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- 明けましてお目出度うございます。 - 西村雅興 [2011年1月1日(土)]
新年あけましておめでとうございます。 - アオダイ [2011年1月4日(火)]
Re:新年あけましておめでとうございます。 - 西村雅興 [2011年1月7日(金)]



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明けましてお目出度うございます。
西村雅興
2011年1月1日(土)
皆様!明けましてお目出度うございます。
今年の剣運が良い年であります様祈ってます。

前回、内田樹(たつる)先生の武道的思考を紹介しました。
剣道に直接的にお役に立つ様な内容が少なくがっかりしたかもしれません。
随筆の総編集の様な形でしたから。
しかし、それだからこそ彼の言わんとするところが、何度も何度も繰り返し出て来ます。その内に彼の言わんとするところが刷り込まれて行きます。

その文中で興味ある文章を引用致します。

『とりあえず勝負強弱を論じているうちは武道の話は始まらない。』
『武道が想定しているのは危機的状況です。』・・ちょっと西村の方向とは違いますが納得はしています(西村的には道への昇華と思っている)。
『教えてあげたいが、教わりたい人が少ない。』・・・同感!
『「私・剣複合合体」が生成して、それが「動きたい様に、動いている」という体感構造に身体の文法を書き換えるために稽古をしている。無意識のうちに。・・同感
「道場は楽屋、実生活は本舞台』 剣道は竹刀仕事と人生は真剣勝負と西村は思う。
武道というのは「相手の身体能力が高ければ高いほど、「こちらの動きが冴える」・・・・実感
「武道的」というのはギリギリまで削ぎ落とされた合理性の事です・・・同感


近々の体験から
ある患者様の治療計画を立てたが、何としても身体が重いのだ。
三枝先生著「身体は何でも知っている」を思い出す。
CT,シュミレーションソフトでは何回やっても危険だけど可能なのだ!
西村はこのリスクを身体が避けろと合図を身体的情報で送っていると解釈をした。
計画の変更をする承諾書を書いたとたん、身体からスーッと力が抜け軽くなった。
受付が人相が変わったと私に言った。
身体は賢い・・・と思った。
引く事、退却を知った自分を少しばかり褒めてやった。
さて、患者様は変更を快く承諾して下さった。
本来植えるインプラントの歯肉の状態を見て、ハッ!とした。
あの身体的情報はもっと深い意味があった事に気が付いた。
手術は成功、治療も成功・・・
しかし、長期的予後を考えると非常に危険な状況が必ず起こる事に気が付いたのだ。
あの身体的情報はこれを示唆していたのだ。
『引く事、退却を知った自分を少しばかり褒めてやった。』
これは自惚れであった事に気が付いた。
真剣に患者様の治療をするということは『真剣勝負』『両勝ちゲーム』に他ならない。
身体の奥に普段は眠っている『智』が真剣勝負の時に現れたのだ。
この治療は真の『両勝ちゲーム』になるのだ。
今回の経験、剣道ではは80歳過ぎの八段九段の最高の範士との稽古に時々現れる。
西村がこの『智』に自分を委ねたとき、見事な面が決まってしまう。
西村が打ったのではなく、西村か消えた瞬間に『智』が打ったに過ぎない。
内田先生の引用
潜在意識が身体を主宰するとき、意識と意識の間に「空白」が訪れる。
それが「機」である
「空白」というのは、自分が何を考え、何をしているかを「私」が知らないからである。
「石火の機」と『不動智神妙録」はある。
そのとき動きは神速となる。
「神速」というのは「とても速く動く」と言う意味ではなく「通常の時間の流れとは違う流れで動く」と言う事である。喩えて言えば、刀を切り落としたところに、相手が首をさしだしてくれるような動きの事である。
(武道館で全剣連合同稽古会を毎回見ている先生なら、西村のこの瞬間を時々見ておられると思う。)

仕事では似た様な事は無意識で起きていたと思う。
今回は内田先生の本の中の『武道が想定しているのは危機的状況です。』の文章が頭に残っていたので、それを十分に認識したのだと思う。

昔、軍人の高官が盛んに武道の稽古をしたと聞く。
彼らは実際には武器を持って敵と対峙する事は少ない。
しかし、最高緊急時の判断を正確に身につける為に励んでいたと聞く。

西村の周りの多くは七段になった。
西村は原田先生の言葉、賀来先生の短い言葉・・・・・・この言葉の意味を身体で具現化する様にして来た。
西村は1月7日に65歳になる。
80歳を過ぎた原田先生が言っていた・・・今が最強である!(岩崎先生から聞いた)
西村も思う・・・今、長い剣歴の中で過去のどの自分も、今の自分に刃が立たない最強の時である。

稽古、試合の話ではない。
過去のどの自分も今の自分に刃が立たないと言う事だ。
十分に『智』の活用が出来るほどに、自分を信じれる時期に到達して来たという事である。

精神論は、魂論ではなく、次は『隙』について、内田先生の文を引用しながら書くつもりです。

ちなみ、65歳の肉体的衰えはあるものの、内科的身体数字は過去7年間で今が最高である。
これは、アンチエイジングの大家・Dr.満尾の健康管理について行った成果である。
7年前の血管年齢は93歳だった、今は60歳に若返った。
あのまま行けば、西村は今はこの世にいなかったと思う。
人は人との出会いで叩き落とされたり、裏切られたり、救われたりする。
しかし、神は乗り越えられない試練は与えない様な気がする。
今起きている事は、今必要な事なのだと受容し肯定的に進む精神さえ持ちさえすれば。
災い転じて福となす! 万事塞翁が馬!

昇段審査に落ちた時、早すぎる合格を神が案じているのか、もう少し修行をしなさいと言っているのか、稽古方法が間違っているのか、そのエネルギを人生・仕事に向けなさいと言っているのか・・・・・色々考えるチャンスだと思って下さい。

合格したとき・・・努力が報われたと思うか、とりあえずそれだけのパフォーマンスをした評価だと思うか、次の修行の始まりを与えてくれたと思うか、合格後の空しさは人生のエネルギー配分を間違ったと思うか

何にしても、しっかりと瞑想をして自分の内なる心に問いかけてみて下さい。
答えは前向きに出て来ます。
これがないと竹刀当てスポーツで終わってしまう。
剣道になる『道』を求める意味が無い。

年の初めに色々書きましたが、これを稽古に行く途中にふーっと思い出して稽古をして下さい。
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新年あけましておめでとうございます。
アオダイ
2011年1月4日(火)
西村先生

あけましておめでとうございます。
昨年は、大変お世話になりました。
2011年もよろしくお願いいたします。

内田先生の御本購入して現在読んでいます。
最初の裸の感想は、、、

「ついにこういうことを言う人が出てきたか」という印象です。
勿論良い意味でです。

以前、外国人に「剣道を稽古する意味は何か?空手や柔道や合気道は護身術として理解できるが、剣道や弓道は何か道具を持たなくては役に立たないじゃないか。そんなことに時間と労力を割く意味がわからない。剣道や弓道は武道から外した方がいいのでは?」と言われたことがあります。

その問いに私なりの答えを考え、手紙に認めて後日通訳を通して説明し、理解を得ることがありましたが、内田先生は明快にその問いにいとも簡単に、あっさりと答えてくれていました。

正直今の私には、小川先生の剣道講話より、内田先生の意見の方が腑に落ちることが多いです。

5月が楽しみです。

本年もよろしくお願いいたします。
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Re:新年あけましておめでとうございます。
西村雅興
2011年1月7日(金)
青木君も剣道の真の効用に気がつかれたようです。
今回の本は技術論、身体論でないところが深いエッセンスを書いてある。
剣道家、武道家を超えた身体論的哲学者の意見として聞いてみましょう。
大手の週刊誌などに世相診断的論客として記事が見受けられます。

柳生新陰流の剣術は名古屋で柳生兵庫之助に伝承され、そのエッセンスは江戸で政治に発揮された。
小乗仏教と大乗仏教の違いの様な気がします。
これからの剣道指導者には両者持ち合わせた人の出現を望みます。
現実には竹刀の方に重きをおいて、その扱いが上手な人が指導者のようです。

次に青木君に会うのが楽しみです。
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