賀来先生の言葉
賀来先生曰く。 「西村、俺はな!大先生と稽古をしている時、居ない所を打たされていた!」 要するに自分が打つと決めて体や足や左手が起動し打ち込んで行くが、自分の竹刀が目標物に届こうとするときには、目標物は既にそこに無く竹刀の先は空を切っているという事だ。 先生は俺が打ち出す時には目標物は置いておくが、起動したとたんに体を捌いて目標物はそこに無い状態にしているのだ。
胴は相手が起動したのを見てから(相手に先を取られて)備えると、間に合わない。 かろうじて胴を打てたとしても、それは面に押し込まれたと評価される。 このような胴が入って満足しても、評価は相手の方が0,5段上の評価になる。 このような胴を一般的に打つので胴の評価は低い。
しかし、合気になりお互いが面をまさに打たんとするとき、スッと面を見せながら、右ヒザを右に開き、やや右前に重心の滑落を始める。 相手はこことばかりに振りかぶるが、こちらの体は身体半分既に右に捌いている。 ここで重要なのは相手が起動するまで、相手の目が面を捉えさせて置く事なのだ。相手は面が打てると信じて面に打ち込んで来る。 相手の竹刀が振りかぶる時にやや右に、振り下ろす時にやや右に体を捌く。 相手は長い距離前進して来る、自分はほんの少し体を右に捌くだけだから十二分に余裕がある。 多くの人はこの時、一度左足に支点を求め、体を右に押し出して体を捌こうとする。 まあ!ほとんど人がそうするから、相手の突っ込みスピードが速いとよけきれずにぶつかってしまう。 武術的身体動作ではこのような支点を求めないのだ。 右ヒザを抜き、右前方にこける様(倒れる様に)に前進するため筋肉の緊張がほとんどない。 重力の落下エネルギーを利用して体を捌くのだ。 西村に胴を打たれると異様な感じがする。 自分の身体の横を風が通りすぎた様な、何とも不可思議な感じで打たれる。 エイ!と体を捌くのではなく、スルリと相手の脇の下をすり抜ける感じなのだ。
このように相手を引き出し、居ない所を打たせ、軽く体を捌いて、左足の引きつけで竹刀の先を振る。 ビッシとあばらの骨に響く胴が打てる。 この様な胴が打てれば相手より1〜2段上となる。 七段の元立ちになるとこのくらいの胴を打ちたものだ。 要は腕の差、心の余裕が相手を手玉に取っている事になる。 ここで重要な言葉を書いてみる ・相手に面を見せて尚かつ右ヒザで先を取る ・重心の滑落 ・手の内(パンタグラフの原理) ・右手で鍔で引き切る ・左足の引きつけで腰を右に振る・・これに竹刀の先がついて来る ・この動作をゆっくりと落ち着いてやる
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