目下、顔の修復(フェイス・レストレーション)の本を書いている。 その終わりに入れる文章です。
花の顔(かん)ばせ・・・
『「かんばせ」という日本語がある。それは単なる顔とは異なる。それは「顔ばせ」の音便であり、顔のあり方を現す。「何のかんばせあって」という語句こそ、その内容を言い尽くす。 「ばせ」とはあるものの様子や状態を現す。確かに、今日、美容産業は殷賑を極めるが、そのわりには良い顔が少ない。それは顔だけに関心を抱き、顔ばせを大切にしなかったからだろう。 顔ばせはその人の人格を担うばかりか、社会に対する配慮を十分に持つことによって成立するものである。一部の人は偽りあるものとして看板を軽視するが、本来、看板は実を現すものである。』 (『顔と表情との人間学』)より。
自分を愛する事を忘れた結果、歯をおろそかにした。 そして、ドミノ倒しの様に人相が崩れてきた。 自分を愛せない人は他人を愛せない。 そして、そのような人生に陥ってしまう。 今からでも遅くない。 自分の命を愛する結果として、歯を能力ある歯科医に治療してもらい。 本来の自分の顔を取り戻そう。 自分を心から愛し始めると、他人に優しくなってくる。 品のある慈愛に満ちた『顔ばせ』になる。 『慈悲観音』の顔の『顔ばせ』に慈愛を観る。 ・・・最近、妻が『観音様』に見えてくるときがある。 あるとき、妻には般若の様な形相と観音様の様な形相があることに気がついた。 妻の観音様のみを見続ける事にした。 妻が観音様になるように愛していこうと心に決めた。 西村はあるとき妻に『観音様』を彫り続ける事に決めたのだ。 そのように妻を愛する事を誓ったのだ。 そしたら、妻は同調し、そうなってきた。 妻の『顔ばせ』は妻と私の合作だ、二人の人生そのものだ。
西村と一緒に『顔ばせ』の基礎を作りませんか。
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