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-  面を打つ! - 西村雅興 [2017年1月13日(金)]
Re: 面を打つ! - あおきだいすけ [2017年1月14日(土)]
気づき!こそが剣道 - 西村雅興 [2017年1月17日(火)]



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 面を打つ!
西村雅興
2017年1月13日(金)
 面を打つ!

面を打つぞ!と真っ直ぐ竹刀をそのままで攻め入って面を打てるには、、2段位の差がありその迫力で相手を居着かせる時に有効です。
この時、攻め込みのスピードは有効です。
高段者になるとこれが通用しなくなります。

咽を攻められると(急所)誰しも恐怖を覚えます。
その為、竹刀の先が咽を狙って来ると、相手は何らかの反応をします。
竹刀でそれを防ごうとしたら、その動きの裏を取って小手を打ちます。
嫌がってのけぞろうとすると、面に押し込みます。
恐怖で居着くとそのまま面を打ちます。
最初は意図してそれを狙います。
何度も繰り返している内に、それが適切な反射になって自然と出ます。
この原理を使って教えるのが形稽古です。
申し合わせ(約束の動き)の形の中で繰り返し身につけます。
木刀で剣術の稽古をする時、打ち合うと怪我をしたり死んだりするので、形稽古で反射的理合にある動作を習得してたのです。
竹刀の様な物、防具の様な物が出来て、やや実践的に反復練習が出来るようになり、現代に至っています。

剣道の稽古で一番嫌がるところは咽を攻められる、突きです!
その為、暗黙の了解で突きは出さないようにしているのが現状です。
その意味で、咽を攻めながら相手の反応を見て、反射的に面を打ちます。
本当についてしまうと、相手との人間関係に亀裂が入る傾向があるので要注意です。

次に嫌がるのは、下を攻められる事です。
別に小手を狙ってなくても、下を攻められるのは嫌で、竹刀で押さえにかかります。
この押さえに来た竹刀を(浮木を押さえると、少し沈みながらころっと浮き上がり間す)これを浮木の原理でスッとイナして面を打ちます。

色んな試合を見ますと、面も、突きも、下攻めで相手を起こして、そこを面に取っている場合が多いです。
特に突きに関しては下攻めからがほとんどです。
下攻めで注意すべきは、この入り身の瞬間に面に乗られてしまう事が多いです。
前傾姿勢、肩や頭を前に出すと攻めたつもりで乗られます。
ここで大切な言葉【鼻を臍より前に出さない!】を肝に銘じましょう。

下攻めの場合間合いが近いとそのまま面に乗られますから、少なくても触刃の間合、竹刀の先皮が触れる程度から攻め入るのが肝要です。
下攻めの場合は人間関係に亀裂は入りません。

剣道は命を賭けて打ち合いを、切り合いをするのが立前ですから、打つときはその位の気位、捨て切って入る、打つのが本筋です。
だから、相手が一番恐怖を持つ【突きから攻めが】ところからが本筋です。
しかし、竹刀ゲームの世界では突きは控えた稽古をしています。
さらに中学生以下では突きは禁止になっています。
道場で稽古を見ていると突きは来ない前提で打ち合いをしています。
その為、咽元はがら空きの竹刀だけで打つ稽古の終始しています。
早く打った方が先に面に当たり勝ちと錯覚しています。
本格的な面は相手の懐深く体を入れ込み、ギリギリまで手元を上げない。
手元を上げた瞬間も突きを受けない程度にしか上げない。
当てに行くと手元を早く上げて喉元をがら空きで面を打ちます。
少し良くなると切るつもりで面を打ちます。
すると手元の上げる機会が少し遅くなり格好がつきます。
本来は斬り込むの【込む】の時に手元を動かします。
突きを受けることは無いです。

京都大会で柳生の剣道研修会に参加した同期の稽古会を見ました。
全国から選抜された県でも優秀な剣士の研修会です。
その人たちの中で先に八段になった先生に稽古をつけもらっているのを見ました。
突きは当然の責め口で、甘く体を進めるとその瞬間に突かれます。
手元を大きく上げて面を打つと突かれます。
甘い面を打つと胸突き、胴突きを受けます。
懸かる方はこの恐怖を乗り越えて面を打っています。
凄まじい稽古風景でした。
これこそ武道、剣道と云うものでした。

高段者審査はこの心持ちを、気位を審査されます。
仲良し剣道ではなかなか合格しないのが現状です。
本格的に七段を受けたい人には、西村は胴突きをいたします。
この恐怖を乗り越えて打切った面の感触を教えます。
これが出来る様になると七段に受かります。
要は肚が出来ないと、覚悟が出来ないと受からないのです。

面を打った後、相手が死ぬか、自分が死ぬか、二人ともッ死ぬかが結果です。
それなのに、相手にぶつからないように右へ抜けながら面を打つ人が多い。
これでは本気に面を打ったことにならない。
相手を突き抜ける様な本気の面を打つと、相手はそれを感じ恐れを持ちます。
これが気の攻めです。
西村が指導をする時、徐々にこの辺を教えて行きます。
だんだん本格的な面が打てる、稽古が出来るようになると七段は受かります。
最近、この人は七段なんだが、果て!と思う人も多いです。
すると、七段は本気になれば誰でも受かる様な気がします。

若手の八段が西村との稽古で喉元を大きくあけ、大きな面を打ってきます。
え!八段だろう!西村の諸手突きが見事に決まります。
竹刀当ての観念で八段が西村と稽古をすると、殺し合い、斬り合いの観念の西村とは勝負にならないのです。
七段以下では突いた竹刀の先はすぐに引きます。(咽が空いてましたよ!と合図をする程度です)
しかし、相手が元立をし八段の場合は先ず咽を攻めます。
勘の良い八段は面に来ません。
咽を攻められている事が判るからです。
後から捨てれませんでした!と言います。
そうでない八段は西村に諸手突きで腰砕けになります。
二本も突きを入れられると八段も心は負け犬になります。
後は西村にお手玉状態で捌かれます。
西村が八段殺しと言われたゆえんです。
自慢話をしている様ですが、剣道をするにあたっての覚悟が大切だと言っています。

西村の人生は何事にも命を賭けてやってきました。
死を覚悟して物事の選択をしてきました。
多くの人に救われ生きていますが、とっくに三回は死んでいました。
この修羅の様な生き様に比べれば、剣道修行はまだ生温いものです。


本気で剣道をすれば、自分の甘さに気がつき、更なる高みに人生が向かうと思います。
死を感じる格闘技の中に自分の心が見てて来るのです。
剣道は究極の自己啓発のトレーニングと言えます。
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Re: 面を打つ!
あおきだいすけ
2017年1月14日(土)
西村先生

あけましておめでとうございます。

新年早々の先生の掲示板への書き込み、お年玉を頂いた気分です。
本年も宜しくお願いいたします。

突かれる恐怖心を超えて面を打ち込んでいく。
頭の中でイメージしただけで、不思議なことに
自然と腰の入った、しかも剣を上から下へ振り下ろす
面打ちになっていました。まさに”切り込んでいく”

私は2016年は六段審査からは逃げました。
どのように言い訳を言っても、それは嘘です。
「逃げ」ました。
合格発表の紙に自分の番号がない、あの光景を見るのが
嫌になってしまいました。
周りの人がチャレンジして、どんどん昇段していくのを
ただ茫然と見送る1年でした。
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気づき!こそが剣道
西村雅興
2017年1月17日(火)
青木君の人柄の良さが昇段審査の男の意地の張り合いに遠慮が出るのです。
仲良く剣道をするには何の問題もありません・・・そのままで良いのです。
これも結構楽しいです。
これからの人生に出会う難関、苦難へ立ち向かう気力、決断力、英気を養い、自己の成長を願う剣道であれば最高の自己啓発の手段です。

打つ→切る→斬る→斬り込む
同じ面でも打つ方の心のレベルに合わせて体は動きます。
打つ前に死ぬ!この覚悟があって、突くなら突け!と心が決めて面を打つ時は腰が十分に入った面になります。
まさに”切り込んでいく”→”まさに斬り込んでいく”
斬り込む この(込む)の勢いが相手を真っ二つに斬る真髄です。
相手はこの気力、動きにひるみます!
竹刀が当たる前に勝負がついたのです。
ここ心意気は対峙した時に相手に伝わります。
この時点で勝負有り!です。
ある試験で相手の頭を竹刀が滑る様に早い面が入っても、それは頭を擦っただけです。
あのとき、今気がついた様な面を打てていたら合格間違い無しです。
岡田さんが受かっていると思ったのになあ!
動きと形では合格だと思っても、審査員の心を動かす面ではなかったのです。

昇段審査の良い点はこの自分の心の弱いところを浮き出してくれます。
人間はこれを超えて成長します。
六段を受けなければ気がつかなかった自分の弱さに気がつけば、これを超えるだけです。
気がつかない時は成長は止まりです。
西村が貴方の仕事の成果を問うのは、仕事でもこのような腰に引け態度でないかと危惧しているのです。
仕事こそが真剣勝負です!

西村が大学を卒業して引っ越しの費用もない歯科医が、五年後にはパートを含め従業員120人の三歯科医院の院長になったのも命がけで働いたせいです。
借金を払えないときは上手に事故に会って生命保険で支払う覚悟があったのです。
借金の時には相応の生命保険に入らされ、受け取り人はお金を貸した人です。
何度も潰れかけましたが、死にたくないので踏ん張りました。
結果的にはやり過ぎていて、死にそうなほど疲れました。
そこで退却をすることにしました。
その切っ掛けは原田源次先生から頂いた一通の封書でした。
六段の審査風景を隣の会場で審査をしていて、西村が目に留まったのです。
左脚の肉離れが未だ癒えず、右足に体重が乗ってしまっていたのを指摘されました。
そこに重心を乗せると相手が見えない、心する様にとの内様でした。
そこで、ビデを撮って自分を見ました。
何と!醜い剣道か!! 自分の弱さを認めたくないから、相手を叩き伏せて悦に言っている西村でした。
顔から脂汗が出て恥ずかしい限りでした。
阿修羅の様に三歯科医院を経営し、死にそうな苦しい不安と焦燥の日々を送り、いつ離婚するかと思う様な夫婦関係、それの本性を剣道のビデオで見た思いです。
一日が20分程にしか感じられない日々、あと35年生きたとしたら、生きていると感じる時間は150日でした。
150日で死ぬ様な人生は嫌だと、大泣きしました!
そこから心の旅、自分探しの探求をしました。
あのままでは肝硬変で死んで、今生きていないでしょう。
ある人が言った、西村先生はどうしてそこまで原田先生に入れ込むのですか?
その意味で、原田先生は命の恩人なのです。
西村の六段、七段の合格には大きな心の変化と成長の結果です。
稽古の量、技術ははほとんど関係ないです。

さて、八段受験も色々考えました。
青木君の一言「先生が八段になれば稽古をしたい人が増えるでしょうね。」
ヒョイと心が動いて受けましたが・・・気がついた事は自分が八段である事を望んでいないと云う事でした。
そのエネルギーを使うべきもっと大切なことがあるという事に気がついたのです。
人生は選択の連続です。
八段を受けない選択は間違ってい無かったと思っています。
しかし、何もかもが終わりすることが無くなったら、八段を受けるかもしれません。
その時は最高齢で八段合格!と騒がれるかもしれません。

長々と書きましたが、今回の気づきは第一歩です。
これを重ねて成長して下さい。
剣道はそのお役に立ってくれます。
 逃げていた自分に気がつく事は凄い発見です!!!
レスをつける



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