西村先生 そしてスタッフの皆さまお元気でいらしゃいますか。
先生の本とめぐり逢ったのが、2001年の12月頃だったと思います。 何度も何度も繰り返し読ませていただき、そして確信を持ち直に予約のTELをさせて頂きました。 そして、2002年の1月10日に予約がとれたのですが、その日まで待ちどうしくてしかたがありませんでした。 やっと1月10日がきて、東京駅に向かう新幹線の中でウキウキしていたのを、今でも思い出します。 それから1ヶ月月に一度、二週間に一度のペースで治療を受けていたのですが、全くと言っていいくらい痛みのない治療にもビックリしました。
それから約1年がすぎて、それまでは人と話しをする時、いつも口に手をあてながら話しをしていた私が、 今では、もうステキな笑顔美人になれたのです。 あのブサイクナ私の顔が、こんな笑顔美人になるなんて、 これも西村先生に出逢えた事の運命だと思っております。
私も51才になりましたが、これからの人生、明るく楽しく生きていけるようになりました。
西村先生 本当に、本当に、有り難うございました。 この感謝の気持は、何度言っても切りがないほどです。 これからの西村先生の益々の御活躍、くれぐれもお身体にはお気をつけてくださいませ。
西村先生、スタッフの皆さま方、 本当に、お世話になり、有り難うございました。
北○美○
歯科医冥利に尽きるお手紙です。 治療が感性するまでには、日数も回数もかかります。 それを大阪から約1年間通い続けたのです。 治療費もさることながら、交通費もかかります。 それに仕事や家庭の都合などを考えると相当な覚悟がいります。 お金も時間も期間も手術も全て覚悟をされた成果が、 ブサイクナ顔から→笑顔美人への変貌だったのです。 大掛かりな美容外科的な処置を施し顔を再建したのです。 長い間に出っ歯になり、その歯の支えの骨が大きく出て来て、ブサイクナ顔になっていたのです。 そのうえに被せた入れ歯は、彼女の顔をゴリラの様な顔貌にしてしまっていたのです。 やるほうも、されるほうも大変な手術をし、手間ひまかけて三組かけて仕上げました。 ブサイクナおばさん顔から、ステキなお姉さん顔に変わりました。 彼女の明るい性格も相まって、ステキな笑顔美人になたのです。 外に出て人に会うのが辛かった毎日から、周りを明るくするお姉さんになたのです。
西村は覚悟が出来た明るい人なら、別人位に変える自信があります。 先ずは時間、期間、回数、費用、少しは痛い事も我慢する。 このような十分な覚悟を持って来られればの話しです。
京都から来られる患者様。 歪んだ顔、ゆがんだ口元、右下の痛い入れ歯、等その人の人格まで変えてしまった顔貌は、無念、残念の二語に尽きる人生だったと思います。
この方は、自分が一番信頼する人の紹介で来られました。 約一年間、右下はインプラントにし、上は総義歯で完成しました。 体のゆがみを取り、顎のゆがみを取り、顔の寸法を回復し全く別人の様に、年は10才若返り、肌もつやつやして終わりました。
遠くから来られる人は『覚悟が出来ている。』。 結局はここが成功のポイントなのだ。
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