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- 噛み合わせ命に関わる - 西村雅興 [2014年4月18日(金)]



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噛み合わせ命に関わる
西村雅興
2014年4月18日(金)
歯科医のアプローチは全て同じではない。

今日からインプラントの学会が開かれる。

最近の外科手術手技の発達、新素材の発達は驚くべき進化がある。
患者様が望めば、信じられないことまで出きる時代だ。
しかし、本気の望めばの話しだが。
高額な経済的負担。
入院レベルの拘束期間。
危険リスクの負担。
完成までの数度の手術。
完成度の予後管理。

発表内容は多分にその先生の生き方が出ている。
内容は素晴らしいが、経営的にはどうだろうか?
それはやり過ぎではないだろうか?
歯科医・患者様・社会的環境の三つがバランスをとれたもの!

聞くほう・見るほうはそれなりに楽しい。

インプラントは本当に素晴らし技術だが、歯科医のレベルから見る素晴らしさ、患者様側から見る素晴らしさのバランスが絶妙でないと成功しない。
過度の期待をされた患者様には、誰がやっても失敗と評価される。
普通の期待度から見れば、素晴らしいと評価される。
ここが難しいところだ。

ここからが西村の意見。
西村は患者様の心・命・坑加齢・若返り、病気や症状の改善等の大きな見方からの一助として、インプラントを考えている。
どこの発表を見てもここのアプローチが弱い。

例-1
発表内容は先生の人柄があらわれる素晴らしい内容だった。
下顎は歯槽膿漏手術をし、インプラントを併用した歯牙の再構築は素晴らしかった。
上顎は右上の第二小臼歯、第一大臼歯の二本だけを残されていた。
そして、限りなく総義歯に近い部分入れ歯であった。
西村はおおお!と思った。
ヤバイ!
右足は革靴で、左足はゴム靴だ!
この左右のバランスはいずれ、顎の変位、顎の不調、そして顔の変形、頚椎異常となり姿勢の変形を引き起こし、種々病気。症状の種を播き残したことになる。
下顎の構築が完全だっただけに惜しい!と思った。

人間は面白いことに、この上顎の二本の歯があると、これまでの症状から解放されないのだ!
今の彼氏と付き合いながら、元彼と時々会って寝ている女の子、幸せから遠い人生になる。
こんな状況になるのだ。
もし彼と完全に切れれば新しい人生の扉が開くのだ!

この先生も患者様もそんなことは考えてもいない。
99%の歯科医はそうだろう。
しかし、西村は違うのだ!
この歯を抜けば、体は知っている。
算盤で「後和算で願いましては」となり、過去のしがらみから解放されることを。
そうすると、体は俄然と治癒力・免疫力を発揮し、今までの姿勢の歪みを直しに懸かる。
半年も経てば別人に生まれ変わる!
西村にとって「この二本の歯を愛を持って抜いてあげる!」この行為こそが『デンタル・ヒーリング』なのだ。
さらに、心の問題・姿勢のアプローチ・サプリメント・血液性状等を見せ、自ら命を慈しむ方向へ向けていく。
『第二段のデンタル・ヒーリング』なのだ。

これは西村の咬合を通して培った技術、七転八倒して気がついた心の世界、
西村がこの世に使命を持ってきた、天職の発露なのだ。

さて、この二本の歯を残すと、明るい人ならば、10年後に右の卒中、暗い人ならば5年後に左足の卒中になるかも知れない。
しかし、この二本を抜いてあげれば、15年は安泰なのだ!
癌の人に聞いてみよう。
「あなたが寿命を延ばせるとしたら、全財産を投げ出しますか?」
その返事はどうだろう。

知らない世界で危険に近づいている。
目の前に落とし穴があるのに気がつかない!
でも!知っているのは西村だけだ。

中日の近藤選手が若干19才のデビュー戦で巨人をシャッタアウトした。
その写真をそのときハワイに歯科の勉強に行っていてた時、日本で購入した近藤選手の写真をカメラで撮っていたのが西村だ。
1987年8月25日なのだ。
『気毒に肩を壊す!若い有望な選手の前に大きな落とし穴が見える!』
その後、学会(1987年9月)でその予測を回発表し、論文にも書いた。
1989年春、全てのスポーツ紙の一面に大きく報道された。
『近藤選手今期絶望!きょう緊急渡米-星野V2構想大狂い!』
さて、後日のことであるが、西村の弟子が星野監督に「東京の西村先生にかかると治るかも知れない。」と言ったが取りあわなかった。
今はスカウト・マンになっていると聞くが、それも息の長い仕事で良かったのかも知れない。

明治村剣道大会で八段戦で三回優勝された、警視庁の主席師範・佐藤博信先生は私の手紙を読まれ
「100%先生の言う通です。
今年は主席師範になった年で治療には行けません。
しかし、一年後必ずお伺いします。
よろしくお願いします。」と丁寧なお手紙を頂いた。
そして、一年後来院され、右肩が動くようになった。
そうすると、肩の故障で外されていた明治村の選手に返り咲き、四回目の優勝をされた。
ちなみに、西村の師匠・原田源次先生が三回戦で佐藤博信先生と対戦し佐藤先生が勝たれ、優勝された。
以後、先生の肩は西村が管理をしている。

ちなみに、永松陟先生は西村がお願いして、ほぼ完璧な義歯を入れた。
お年と全く違う若々しいさは西村のエネルギーが参加をしていると自負している。

この話しを佐藤先生と話すと、「そうなんだよ!彼はどう見ても年に見えないんだよ!背筋も伸び髪も黒々っして、スリムなんだよな!
その秘密の一端が西村先生だったんだ!」とにこやかに笑いながら言われた。

お二人とも人柄が凄く良い!
これが西村が救ってあげたいと思った同期だ。

師匠・原田源次先生のひどい肩凝りは1回の治療で直した。
しかし、岩手と東京は遠すぎるのか?
稽古前の先生の目の細さが気にかかる。
稽古後には目が大きくなる。
西村が全剣連合同稽古の稽古の日に早めに上京され、西村に口を見せるように言うのだが、遠慮をされて来られない。
それでCOQ10とマルチビタミンを贈り、長生き願って祈っている!

これを読まれた、原田源次先生の娘さん、岩崎先生、菅先生にお願いします。
西村のところへ行って歯の噛み合わせを調整するように言って下さい。
盛岡三校の剣道部の卒業生で歯科医になった後輩が見ていますが、噛合せを本当に治せるのは西村しかいません。
この後輩と西村の二人で先生のお口をサポートして、長生きさせたいと思っています。
上京の時間を早めて来院。
翌日、帰盛前に調整。
是非!話しをつけて下さい。
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