この度はすばらいい先生にお世話になれました事は本当にうれしく思っております。 十九日の治療の後、一年半ぶりに食事がおいしく自分で噛むことが出来、夜もぐっすり眠れました。 十一月に七十八歳になりますが、人生最後の姿を自分で責任を持って終わりたいと願っておりましたので、終わりよければすべて良しと申しますから幸せであったと喜んでおります。 すべての公職を終わり、平成十一年の九月から歯の治療を始めましたが、なかなか思うような結果が出ずに不安に思っておりましたところ、先生の著書を拝見し、ぜひお伺いしたいと考えておりました。 今回は好機に恵まれ、歯の治療をしていただくことになり、大変感謝いたしております。 まだ華道教授は現役でございますので、火、水、木は時間がとれません。 治療時間には勝手を申しますがお許し気ださい。 今後ともよろしく申し上げます。 平成十三年十月 澤○貞智子 西村雅興先生
この方は最初に来院された時は入れ歯が惨憺たる状況で、そのために言語がはっきりせず、気力もなく、陰が薄い状況でした。 上手く噛めないと首方が凝り固まり、頭に血液が十分に回らなくなるからです。 最初会った時はぼけ症状が出始めているのかと感じました。 顎の関節は亜脱臼しており、上手く可動せず、口の回りに筋肉もカチンカチンになっていました。 当然首の筋肉も凝り固まっていました。 口の開閉も十分出来ない状況でした。 このような身体の状況では脳が鬱血して思考がぼんやりとし、舌の裏の静脈が同じく鬱血し舌が十分に回らなくなります。 次に起きるのは、年齢的にぼけ症状か、卒中、脳梗塞の様な命に関わる大事が起きます。 西村はこのような人はほってはおけないのです。 先ず肩・首を針でほぐし、口回りを特殊なマッサージでほぐし、顎関節をほぐしやっと口が開くようにしました。 それから上の入れ歯がビクともしないようにして、下の入れ歯を調整しはじめました。 来られたのは十二時頃かと思います。 それから昼休み抜きで三時間調整しました。 首筋は伸び、目はパッチリ開き、口も自由に大きく開くようになりました。下の入れ歯も安定し、何とか救急状態を脱したと思いました。 帰りは十歳ぐらい若返った感じになったので、本人も従業員もびっくりしていました。 お手紙はこの日の感激を書かれたものです。 久々に自分で噛めるようになり、その夜ぐっすり寝むれたと書かれているのは顎の関節が落ち着き、脳の鬱血がとれて良く眠れたのです。
それから本格的に始まり、三段階の入れ歯の変遷を経て最高の入れ歯が出来上がりました。 最後は少し時間がかかりましたが、それは昔の出っ歯ぎみの歯並びを欲しがられたのでその調整に時間がかかりました。 本人の性格・人柄・物腰・お話の仕方から品良く歯を並べ最高の顔つきに出来たと思ったのです。 しかし、本人はもっと歯を出してくれとせがまれます。 ここからこれ以上歯を出せば、せっかく奇麗な品の良い顔を崩してしまうと西村の心の中にかなりの抵抗感がありました。 本人の昔の写真を見るとなるほどかなり出ているのです。 少しずつ出っ歯にしていきました。 するとその度に喜ばれて帰ります。 次回ももう少しだしてくれと言われます。 これを何回か繰り返して行きました。 西村としては不本意な歯並びですが、当の本人は大喜びです。 そして納得された歯並びで終わりました。 ニコニコとして、感謝の言葉をいただきました。 美的には歯科医から見て良いものも、やはり本人は昔懐かし自分の顔の快復を望まれているのだと教えられました。 入れ歯が完成したころは背筋も伸び、言語も明瞭になり、目の大きさは来院時の三倍ぐらい大きくなりました。 はつらつとした雰囲気はもうすぐ七十を迎えるかと思うぐらいになりました。 実年齢を十歳若く見える程になったのです。 来院された時は八十過ぎかと思った人がです。 手紙の文面からも判るように、しっかりとした人生観の持ち主です。 このような方はどんなに難しそうでも、必ず入れ歯は仕上がります。
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