佐藤先生『上級者の剣道』 【関頭】 重大な分かれ目。瀬戸際。「生死の関頭に立つ」
西村は先生の本で初めて知った言葉です。
佐藤先生の【気】について。 『気の伴った打突は気の剣道の奥深さを識る端緒となり、剣道のレベルを一気に引き上げて行きます。 攻めの何たるかに思いがいき、相手の気を探りながら気の動く瞬間を見極めようとします。 技は偶然ではなく、必然の技となっていきます。 それこそが確実性であり、理合に則った技です』
(西村コメント) 【気】を【意識】と読み替えれば今間で書いて来たのの同じです。
昔、朝方のテレビで運動についての放映が有りました 佐藤先生がテレビの画面を見て、その人が何処を打つかを当てるのです。 先生はボタンに手をかけ、どこを打つか分った時点でボタンを押します。 動き始めのあっと言う間にボタンを押します。 先生が小手を打つ・・・と言うと、続きの画面は小手を打っています。 百発百中でした。 画面を見ただけで動き初めで分るのです。
京都で岡田さんとビデオをみていました。 その時たまたま原田先生がそれを見ました。 カメラについた小さな液種画面を見て言いました。 小手を狙っている・・その通りに小手を打ちました。 同様に次に起こるシーンをことごとく言い当てるのです。 驚きで、二人は舌を巻きました。 何で!分るの!? 正直な感想です。
達人はこのような感性を持っているのです。 賀来範士も同じ様に感性の高い先生でした。 努力と持って生まれたDNAの影響のほうが強いです。 自分のDNAの中で努力、研究するのが良いかと思います。
【関頭】 ここまで間を詰め、一発即発の状態でどちらが仕掛ける勇気があるか?が問われます。 次の文章は佐藤先生の【ここ一番の心境です1】
『相手との気争いが五分五分だったら”待ち”になりがちです。 ”待ち”は後手です。 待ってはいけません。 待つのではなく、もう一つ破るつもりでグッと入って行く。 面を打たれるかもしれない。 突きを喰らうかもしれない。 そういうすべてを覚悟して入って行くのです。 この攻めは、例えるなら水が激しく落下する滝です。 止めようにも止められません。 何とも抗し難い圧力の連続といえます。 その攻めが利いたとき、相手は微妙に反応します。 竹刀のわずかな動きは気の動きです。 五分の状況を脱し、主導権を握った瞬間です。 相手は打って出るか、あるいは間合いを切るしかありません。 どちらにしても、こちらはすかさず乗って行くだけです。 負けん気の強い人は、そのような間合いからでも攻め返してきますが、だいたいは打って来るケースが多いといえます。 要するに相手に手を出させるのです。』
(西村コメント) 先生の勝利はここです。 この時点では(殺人剣と活人剣の中間です) 西村は七段とって間もない頃先生と稽古をしました。 先生は先ず胸を出して気の攻めをしました。 西村はこれ位には耐えれます。 次に足を出して攻め入ってきました。 これでもやっと我慢が出来ます。 先生は竹刀を下げて用の攻めを懸けました。 西村我慢が出来ず打って出るしかありません。 この気が動いた瞬間、見事に面を打たれました。 第一段階 胸を出して気で攻める。 第二段階 足を出して体で攻める。 第三段階 竹刀で西村の気を動かし(用の攻め) 第四段階 先生は乗って打つ。 三段階で攻められると、西村はさすがに我慢が出来ませんでした。
『増田先生はこれが実にお上手だった。 私などは気の強さは天下一品ですから、何度打たれた事か。 危険な間合いである事は十分承知していますから、当然、こちらの気は充実していて、いつでも打てる体勢にあります。 そこに先生はスッと何気なく、思わず引いてしまうような強い攻めではなく、本当に何気なく、入って来られる。 それまで打つ機会がまったくないと感じさせておいて、「今がチャンスだ!」という瞬間を見せるのです。つい手を出したくなります。 攻めながら、「ハイ、いらしゃい」と誘っている。 ところが、それが誘いとは見えない。 そこへ「そうですか」と出て行く。 そして、パクッと小手を打たれるか、摺上げられて面を打たれてしまうわけです。 妙味ある攻めであり、非常に高等な技術だと思います。 間合いに明るく、理に明るいからこその妙技だと言えます。 もちろん手の内も良い。 まさに名人技です。 わたしなどうたれるたびに感動していました。 本の写真の説明に (増田眞助は昭和15年の昭和展覧試合、指定選士の部の覇者。 妙味ある攻め、勘どころを押さえた打ちなどはまさに名人芸であった。)
『ジリジリとしてどこまでも攻めていきます。 いよいよ相手が出て来ないと感じたら、攻めからそのまま面に打っていました。 そして、ポンと出小手をよく決められました。 (西村コメント:窮鼠猫を噛むで小手を打たれる) 色々考え、小手を封じるしかない。 剣先を少し下げて、抉(えぐ)る様に攻め入って行きました。 剣を下げて拳を攻めて行ったのです。 小手を嫌がる人は必ず剣先で隠そうとします。 剣先は中心を外れわずかに開きます。 その瞬間を逃さず面に飛び込みました。 きれいに決まりました。 自分でも驚いた程です。 本能に訴えて相手を動かし、攻め勝って打った事になります。 これだ、と思いました。』
(西村コメント:これは典型的な殺傷人剣です。 私も勝ったと思って出小手を取られた事がよくあります。 かたっと思った時は、相手は追いつめられたネズミです。 必死に反撃します。腕に差があってもここで打つと危ないです。 コツはヒョイッと仕掛けて反撃させます、そこを取れば簡単です。)
(西村コメント:月刊誌に【抉(えぐ)る様に攻め入って打て】と佐藤先生が話されていました。では私はそのとおりにやってみましょうと思い全剣連合同稽古会・武道館へい行きました。 頭の中は【抉(えぐ)る様に攻め入って打つ】しか頭に有りません。 先生と対峙しました。 先生は余裕の状態でした。 十分に合気になった(同調して)瞬間、真っ直ぐに【抉(えぐ)る様に攻め入いる】 ていました。頭に打つとこは決めていません。 先生は来たか!と面を防ごうと手元をやや上げかけたのです。 西村は思わず、スッと諸手突きをしていました。 この、思わずが効を奏したのです。 同じタイミング、同じ攻め込みで小手面が入ったのです。
稽古の後の挨拶で、先生が言った。 『俺が本気で攻めて打ったら、お前等屁でもないのだ!』 先生は褒めないで、負けをしみを言った。 という事は先生の心を打った打だったのだ。 西村はただ先生の教え通りしただけだったのだ。
これと同じ突きが決まったことがあります。 梯 範士八段先生が警視庁を退官し、師範を止められた時です。 歯科医のOBが稽古に師範を招待したのです。 先生のお噂も剛剣ぶりも良く知っています。 まともに稽古をすると歯牙にもかけらません、全く刃が立たない相手です。 先生が挨拶で目下浪人中ですと言われた。 元々謙虚な先生ですが、目下腰が落ち着かない弱々しい声でした。 西村的にはここをつけば心に入り込めると踏みました 先生は真っ直ぐに来た相手に右に飛んで面を打つ癖が有る。 先生は西村に癖を読まれ、気落ち状態を読まれたのです。
対峙し十分に合気になったとき先生の懐を抉るかの様に体を出しました。 先生は手元を上げ、右から打とうとしました。 咽は突いてくざさいばかりとがら空きです。 西村の竹刀は咽に吸い込まれました・・・それも二回も。 先生は目が覚めた様になって、西村が小手面を打たれ蹲踞。 この様子を見ていた歯科の先生方には信じられない様な顔をしていました。
さて、佐藤先生は攻め勝って、相手の気が動いた瞬間に打つ。 ずーっと読んで行くと【殺人剣】です。
西村の推奨は増田信助先生の【攻めて、緩めて、誘って取る】です。 これを【活人剣】といいます。
増田先生が【すーっと何気なく】これが難しい。 この移動に【腹の筋肉を緩め、重心を滑落させ、倒れる様に、どうします?と、問いかける様に!捧身!で出ます】 このときの初動の時に膝を緩め軽く体を沈めながら・・・・この体を沈めるが・・がこの【関頭】の時に行われて初めて技になるのです。
黒田鉄山先生、日野晃先生から十分学ば、この佐藤先生の本の抜粋の所は良く理解出来ると思います。 他の武道ではここはキーポイントで数多くネットで文章、動画で出ています。 先に紹介したイラスト的人形動画は良く出来ていますので参考にして下さい。 武術は足で蹴って前進していては間に合わないのです。 後ろ足の床の摩擦をり利用するだけです。 ただし、深い斬り間に入って前進距離が少ない時に有効です。 自分から打って出る様な間合いでは、床を蹴って飛ぶ必要性が出てきます。 しかし、初動の気配を消しマイナスから前進する所では有効に利いてきます。 対人接触武術と剣道が違うのは間合いの距離の問題です。 そこで、書いてある事が理解し難いのです。
さすが佐藤博信先生です。原田先生の次に大好きな先生です。
西村は噛み合わせと姿勢と体の症状の考察においては世界一です。 佐藤先生の顔を見て、観の目で見るとお口の状態がてに取る様に分るのです。 原田先生がハガキで佐藤先生に「俺の弟子の歯医者が君の顔を見て、右手の不調は歯のせいだと言っている、治せるそうだ。手紙を出すと言っている。」と、書いて送ってくれました。 西村は歯の状態、身体の不調の状態を細かく書いて送りました。 直ぐに連絡が有り「先生の書かれたそのまま100%です。恐れ入りました。今は主席師範になったところなので、一年後には必ず行きますと云われた。」 一年後、来院され、右の不調は消え、明治村に選ばれ、4回目の優勝をされた。 (先生の肩の除状態が知られていたので、暫く選ばれなかった) 三回戦は原田先生と当たり師匠は負けて、佐藤先生の優勝となった。 もし、佐藤先生を西村が治していなかったら、原田先生が優勝していたかも! 写真の顔を見ただけで口の中も、症状も勝手に見えてしまう、西村の頭に映るのだ。 真書面に対峙して耳を澄ませば、心を無にすれば相手の気に変化は響いて来るはずだ。 心が騒ぎ、打つ事に気が行ってると、鏡は曇り相手が見えない。 静かに第三の目、印堂(眉間の中央)から相手を眺めれば相手は良く見える。 相手を見る時は目で見るのではなく、印堂から観の目で見ることが大切です。
ぜひ本を読まれたい・・必読の本だと思います。
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