中倉清先生の構えに素晴らしいものが観得る。 全てが素晴らしいが、今回見てもらいたいのは、今にも右足が滑り出し前に出て来そうな雰囲気である。
各論・・・ここから先は自分の体で十分検証の事 ◎休めの号令をかけると、 右足に体重を乗せ左足を前に出し、 手は後ろにまわし、左手が右手を握る。 (もしが手が逆に握ると左利きかその要素が強い人である) 右利き右足重心型の典型である。 多くの人は右利きであり、姿勢は左回旋型を取る。 (その多くは右噛みの傾向が強く、右の大臼歯を早期に無くする場合が多 い) 左右バランスが取れていると、約60度の角度で開くものだ。 股関節は右が内転、左が外転になり、上を向いて寝たとき足の開きは右 が立ち、左が外に開く。 相対的な話の範疇でしかないが・・・・! 左利きの場合はその逆傾向になる。
左回旋型の姿勢を持っている人と右回旋型の姿勢を持っている人が右手 前に竹刀を構える立ち姿は、どちらの人の方が左足が真っすぐ前に向く 傾向が強いだろうか。 元々左股関節の内転の方が前を向きやすいのは当然である。
西村に例をとると 右利き、右噛み、早期に右大臼歯の欠損、右の顎関節症、右の若年生腰 痛症、右肩の痛み、首顔が右に傾いでいる。 普通に立てばそれだけで、左足が開いているのだ。 剣道のとき、打ち気と攻めが右肩に入り、右足に重心を乗せれば、 当然骨盤は左に開き、鐘木足になるのは当然の理である。 よく左足が開いていると注意を受けたものである。
もし、左利きで逆回旋の人の場合はどうだろか?推して知るべしだ。
◎体は意識の目的に沿った動きをする。 攻め気が強く右肩、右手に力が入り右足は打つべき方向へ真っすぐ向く、 竹刀の柄の長さが長いと、体を左に開き骨盤は左を向き結果として、 左股関節はさらに外転をし、鐘木足になる。 右手が早く動き相手が出て来たとき、素早く対応が出来る。 相手の出ばなの小手を拾う様に狙うにはうってつけだ。
昔の様に重い甲冑をつけていたならば、腰を低く構えるから、足は開き 足になるのは当然だ。
◎この一週間スポーツセンターのお風呂場、脱衣所で裸の人を十分間観察 をした。 中年から初老にかけてお腹が前に出て、骨盤の前傾の強い人はがに股で 歩き、足は大きく外に開いている。 この人の構えはがに股で、右足が真っすぐ前に向けば、鐘木足になるに 違いないと思った。 対照的に若くてスラット上に伸び骨盤が立っている人は足が平行に動い ていた。
◎西村はかって右足の水虫のカユミに悩まされた事があった。 今は五またの靴下にしてその悩みは消えた。 あるとき、エレベーターを待っているときの事だった。 左足の水虫がかゆく右にはその不愉快が無かった。 その時の休めの姿勢の立ち姿に愕然としたのだ。 左足重心の休めをしていたのだ。 最近、強く左噛みに噛み合わせと顎の位置を変えたのだ。 30年以上噛み合わせと姿勢と病気を追っかけているが、この様な形で発 見をして行くのだ。 学会で発表し、頭では十分認識していても、体感して初めて実感が湧く のだ。 その後、この左重心を強めすぎて、一年間杖をつかなければ歩けないほ どの、重傷の座骨神経痛、腰痛を体験するのだ。 何でもやりすぎて懲りて戻すおきちゃんです。 ◎踵をつけて立つと、足は約45度に開く。 足幅をやや肩幅に開くと、足はほぼ平行になる。 足の内筋にやや緊張間を持たせ、膝頭に前方移動の意識を持たせると足 は平行になる。
◎ではどうすれば鐘木足は直るか。
いくら足に注意を払っても出来ないということだ。 鐘木足は結果でしかないからだ。 1-すらりと立ち、すらりと歩く。 2-右足が左の足を超えんとする時、前に倒れない程度に前足をつける。 3-左足は体を十分支えて前方移動のベクトルを持っている。 必然的、合目的に足は真っすぐ前を向いている。 4-この姿勢が構えの基本であるが、そこからやや進み左ヒダにややたわ みが起きた状態。 ヒカガミが伸びながら膝に軽いゆるみがあり、足が軽く前に蹴ろう とする状態。 これが構えの原点である。 歩みの原点である。 歩みは前方への転倒とバランスを回復する繰り返しで、最小エネルギー でそれを行う作用である。 5-しかし、剣道では歩くのではく重心の上下を消し、居合い腰の様に前 に動くとなると、左足が歩む時の様に棒の状態では良くない、少しの たわみが必要だ。 ここで下腹にグーと気を入れすぎると骨盤が前傾してしまう。 頑張るタイプの典型だ。 倒れかけたとき、ポンと蹴らないでスーッと前進するには、さらにや や重心を下げて体が既に少し落とした状態から始めると良い。 それで、軽く体とヒカガミを伸ばした状態から、軽く重心を落とすの だ。 体重は左足に60%くらいかけ、左足が相手に前進するエンルギーの原 点である事を意識する。 相手との合気が強まった頃は左足に70%〜90%に持って行く。 初動は足は蹴り足ではなく押し出し足と思い、尻から後筋の緊張で前 進する。 右足、右手はそのエネルギーの方向を先導する役目と心得る。 右足は右膝を抜き、軽く滑り出し、『打つなら打って下さい!』と、 斬り間に滑り込ませ、相手の反応に対し自分の神を信じのみだ。 左肘は胴に軽く沿い、いつ左拳が瞬発的に動くかエネルギーを溜めて おく。 後は『打つと思うな斬ると思え!』に任せるだけだ。
◎これが出来れば、鐘木足はかなり解決できる。 要は体を前に出して、結果的に無意識に竹刀が動く、ここに意識があれ ば良い事になる。 だから足が出来れば剣道は完成なのだ。 意識の欠点が足に出ていてから、足だけ直そうとしても不可能なのだ。 それなのに、足だけ注意をしても、注意をしている先生も出来ていない のが現実だ。
◎意識が変われば勝手に剣道は変わってしまうのだ!
◎西村の指導は『どこに意識を持たせるか?』ここを工夫している。 結果は非常に良いのだ。 意識を変えれば勝手に昇段してしまう! これはゴルフのレッスンプロならば常識なのだ。 教え方の上手下手が収入に直結するからだ。 剣道ではほとんどプロがいないのが現実なのだ。 強いという事と指導能力が高いという事は比例しないのだ。
◎松風館・岩立先生は稽古をした一人一人に、懇切丁寧にお話をされてい た。 西村は思った。 この先生は剣道場の経営をしっかりとされている人なのだと。 そして、頂いた対価に対して十分に報いる指導をされている。 多くの先生の様な大まかな指導ではなかった。
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