今日は武道的感動を覚えたので書く事にする。
今年、スポーツチャンバラ副会長の白井先生を治療をした縁で、今回は大会の案内を頂いた。 久しぶりに会長の田邊哲人先生にも会いたくてお祝いに行った。 スポーツチャンバラは今や世界規模の組織で、その創成期に西村は参加した事がある。 最初は抜刀術を教わりに毎週、横浜まで行ったものだ。 そこでスポーツチャンバラに出会った。 最初、子供騙しのチャンバラと馬鹿にしていたが、女の子にコテンパンに打ち負かされた。それで一念発起して全日本選手権で二年連続優勝をした。 そこで、会長の武道的薫陶を受けた事はその後の人生観が変わり、良い道への方向性を得たと思う。 その意味で田邊哲人会長は人生の師であり、武道の本質を見いだす方向性を頂いたと思う。 その頃から人間的な大きな器、魅力的な人柄は感心していたが、やはりそれは本物でスポーツチャンバラの今日に至った。 会場に行くと熱い熱気は剣道とは違う自由な意識のエネルギーで満ち溢れていた。 当時の仲間は頭は薄くなったが皆様お元気だった。 多くの先生から久しぶりと暖かい握手を頂いた。 この会場には田邊先生のスポーツチャンバラ(武道)通じての人間育成のエネルギーが満ち溢れていた。 武道的信念をきちっと押さえた上、自由なエネルギーの上昇を高め武道の教えを静かに広めて行く流れがあった。 これは田邊先生が武道家として長年の修行のなかで、本来の武道的意義を損なう色んなマイナス要素を解き放ち真の武道の役割を伝える組織を作りたいとの願いからの思いが花開いたのである。
田邊先生の考えの一端をスポーツチャンバラのHPから抜粋して紹介する。
【段,級の意味】 『段級は、単に「強さ」の証明ではなく、敢えて強さと言うならば「我慢強さ」の証明であると言えるかも知れません。先ず師匠に付き、その道の立ち振る舞い、位場所、位置処、これを「わきまえる」と言います。「わきまえる」は、"脇に構える"事です。人を押し退け、我を押しつけていくような事ではいけません。いずれにも手順、順序があるのです。家にあっては祖父母、父母、兄姉、自分、学校では先生、先輩に常々尊敬の念を以て順序を外さず、位置処をわきまえる。出過ぎ、引っ込み過ぎ、いずれもいけないのです。人間としての我慢を会得すると言う事は「対人研磨」、即ち人間のゴツゴツした角が、人によって研磨され磨かれる。角の一つひとつが取れ、やがて円満に丸くなる。そしてそれは"道に入る"人格形成の手段となるわけです。その中にあって段級を認められるという事は、"道に入った"糸口なのです。
ハ さらに段級とは生涯失う事のない師の恩であり、「師と己との恩愛の絆」なのです。
ハ 就中(なかんずく)美しい日本と言うならば、その原因がここにあるかもしれません。
第14条 段級位のこと ハ 道の中にいて道に学ぶもの、道とは歩く道すなわち順序にある。武道の順序にある段級とは、強さの表現ではない。相当の年月修行に正対した証しである。なかんずく、我慢強さという人間としての強さの称である。武道の究極の目的は、生涯完成にある。修業至りて免許をされた段級証は、師と恩愛の絆である。終生礼を失する事無きよう精進されたい。
』
【師弟関係とは、具体的にはどのようなことですか?】 「師弟関係とは何だろうというと、師匠が弟子と認め、その弟子が入門させていただいた時からこの関係は発生します。これは、相撲では○○部屋に入門し、また、茶道でも華道でも日本舞踊でも、伝統を堅持している世界では、当然としてその道のしきたりがあります。これは、古くからの慣習であり道に学ぶ者は、そのしきたりに従うことは当然でしょう。
ハ 武道も然り。その先生の門人となったからには当然として、師の指導方法・指導手順に従うという事は大前提であることは言うまでもありませんが、師の指導手順に合わず、また自分の意に添わなければ、自ら退やめるか、除名、あるいは破門となるでしょうね。これは自由ですから別に書面は要りません。これは別に日本が特別変わっているからではなく、世界の大方はこういう制度でしょう。弟子が師匠に意見したり、師匠の云う事を聞かないなどということは御法度なのです。
ハ 当スポチャンもその中にいて、皆さんの手元にある允許状(允可と同義語)を見れば判るでしょう。また師の恩を常々忘れないために、免許状には恩師の名前が必ず記載されています。それが自分の師匠です。このスポチャンの世界には、ただの1人も師匠の名の入っていない免許状はありません。師匠の名前は単に書かれているわけではなく、師の恩愛、絆は永久に失うことの無きようにという事です。
ハ また何かの都合で師匠を変えなければならない場合もあるでしょう。例えば、転勤や学校を卒業したり移動があったりで他の地へ行ってもまた修業をしたいとするならば、その地の先生の門をたたく事もあるでしょうが、その場合でも事情を説明して入門するなど、礼儀を失しないようにするのは当然でしょう。私も師の代わりとなった事がありますが、その人たちは今も円満な活動をしています。』
【試合判定について】 『大会検査役 ○ 各試合場の主審の助言者として1名の検査役を配置する。(選手は判定等に異議が生じた時はその場で挙手をして検査役又は審判にその旨。異議を述べることができる。) ○ 検査役は選手の異議に対しては、誠実に対応し審判員に助言等を行い迅速かつ円満に解決することを要す。 ○ 意見の分かれた場合は、検査役も審判も同格の旗数と数え「再判定」の多数決で決定する。
選手は判定の異議を手を挙げる事によって申し出が出来る。 審判以外に更に検査役を置く。 選手は試合中の判定については検査役若しくは審判員に対して異議を伝えることが出来る。この場合、選手は挙手し意思表示をする。但し、2審の判定結果には従うものとする。
選手の抗議や不満は検査役・審判員全員が真摯に且、優しく思いやりの気を持って迅速・適格に解決すること。』
ね!剣道では考えられない事でしょう。 審判判定こそがその競技の発展の重要な要素と考えられている。
『●
このスポーツは、フェアーな世界人づくりと人格の形成に資するにあるため、さわやかな世界人になろうとする運動である主旨を良く理解し競技する様。 ● 審判は公平且つ厳正である事はもとより選手及び観衆をも含めた納得、満足する試合作りを心がける。』
この掲示板を見られる方はかなり剣道の高段者の方が多いと思う。 http://www.internationalsportschanbara.net/ を見て、田邊イオズムの武道観に触れられる事も大切かと思います。
久々に『爽やかな武道』に接し、清々しい気分です。
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