全剣連合同稽古会7/27
忙しい午後の診療、その後人との打ち合わせがあった。 時間が少し遅れ気味であった。 最近妻の車の乗り心地が凄く良いので、こちらで向かう事にした。 車に乗る前凄く雨が振り出し、後部座席に防具を積んで出発をした。 日本橋に近づいたとき、いつもの車に竹刀を置いてあった事に気がついた。 さーって、今日は先生の顔を見るだけにするか、剣道具屋さんに寄ってでも間に合わないし。 そうだ!今日は杉山さんが来ると言っていたから、恥を忍んで貸し手貰おうと思った。 武道館で杉山さんを探すがいっこうに見当たらない。 竹刀を貸してくれとはおいそれとはお願いできない・・・と諦めかけていた。 そのとき、中山武道具の方が稽古に来られていた。 前からの知り合いだ。 「恥ずかしいながら竹刀を忘れて来た、誰にでも借りれる訳ではないので諦めかけていたんだが、貴男が剣道具屋さんだからあえてお願いする、貸してくれないだろうか。」 彼はニコニコしながら竹刀袋を見せて選ばせてくれた。 柄のもの凄く太い竹刀を借りた。 手元を柄に寄せ短く握って使おうと思った。
さて、原田先生にお願いする。 竹刀の事もあるので、握りの幅は狭くし、柄頭をかなり甘して持った。 感触は真剣を持っている手の内に近かった。 体は真っすぐに先生に正対し手の内もしっくりと落ち着いていた。 使い勝手のある竹刀ではないので、心境は無刀流の心境だ。 しっかりと腰は落ち着き対峙すると、先生の心が観得るのだ。 隣から野正範師がしっかりと見ていた(前回もそうだった)。 先生が足から先を懸けてくるが、西村の心が静かで動かない。 十分に合気になった時、先生が先を懸ける前に、西村が打たれに出た。 打たれに出ようと思った瞬間、先生の感性は胴に回ろうと反応された。 思いが形になる前にキャッチされた感がある。 ここで面を打てば先生得意の抜き胴なのだ。 しかし、打に出ようとした訳ではない、打たれに出て後は不同智に任す予定だ。 このとき不思議な体験をした。 自分を捨てて打たれに出る決断をした自分だ(こ瞬間は先生に読まれている)。 しかし、これに反応した先生に対して、冷静沈着なるもう一人西村の指令が出た。 これは頭ではなく、脳化された体の反射指令なのだ。 これが頭、右斜上1メートルぐらいの所に目があって、先生と西村の関係を見つめるもう一人の司令官なのだ。 先生の反応を見事に指令を受け、小手面とどちらもしっかりと決まった。 先生との長い長い稽古の中で初めての声を聞いた。 『参った!』 通りすぎた後、野正範師がうんうん!と頷いていた。 西村の中では『やっと恩返しが出来た!』との思いで感無量であった。 この様子を青木君といつも見学している剣道家がいる。 彼は西村にグーサインを出した。 彼は道場におりて来て言った。 「原田先生と西村先生との稽古は七年間、見続けて来ました。 今日の稽古が最高でした!」と興奮して言ってくれた。 この観戦状況を書く様に言ったが・・・イア−それはとても出来ません。
この境地は倉沢九段との稽古の時と全く同じ境地であった。 人生も今まさにこの様な境地で生きつつあるのだ。
林八段がこの稽古を見ていて「原田先生との稽古を見たよ!」と、褒めてくれた様な笑顔で言ってくれた。
車中、野正範師が褒めていたと原田先生が言っていた。 さらに、良いところに乗って打ったと褒めて下さった。
竹刀をお返しするとき、彼にはこの竹刀のおかげで師匠と最高の稽古が出来た事を丁寧にお礼を言った。
久ぶりに仮屋先生に会ったので後で稽古をしようと言っていた。 素直なしっかりとした剣風に厚みのある剣道に変身していた。 彼の面を胸突きでしっかりと制しても、それをものともしない打ち込みであった。 彼の成長ぶりが嬉しかった。 教えたいことが有ったので、彼の面を相打ちで見事に取ってみせた。 それからその原理を教え、その稽古に入った。 あっという間に原理が解ったよで、相手の心を動かしてから打つ素晴らしい面に変わった。 本人もコツを掴んだ実感が有った様だ。
その後、それを見ていたらしい濱田さんが来た。 自分から打って出てしまう剣道なのだ。 そこで、仮屋先生と同じ原理を教えた。 彼女は頭で理解しょうと思ったので、少しお話をした。 打ってみませんかと、自分を捨て、スーッと右足から入って行く、ここまでは出来ている。 ここで、それ打とうと思うから間が空いてしまう。 足を出している途中、相手の心が動いた瞬間『只斬る!』と思えと言った。 すると、彼女は西村のこの期待にに見事に応えてくれた。 感性の高い人だ、上の段に進む日も近い。
稽古をいくらしても、癖がついて下手になる。 進むべき道の方向の指導を受け、コツを伝授されれば10倍速く進歩する。 しかし、難しいのは教わる人の『心のありよう』なのだ。
今日は不思議な境地を自分の意識・マインド・さらに深いレベルで発揮できた稽古であった。 人生、過去最高の稽古内容だったと思う。
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