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- 並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。 - 西村雅興 [2010年5月16日(日)]
一晩寝て,夢の中の考察 - 西村雅興 [2010年5月16日(日)]
Re:考察 追加 - 西村雅興 [2010年6月20日(日)]
Re:並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。 - 並木 [2010年5月16日(日)]
送り先の住所を知らせる。 - 西村雅興 [2010年5月16日(日)]
Re[2]:並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。 - 並木 [2010年5月17日(月)]



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並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。
西村雅興
2010年5月16日(日)
並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。

久々にビデオを見ると自分の癖が目につく。
もっとスマートに剣道をしているつもりだったが、赤面の至りであった。
並木先生に良い反省の機会を頂いた事を感謝致します。
お礼の意味を込めてお役に立つアドバイスを致します。
西村の指導を受けた先生方は素直な人柄の良い,素質十分な先生方です。
ただ,西村が癖を修正し、コツを教えるとこんなに素晴らしい変化が起きる事を実感致しました。
名前の出た先生方は並木さんに無理を言ってでも,何らかのお礼をして、ビデオを手に入れて下さい。
『西村から・・・・奥さんはかなりな量を撮影されていました、出きれば編無しの長編でDVDが見たいと思っています。
お礼は,お役に立ちそうな部分の解釈を送らせて頂きます。
よろしくお願い致します、』


並木先生
1-蹲踞へ入る時の気位を持つこと。
2-左拳の位置が高い。
 左は手がタラリと落ちた位置で臍のやや下、一拳前。
 ビデオ最後の小柄な女性の構えの変化と体と手の動きの変化を参照
3-打とうとした瞬間から手が前にズリ出てしまっている。
4--そこから両手が上に浮きながら面を打っている。
5-足が出ると同時に手も出ている。
 會澤さんの足と手の動きの出方を参照
6-行こうという時手と胸が浮き上がる。
 このとき,右足を滑らせ「打ちませんか?」と聞きながら体を出す。
7-丁度良いとき竹刀の中結いより深くなっている。
 剣道は相手が打たれに面を差し出す様に引き出して打つ。
 そのと相手の居た位置まで打とうとするから大振りになる。
 打たれに来た頭をスポンと切る様に額から喉元へかけて斬り込む。
8-当たる瞬間、頭を上にぐっと上げ、息を吐ききり脇を締める。
 (肋骨つぶし、肩が前下内方へ向かう力を収束させ、拳に伝える)
9-最後の方で、右端に福岡の女性が手元を上げないで,足を出している映 像が少し映ります,その要領です。
 あの動きを見ただけで女性としては相当の腕前がある事が判ります。
10-最後の面は立派でした。
  右足の上がりが少し高い、体は床に平行に動けば左足の負担が少なく  前に出る瞬発力も増します。

丹羽先生
1-手と足が同時に動いている。 
 足が出て体の前進する質量のエネルギーを腕を通して竹刀に伝える。
2-丹羽先生の一瞬の攻めに西村が中心から左に体を逃がした。
 あれが攻めで,西村を動かした。
 剣道は体の動きは僅かでも『気当たり』によって相手の心を崩す。
 貴男にその意識があったかどうかわ判りませんが、西村はあの気当たり に、一瞬たじろいだのは本当です。
 打つぞ!の一瞬の強い意識がほんの僅か腰を前に出し、その体から発し た気はまさにピカ位置でした。
 今回の稽古のハイライトでした。
3-丹羽先生の右足が高く上がり過ぎる。

松尾先生
1-構え良し、左拳の納まり良し(あと数センチ下が尚良い)
2-一瞬の面うちのとき腰を後ろに引く反作用を遣って面を打っている。
 この体の運用は出小手くらいにしておきたい。
 そのために竹刀は速く動くが,腰が残っている。
3-顔がやや下向きになっている、おそらく面の窓(面金の一部がやや広く なっている部分)から相手を見ないで、その上の隙間から見ている様な 気がする、防具屋さんで正面を向いて鏡の前に立ち、窓からしっかり眼 が見えているかを確認、調整して下さい。
 最高の姿勢をしているのに顔がやや下向いているのは惜しい!
4-真っ正面に体を進めて面を打っていない。
 やや右斜めに進んでいる。
 竹刀は手の内良く見事に面を捉えているが、体は逃げながら打っている のが惜しい。
5-指導を受けた後、素晴らしい面を打ったが深すぎる。
 出足が良くなると距離が出るから、遠くにまで打とうとしないで、額越 しに喉に斬り込む 斬り込む意識を持ってみましょう。
6-右足の入りが良くなった、足も上がらず良し。
 惜しいのは次の瞬間右足が床を触れるのが惜しい。
 右足から攻め入り、相手が動いた瞬間、そこから左足で押して面に伸び る。ここで床に足が着くと二拍子になってしまいます。
 原田先生の面打ちのビデオを参考にして下さい。
(岩崎先生編集の物があると思います。)

會澤先生
1-右足の出が素晴らしい!少し高く上がるのが惜しい!
2-最初のうちは身体能力の高さに甘んじて,思いっきり打っているだけ。
 それなら,西村に簡単に捌かれる。
3-やや右斜めに打っていたが、注意後直った。
4-右足を上げずに20センチより前に出す様に指示した。
 すると、別人の様な面打ちに変わった。
5-無意識に右に半歩動く癖がある。
6-構えも良し,左手の納まりも良し。
7-最後の方になると凄く良くなった!

並木先生
1-手元が浮きあがってしまっている。
2-西村が注意をしているのを見て、福岡の後藤さんが手元を上げないで, 足を進めて面を打つ動作をしている。
 その動きが実に良い!・・・勘の良い人だ!
3-西村の足を出せの声に同調して、足を前に出す動きをしている。 
 ・・・これが実に良い!
5-並木先生、彼女の動きを参考にして下さい。

埼玉のN先生の奥様 教師七段
ご主人は秋には八段一次に受かった腕前。
夫婦で剣道羨ましい限りだ!
西村の斬り落しが良くわからないとの事で稽古をした。
時間が足りずに切り落としについては十分説明できなかった。
しかし、構え,手の位置、体の運用、腰の力を竹刀に伝えて斬る!等を指導したら、別人の風格と面打ちに変わった。
ゼリーを上からスポンと切り落とす様にと意識を変える様に指示した。
とたんに,竹刀は面に斬り込んだ打ちになった。
身体も竹刀もイメージ,潜在意識の思う様に動く典型例だ。
こんなに短時間に,一瞬に変わる人に出会った事が無い。
素直な気持ちの女性はスーッと身体に受け入れるのだ。
構えを変えたら、左の納まり,腕をタラリと落とした構えに変えたら、女性特有の浮いた腰が消えた。
竹刀をヨイショと両腕で引き揚げる竹刀操作から、腰の動きを竹刀に伝える本格的な面への変貌を遂げた。
女性の変貌は恐ろしい!
この稽古で西村の足が上に上がるのは,切り落としに体の重みを遣うからだ。他の稽古でも足が上がる時は前に出るより、竹刀を上から落し気持ちがあるときだ。
西村が彼女の左手の納まりを注意して、「ここ!」と言ったとき、彼女は別人の剣士になった。
並木さん目を大きく開いてみて下さい。
その後の彼女の姿勢と構えの良さ、腰に竹刀を乗せて斬り込んで来る姿は別人でしょう。
この構えに納まると,左拳は足を出さないと動かないのです。
必然的に腰の入った手元が浮かない面に変貌するのです。
イメージ的には竹刀を握るのではなくて,臍前で持っている感覚です。
竹刀は手を意識しなくても、腰が勝手に竹刀を動かして打ってくれる。
「剣道はやればやるほど癖がついて来る!」と西村はそこで言っていた。
 最後に素晴らしい面を打った。
腰の入った見事な面をご主人が嬉しそうに見ていた!
 
レスをつける


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一晩寝て,夢の中の考察
西村雅興
2010年5月16日(日)
一晩寝て、夢の中でさらに考察していた。
先ず
一点
それぞれの先生方は素晴らしい剣道でしたが、剣道は一瞬で勝負が決まる。剣道では体の動きの無駄・ロスを削ぎ落として行けば尚良くなる為の注意点をあえて書いたと理解をして頂きたい。
同格との稽古、懸かって行く稽古でよりも、十分勝てる相手との稽古で修正をしていって下さい。
心に余裕が無い時は難しいです。

二点
偉そうに判った様な事を書いている西村、その実どうなのか?
西村が先を取って面を出した場合はまずまず合格点。
しかし、先生方の打ってくるのを見て打つと、西村が先生方に注意をしたと同じ事をしている。
本当に驚くほど崩れているのが判り、言う事とやっている事が違う自分に赤面する。

三点
ここが大切な所だ。
同じ西村、同一人物が何故違う事をしてしまうのか?
自ら死に、自分を捨ててスーッと足から攻め入る時は、無意識が十分に覚悟をし、心身とも体制十分である。
後は相手の反応に自分を信じて、適切なら反射をする智の働きを待つばかりだ。
皆様が西村に見事に取られている打ちが出る。
しかし、西村が先生方の動きを見て打っているとき、見たくない自分を見てしまう。
自分が注意をして指導をしていると同じ動きになってしまっている。
相手を見て打つと,目が見て脳が判断をし、筋肉に指令を出し身体が動く。
0,2秒の遅れをとる動きになる。
これをカバーしようとして、手先の動きで竹刀を動かしてしまう。
この動きは西村に引き出されて打っている先生方の動きと全く同じなのだ。
竹刀は軽いが故に,手先の打ちで何とか凌ごうとしている,これも智が働いた作用なのだ。
このとき智は知っている「当てる,触るだけなら,軽い竹を動かすには手先の作用で十分だ!」と。
『腰を入れて足を出して体を入れて打っていては間に合わない事を!』
それなりに適切な対処をしている。
しかし、慌てて対処した動きは剣道的には感心しない打ちになってしまっている。
中学生レベルの竹刀当て競技と大差がない。
彼らはこのレベルで反射を遣って勝負をしている。
なんの事は無い!西村の剣道もこのレベルなのだ。
・・・相手を見て慌てて反応すればの話だ。

四点
では何が剣道の打ちの違いを引き起こすのか?
それは簡単なのだ!
相手と十分に合気になった瞬間(それまでの攻め合から自分の智に対して十分な情報を送っておく事)、自分を捨てて『打つ前に死ぬ』を実行するのみだ。
足を滑らせて間合いを切って体を入れる。
これが『打つ前に死ぬ,死ぬ気で打つ』なのだ。
これが出来た時は本来の『智』が働き、相手の動きに適切なる反射で対応してる。
ここで、「打つぞ・・」といって,この動作をすると、相手が硬直する場合、いわゆる相手に居着きを誘い(相手の心の目を閉ざした状態)で打つ。
この事は腕の違いがあれば皆様にも出来る事です。
要は,心に余裕を持てる相手にはしている事です。
元立ち必ず体を押し込んで来る・・。
これが心の余裕のなす技です。
しかし、相手が同格か上の場合は同じ事をしても、相手は居着かず,そう来るかと冷ややかな眼で眺めている。
このとき攻め入ったつもりが,攻守逆転してしまい、相手が自分の動きに反射的に『智』を働かせて打ち取られる。
これは,いわゆる相手の『不動心』に吸い込まれる形になってしまう。
格下には『攻め』は何となく判るが,先生・同格に対しては一体どうすれば良いのでしょう?の質問になって来る。
基本的にはしょうがないですね。
相手の方が腕前が上なのですから。
武道は腕が違えば子供と大人の様な差が出てしまうのはこの為です。
先生方が西村と稽古をすると『お手玉状態・ゲーム性が無い』この状態になるのはこの為です。
不動心の部分の優劣が違いを作っているのです。

五点
これを解決する方法は?
西村が日本を代表する大先生に何とかなるのは何故か?

ここで一つ話を!
東京武道館での審査を見ての帰り道、信号で数人の人が前で信号待ちをしていた。
そのとき指導的立場の先生が皆様に言っていた。
「お前ら、欲が深いよ。打たれたくないといいながら相手を打とうとしている。相手も同じ事を考えている。どちらも打てるわけが無いよ!
お前ら魚を捕るとき針の先に餌を付けるだろう,撒き餌もするだろう。
剣道の時だけ欲深い考えで相手を打つなんてそりゃ無理だ。
相手に『ヒョイット餌を投げ掛けると、え!といって食いつきに来る。ここを仕留めれば良いだけなんだよ。」

六点
剣道も六段七段八段になると不動心も相当な修行を積んでいる。
この人の心を動かすのは大変な作業だ。
動かしたつもりで全部読まれているのが落ちだ。
動かしに懸かりながら自分から穴に落ちて自滅する事が多い。

七点
人間には特有の弱みがある!
昔から『押しても駄目なら,引いてみな!』がある。
合気になってどうしょうもない膠着状態になって、相手が少しでも色を見せればその瞬間相手を打ち取るとお互いが思っている状態。
心の硬い壁が押し合いをしている状態だ。
この壁が一瞬,のれんに変じると『おっととっと』という感じで前のめりになってしまう。
「打つぞ!」と行けば相手の壁をより硬くしてしまい,破れないか逆手に取られる。
このとき、『打ってみませんか?』かと軽く心で呟いて相手に体を捧げる。
これを柳生流では『捧身』(ぼうしん・身を捧げる)の術と言います。
究極の極意です!
相手に餌を与えると,思わず飛びついてしまう,それも潜在意識がシメタと思って飛びつく。
このシメタの潜在意識の変化が打つ前の予備動作として、竹刀が動く前に身体の変化に顕れる。
そこをすかさず,自分の智が反射的に打つ。
この身を手放す瞬間を『先』という。
『打つ前に死ぬ!』の瞬間だ。
原田先生が言っている。
『先を取っているか?先を取って適切に反射をしているか?』これが剣道です。
『剣道は読みと反射です』と言っておられる。
どうやら、原田先生の師匠、東京体育専門学校の教授、三橋秀三範師の教えのようです。
今,アマゾンで先生の『剣道』中古品、11,000で最後の一点を注文致しました。(元は3,800円の本です)
ここを開いて読んでみましょう。
日本剣道形の真髄が載っています。
従来の西村の解釈が正しいと確信致しました。
さらに。原田先生の原点でもあります。
http://kendo-amispo.iicocoro.com/articles/mizutakendo/mitsuhashihanshi/1656.html
ともかく内容が素晴らしい。

原田先生から教わった原点に触れた!
西村が今まで書いて来た内容が,何と先生への道だったのだ。

さて、頭が理解しても出来ないのが人間です。
最近,この辺りを指導して壁にぶつかります。
西村が容易に出来る事が何故皆様に出来ないのか?
その結論はその人の生きて来た人生がどのレベルであったか?を問われているのです。
死を覚悟した瞬間、そこからの脱出・・・。
これを経験された方には容易でも・・・。
そうでない人には難しい・・・・。
教えられない世界です。

三橋先生は稽古で読みと反射を獲得するしか無いと書いてられます。
しかし、これが上手く行には『無心』と書かれています。
如何にして自分の『智』を引き出すか。
自分の『智』に命を任せられるか。
最近剣道で西村が悟った『如何に自分を信じきっているか。』につきます。
でも、人生と仕事ではとっくにこの境地に達していた。
人生も仕事も真剣勝負をして来たからです。
剣道はバーチャルリアリティー・命がかかっていないからこれに気づくのが遅かった。
しかし,これに気がついたのは原田先生を追っかけた結果です。

以下は上記のHPからの転載である事をおことわり致しておきます

※岐阜県学校剣道連盟が発行した『創立30周年記念誌』には「三橋先生講話」が集められている。その中の「剣道形の理合とつかい方・剣道形の意義」 (昭和57年11月) に、剣道形一本目のつかい方について以下のように記されている。
一本目は、「先々の先で勝つ意也」としてある。それはどういうふうにつかうかちゅうと、間合に入った時に、その前に形の根本的な役割は、打太刀が指導的立場であり、仕太刀が修得する、教わる立場である。ほだから、間合に接するや、すぐに打ったんでは、仕太刀が読む時間がないでしょう。ほだから、お互いに間合に進んだならば、打太刀は小手なんか攻める、攻める、本当は。攻めるんだけれど、それを、それはできないけれども、本当は攻めるんだ。はりやあ高野先生も言っている。だけれどもそれはできないから、進んで瞬時、瞬時、ほんのわずかな時間をグッと攻め込んでから、面を打つ。ほうすりや仕太刀は、その一瞬の間に相手が面を打ってくることを読むことができるでしょう。もっとも安全な勝ちは、読みの勝ちである。それは、「来いッ」といってそれでぶつかる瞬間、読んでいる。高野先生は、形の制定の主査委員の中心だ。形はだいたい高野先生と根岸備五郎の二人でつくったんだ。高野先生の説明を聞くと、ここでグッと攻めこまにゃいかん。小手いくぞ。ほいで最後には約束の面を打っていく。こういうふうに説明なさる。それは、相手が面を打ってくることを予知する時間をとらなければ、仕太刀は読むことを体験することが、経験することができないからである。いいか。それを形を見ておると打太刀がいきなり面を打つ。それじゃあ剣の理合に合った形のつかい方でない。わかったな。
帝国剣道形をただ動作でやってしまうから何にも効果がない。あれは体操だ。そうでなくて理合いを求めてやるものだ。一本目は先先の先の勝ちである。打太刀が面を打つと決心する。そうした仕太刀は、面へくるか、こい、といってやるから、読んで打つから先先の先の勝ちである。そういう風に形を打たなければ形をやったって何にもならない。それでは六本目はどうか。後の先の勝ちである。ということは反射の勝ちである。条件反射運動である。中段に構える。打太刀が攻め込んでくるやつを仕太刀が出鼻の小手を打つ。打ち太刀は攻め込んでいこうと思っておって、相手が小手を打ってくることを知らない。というのを小手を打ってこい。こうやったんでは形にならない。「きた!」相手が小手を打ってきたから反射的に、いわゆる条件反射ですり上げて打つから後の先である。そういう解釈をすれば、これは帝国剣道形の理合ははっきり分かる。剣道形は応じ技だけだけれど仕掛け技も同じだ。攻め技は全部読みだ。小手を攻めれば面があくということを読んで小手を攻めているから読みの勝ちだ。そういう風に戦術を考えていけば、それは、そうやってそれを習得するかといえば、それは、理合と修練と経験以外にない。

大日本帝国剣道形は大家五人が主査委員となって制定された。先生方は、先々の先や後の先の大切さはおわかりだから、それを形に盛り込み、大切な先々の先で勝つことを一番初めに持ってきたんだ。一本目から三本目と五本目が先々の先で勝つ形、四本目、六本目、七本目が後の先で勝つ形であることは、大日本帝国剣道形でしっかりと説明書きされているのに、その後の連中が良く理解しないから、説明がうやむやになっちゃった。俺は武専のある教授に、君は武専では先々先をどう教えているか?と訊いたことがあるんだ。すると「相手が打つ前を打つのが先々の先、剣道形は先々の先で打つんだ」と説明する。だけど、剣道形は打ってきたところを打っている。勝つほうが先に打っているか?とさらに訊いても説明ができない。先々の先、後の先の問題が頭の中で整理しきれていないんだ。 どうしてこんな混乱を今に招いたかというと、宮本武蔵の三つの先と、剣道形におけるそれとでは内容が違うからだ、宮本武蔵の先は、技のことを説明している。今でいうなら仕掛け技が先々の先、応じ技が後の先、相討ちが先と。現象面に見られる三つの勝つ技術、これを言っているのが武蔵の教えだ。一方で、剣道形の先々の先と後の先は、勝つ技術ではなく、勝つ機会のことを言っている。つまり、先々の先は「読み」、後の先は「反射」という説明でくくることができる。一本目は読みで勝つ。六本目は反射神経で勝つ。形を作ったときに、それをはっきり教えている。六本目は仕太刀が攻め込んでくる。攻め込まれて打太刀が小手を打つところを仕太刀はすり上げて小手を打つ。そのとき、仕太刀は打太刀が小手を打ってくることは予知していないんだ。「あ、来た」と、思わずすりあげて小手を打つから後の先だ。それを俺は学会で説明したんだ。そしたらある人物が、壇上から降りた俺に向かって「僕は何十年も先々の先と後の先が分からなかった。今日の先生の説明で分かりました」と言ってきた。
高野健三郎先生は現代のような科学的な説明ができず、抽象的な説明のしかただった。俺は高野先生に直接先々の先の説明を求めたことがある。そのときの先生の説明は、「互いに先の気持ちで進むのが一つの先、打太刀が面を打とうと決意するのが一つの先、その一つの先を知って先で勝つから、三つ先がつながって先々の先」というわけ。これは現代的な言葉で言えば「読み」だ。相手が面を打ってくるのを読む。
(では、出ばな技も先々の先というわけですか?)
出ばなでも、先々の先で打つこともできるし、後の先で打つこともでき。例えば、相手が面を打つと読んでパーンと出ばなを打つのは先々の先だ。その読みがなく、相手が突然来て、反射的に思わず打ったのは後の先。これは動作の問題ではなく、精神の問題。機会の精神問題。
(そうすると、例えば追い込んで面を打つという場合にも後の先がある)
追い込んだ場合にも、先々の先も後の先も両方の場合がある。機会のとらえ方を読みでしているか、条件反射連動でしているか。
(じゃあ先生、先々の先か後の先かは、第三者からは分からんですね)
分からん。分からんでいいんだ。第三者から見たら、仕掛け技か応じ技かが分かるだけだ。それだから、一般ピープルには、まず仕掛け技と応じ技を教える。だけど、本当に大事なのは先々の先と後の先という部分。それは第三者から見ても分からないこと。
(三橋先生に角に追い込まれて、竹刀は殺される、後ろには下がれない、なす術がなくなってボンと打たれる。この場合は?)
それは「なす術がない」と知って打つから先々の先。
(うーん、おっしゃることは、分かるようで……)
俺は『剣道』を十年前に書いた。君に要求するのは、俺の本を読めということだ。今話していることを、俺はずっと言い続けているし、内容も一字一句変わってない。でも、みんな先々の先や後の先なんか関心がないんだ。剣道の先生にしたって、俺の本を買って、先々の先と後の先のところを読んだ人ななんかきっと百人に一人もいない。お前らも読んでないだろう。
(中部講習会があったとき、滝澤光三先生が先々の先については三橋先生の本が一番うまく説明してあるとおっしゃっていました。今、手元に先生の本があるので読んでみます。「先は仕掛け技の中から、相手の心を予知した出ばな技を除外したすべての仕掛け技をいうのである」)
それは技の説明だろう。先々の先と後の先のところを読め。
(「先々の先は、精神面を特に重視して、相手の打突を予知して勝ちを制する場合をまとめたものである。したがって、形の上からでは仕掛け技の場合と応じ技の場合がある」)
そうだろう。今、言ってたことと同じだろう。
(「先」というのはどういうことでしょう)
先というのはだな。応じ技でも仕掛け技でも、いかなる場合も勝つことを先というのが一つの考え方。
(先と先々の先と後の先と、先には三つあるという、その教えにこだわっている。先生はそうじゃないとさっきも言っている)
こだわっちゃだめ。動作と機会は別問題。別々に解釈しないといけない。機会がよくたって、動作が悪ければだめ。機会をつかむのは先々の先と後の先。それで、動作は先に打っているか、応じているか。性質が違うものなんだ。その性質の違うものを、宮本武蔵の三つの先と頭の芯からごっちゃにしているから、どうにも理解できない。武専の大先生でも理解できないから、俺は講習会のときに衆目の前で喧嘩してしまった。剣道形の一本目の先々の先を説明しろと。
(私もどうしても分からないのですが、動作としては仕掛け技でも応じ技でもいいですわ。そのときの精神状態としては、先々の先か後の先か?)
精神状態は先だ!打つ気力、気迫、勝つための精神問題は先。そして、機会をつかむのが先々の先か後の先!
(明解や)
明解やろう。この先々の先と後の先を修行することが、社会生活を送るなかで、剣道がためになるものだ。人間の社会生活は何のためにある? 「読み」をすることによって社会生活はよくなっていくだろう。剣道をやることによって社会生活をよくすること、社会生活をよくするその秘訣はなんだ。それが読みだろう。その読みを、習得すること、それが「形」だ。交通でも、向こうがどのくらいのスピードで来るかを読むから交通事故に遭わないんだ。そういうことも含めて剣道の修行を生活に活用する。そういうものがなかったら、剣道をやらなくてもいい。スポーツをやるのと剣道をやるのはどこが違う? 生活のためになるかならないかが、剣道とスポーツの違いといったっていい。剣道で読むカ、機会をつかむ力を身につける。そして、それを身につけて、自分たちの日常生活にそれを活用する。その比類のない精神が、伝統的な剣道の真髄だと俺は思うが、どうだ?
(そのとおりですね)
そうだろう。そいつを頭に置かなければ剣道は堕落する。ただの打ち合いじゃあ、堕落の一途だ。剣道を知らずして、打ち合いを知っているだけだ。テクニックを知ったって、剣道を知るということにはならない。現代剣道を見てみろ。剣道界が俺を排斥したことによって、俺を地方に追いやってしまったことによって、剣道の近代化は十年遅れた。俺はそう自負しているぐらいだ。
もちろんそれができるかできないかは個人差はある。だけど、そのことを狙って剣道を行なうだけでもためになる。そこを目指して修行することが剣道だろう。精神状態をよくするため、読みや反射神経をよくするために剣道を学ぶ。なおかつ、それを可能にするには無心にならなきやいけない。そして、その根本の極意を解いたのが、不動心だ。

原田先生の剣道が迷いが無く明快なのはここに原点があるからなのだ!!!!
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Re:考察 追加
西村雅興
2010年6月20日(日)
並木先生のビデオの御陰で自分の欠点を再確認した事が一番良かった。

指導稽古をして判った事。
稽古をした皆様は素晴らしく見事な剣道家でした。
竹刀の話はする事はありません。

『心の話です』
最初は西村の面の20センチくらいまでしか「心が届いて」いませんでした。
竹刀で面布団の頭頂部を出来るだけ速く触ろうという思いで打って来たからです。

さらに、正面衝突を避けやや体が右に流れている。
「心が本気で勝負をしていない」からです。

結論は『打つ前に死ぬ!』『捧身』が無いからです。
どんな小さな会社でも起業する時はこれが無くては不可能です。
これが無くて起業をすれば結果は明らかです。

耳元で西村がボソボソささやく度にみるみる剣道が変わって行く。
ビデオを再度見て頂ければ良くわかります。
最後の方では昇段審査前と合格後くらいに剣道の質が変わっています。
10分くらいでこんなに変わるのです!

剣道技術そのものを多くの先生方は稽古で教えて,指導稽古をされている様です。
西村は剣道ではなく、竹刀ではなく、その前の覚悟が出来ているかどうかを稽古で指導をして行きます。
原田先生は稽古の中でそれを教えます、が感性が低いとそれが心に伝わりません。
そこで,西村は原田先生から身体で教わった教えを、少しお節介ですがそれをマインドトークにてお伝えしているのです。
先生がお気づきでない心の有り様を指摘して、それが身体の動きで変化をする様に指導をしています。
西村が昇段請け負い人と高く評価される秘訣はこれです。

最高の経営指導者、船井会長は最高の指導結果を上げています。
ノウハウの伝達ではなく、社長の思いを深いレベルで変化をさせる啓発力があるからです。

心が変われば行動が変わる,行動が変われば結果が変わる、結果の積み重ねが
人生を変えていく。

剣道は心の変化のリトマス試験紙です。
見えない自分の心が竹刀を持って剣道をすることによって、動きとして表現されている。
相手との関係性が見えて来る。
・・・・ここを見れば自分の心が見える。
剣道は究極の禅的、自己啓発の手段である。
自己啓発セミナーはフィードバックをもらってそれを加速させる方法だ。
剣道も良く似ている。

自己啓発セミナーにはトレーナーが存在する。
西村は剣道においてこのトレーナーの役割をしている。

西村と剣道を楽しもうとしても面白くないのだ。
西村は鼻っから争っていないからだ。
現役選手がコーチと勝負をしたがる様なものだ。
選手が伸びるには良いコーチの存在超そが最も大切なのだ。

指導稽古を受けた先生方は西村が囁いた後の変化をビデオでしっかり確認をしてください。
このチャンスを下さった並木先生に改めて感謝致します。

並木先生は原田先生の動きをスローで何度も何度も見て下さい。
質問があればこの書き込みのレス等で書いて下さい。
レスをつける


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Re:並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。
並木 [Mail]
2010年5月16日(日)
西村先生

貴重なアドバイスありがとうございます。

女房は、4日、5日と両日で約2時間ビデオを撮っていました。
至急編集してないものを作成し送らせてもらいます。

映っていて住所の分かった先生には編集して既に郵送済みです。
これから郵送という先生もおります。

丹羽先生・・・ 月曜日にDVD郵送予定です。ご住所は田伐先生に教えてもらいました。

松尾先生・・・ご住所を連絡お願いできますか。映っている時間が短かったもので郵送の準備はしておりませんでした。
至急DVD作成いたします。

會澤先生・・・DVDは作成済みです。昨日メールでご住所の問い合わせいたしましたが、届いていますでしょうか。

N先生の奥様・・・N先生は同じ埼玉県東部地区の先生です。
島野先生との稽古も映っておりましたので、奥さまと西村先生
との稽古と併せて郵送済みです。

福岡の後藤さん・・・私と西村先生の稽古でよろしければDVDお送りいたします。ご住所連絡お願いします。

追伸
素人が撮って、編集したビデオです。
どうぞお気遣いなく、ご覧ください。


並木
レスをつける


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送り先の住所を知らせる。
西村雅興
2010年5月16日(日)
送り先の住所が公開の場に出る事が問題な時は西村歯科医院宛
FAX 03-3689-5168に送って下さい。
それとも,並木先生のところへ送って下さい。

並木先生の心広い対処に感謝致します。

剣道は稽古のしっぱなしではなく,その後の交流を通して相手の心情をも聞けば、一方的な解釈から双方向の情報伝達が出来、より深い形から心の部分までも踏み込んで知る事が出来ます。
これが飛躍的上達のコツです。

失礼を致しました!
並木さんのメールを押せば、彼に知らせる事は可能でした。
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Re[2]:並木先生のビデオから西村の指導稽古を考察する。
並木 [Mail]
2010年5月17日(月)
松尾先生

岩崎先生より、住所を教えて頂きました。

早速郵送させてもらいます。

並木
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