『気』を打つ! 事理相忘より
『起きる』は動作が起きる。 『機』は動作を起そうと思っている。 『気』を打つというのは、心の中で打突しょうという気持ちが起きたとき打ってこられますから何も出来ません。 自分が頭の中で考えたことは相手の人にわかる。 心の修業をしている人にはその心が映ります。 映ったその瞬間に打たれます。 自分はその時に頭の中は充満していますからものの判断は出来なくなっていますから打たれる。 心が静かだと鏡のように相手の心が映る。 心が騒ぐと波紋のように広がり鏡の作用がなくなる。
これは波動が強くなるとこの様な事も起こるのだ。 西村が心臓に不調をきたした時、焼津の柴原さんはそれを察知してすぐに東京へ来てくれた。 そして、その不調を見事に治してくれた。 「先生が東京から呼ぶんだもの!」と言った。 あるとき、西村の右斜め前に柴原さんが、前歯を指でこすりながら調整して欲しいとの映像が浮かんだ。 すぐに電話をかけ「歯を調整してくれと浮かんだよ」と云うと、噛み合わせの調整に行くために、今新幹線に乗ったところだと言った。 来院し、調整すると一ヶ月続いた咳はその場で消えた。
西村は原田源次先生に打とうと思ってただの一度も打てたことはない。 しかし、西村がいつ打ったのか分からないとき、良い打ちだったと褒められる! 西村の心は全て読まれているのだ。 剣道が面白いところはここなのだ! 『相手の心を読み、相手の心を動かす』 これが剣道の醍醐味なのだ。
形あるものの中に、微細な動きの中に『心』は見える。 見えるから、『観得る』に入って行くことが肝要だ。 達人から観れば凡人は明き盲なのだ。 何とか『観の目』を養いたい!
さて、その方法は?
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