面を打とうと面を攻めても、相手もさるものそうはさせじと面を守っている。 比喩的に表現すると相手の気と竹刀でバリヤーを張っている。 やや硬めの透明のプラスチックカバーがブロックをしている感じだ。 このような時はいくら面を打っても捌かれてしまう。 打とうとするところを読まれて逆に打たれてしまう。 竹刀の先をスーッと沈めて相手の竹刀の下に入れながら、小手を打たんと攻める。 相手の無意識が、目がそれを察知する。 有意識(自分)は竹刀を真っ直ぐ相手に正対しているつもり。 しかし、残念ながら目の認識領域ではそれが見えてしまう。 さらに、相手の攻めの意識が面から小手に移った事を無意識が察知する。 すると、無意識はそれを防ごうと思うと竹刀の先は小手をかばおうと正中からやや右下に降ろそうとする。 このとき、西村的感覚では面を守っていたプラスチックカバーのブロックが消失する! 西村の意識はその消えた空間に竹刀が吸い込まれるような感じがする。 打とうと思って打つのではなく、相手が自発的に面のバリアーをはずしたのでそこに吸い込まれて打ってしまった感じで入る。 従来の剣道的説明では浮木の原理に相当する。
表現を変えれば正面の門の閂を降ろさせ、中から外の状況を見ようと少し門を開いて覗く様な感じに誘導する。 門を軽くコンコンと叩くと相手が反応する。 松の葉に風がそよぐと、その葉は軽く騒いで動く・・・まさに【松風の極意だ!】 相手の心を軽く動かし、気をそらし正面突破を図るのが面打なのだ。 ほとんどの剣士はこの手順を無視して打ち合っている。 この手順を仕掛けるのを【先】と言う。 剣道が他のスポーツと大きく異なる点は。心の作用の駆け引きが勝負に大きく影響をする点だ。
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