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- Mさんからのメールから。 - 西村雅興 [2003年7月26日(土)]



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Mさんからのメールから。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2003年7月26日(土)
"ある患者様のメールからの考察。

西村先生
昨日、初診で診て頂いたにもかかわらず外科治療まで施していただいたM
です。
先生のホームページや書物で、噛み合わせと首の痛みの関係を想像していましたが、
当たりを修正して頂いた事で本当に一晩でほとんど痛みがなくなりました。
技術をもって治療していただきたい時に、自分の表現ひとつでそのチャンスを失っていたという事を、昨日気づきました。
自分の体が「本来の状態になりたい」と言っているように感じます。
本日も元気に稽古をしてまいります。
ありがとうございました。
                                  M 拝

Mさんから頂いたメールです。
インターネットのホームページを見られて来院された方です。

予診表の欄には(インターネットを見て)と書いてありました。
痛い所を治して欲しいに○
保険で治して欲しいに ○
がついていました。
歯科医の立場から見れば「痛みが取れるだけで良い、お金の話はしないでくれ。」と読み取ります。

飛び込みで始めて来院され、
悪い所は全部治して欲しいに○
費用が懸かっても、最高の治療をして欲しいに○
歯科医の立場から見れば、この人は嘘つきの出任せの人と判断します。
相手がどういう先生か判らないのに、この○の付け方はおかしい。
紹介の人がしっかりした人だったり、西村の本をお読みになって遠方から来院去れた場合はそのままに受け取ります。

さて、Mさんの場合ですが、彼がいい加減な気持で来院されたとは思いません。
(インターネットのホームページを見られて来院)とその思いを書いてありますから、本気で来院されたのです。
彼の家から西村歯科医院までの間に、何医院の歯科医が有ったかと思えば、それなりの思いが有って来院されたのです。

西村が二百万円位頂いて、一年懸かりで治した患者様の紹介で来院された患者様(小さな会社の社長さん)でも、Mさんと同じように○をつけられます。
お話をすると、社長さんでもあるし、目下経営困難と言うことでもなさそうです。
どうして、信頼出きる人からの紹介で、わざわざ来院されたでしょうか。「よーし!俺もそこに行ってしっかり治してみたい!」との思いで来院あされたのです。
しかし、○をつけたところは
悪い所は全部治して欲しいに○
保険で治して欲しいに○
がついています。

どうしてこんな事が起きるのでしょう。
ここには、ほとんどの人が落ち込む『意識の空白』があるからです。

日本の医療は相対的にですが、
医師側には『医者が治してやる』の思い上がった意識があります。
患者様側には『先生!宜しくお願いします。』のへりくだった意識があります。
(最近はこの関係が崩れて来ていますが。
昔は「お医者様」今は「医者」の感覚になりつつあります。)

心理療法の世界に『交流分析』なる手法があります。
言葉、態度から心の奥底を見るのです。

Pをペアレント(少し傲慢で、命令口調、その代わりお金は自分が持つ)
Aをアダルト(社会性を持った大人の合理的な意識で、対価交換の意識を持っている、品物等に対して等価の代金を支払う))
Cをチャイルド(甘えた、依存的口調、お金を払う意志は全く無い)

C子供が→P親に対して。
「お母さんおやつちょうだい!」
P親が→C子供対して。
「はいはい、判りましたよ。
おやつはあげますから、よく手を洗ってから食べなさいよ。」

これは、PがCに明らかに優位に立った立場の言葉です。
親は命令口調で、目下の者に対する話し方です。
そのかわり、親は子供からおやつ代を取りません(請求しません)。
子供も親にお金を支払うなど、思いもしません。

大きな分別ある大人でも、病院、医院、歯科医院に行くと、精神的にA(社会性を持った大人の合理的な意識)から、→C(甘えた、依存的口調)
になってしまうのです。
そこで、無意識にそのような○をつけてしまいます。
ちょっと考えれば、良いものが易く手に入るわけはない、そんな事は十分承知しているのですが。

Mさん:インターネットのホームページを見られて来院された方
社長さん:患者様の紹介で来院された患者様(小さな会社の社長さん)
このお二人が、予診表を書くときに、そこの環境から無意識にC子供の心理的状況に陥ってしまっていたのです。

Mさんはしっかりした会社の社員のことですし、雰囲気もしっかりしたかたでした。
それでも、この環境の罠に嵌まってしまうのです。
現在の保険医療体制が、さらにそれを助長しています。

西村は○のつけた所を見て、一応参考にはしますが、その人と十分接してから、改めて判断をすることにしています。

最初会った時、その人はそれなりに判断が出来ます。
○のつけた位置と違和感を感じます。
そこで、お金の話をしないで西村が出来うる、十分な治療をします。
その手間はお金に換算すると当然赤字です。
しかし、『(インターネットのホームページを見られて来院)とその思いを書いてありますから、本気で来院されたのです。』この思いに対して、誠心誠意の治療を致します。

治療が一段楽し、患者様も心落ち着いた頃を見計らって、少しお話をします。

『「この話しは、しっかりとした紹介者、それから貴方の様にわざわざホームページを見られて、遠方から来院された方だけに話すのですが」と前置きを言います。
痛い所を治して欲しいに○
保険で治して欲しいに ○
がついていました。
歯科医の立場から見れば「痛みが取れるだけで良い、お金の話はしないでくれ。」と読み取ります。
しかし、予診表の欄には(インターネットを見て)と書いてありましたので、お話しをします。

『貴方がホームページを読まれ、「ここの歯科医院は何かが違うぞ!、ここに行ってみよう!」との思いでこられたと思います。
そこで、西村はその思いに答えるべく、しっかりと治療は致しました。
普通の飛び込みの患者様には、当たるところを弱くして、患部に調薬、後は内服薬を投与して、五分で終わる処置で終了です。
相手の思い以上に治療をすると嫌われるし、文句を言われます。
相手の思い以下の治療をすると、失望され医院を離れられます。
さて、この外科処置の後、『針麻酔の応用』を致しますと、術後の疼痛は著しく緩和されます。
ハリの分は五千円頂いておりますが、どうしましょうか、と聞きました。』
すると、それを依頼されたので、その処置をしました。
噛合せが少し複雑なのと、首・肩の凝りの典型的な乱れが有ったので、それを少しばかり修正しました。
(本来は五万円の了承を得てから、予約をしてもらいする処置です
あるお二人に方からの紹介の時は十万円です(数回、回数を懸けて処置をしますから。)
それで、首の痛みが取れたと思います。

この話しをするには、歯科医師側にもとても勇気がいることです。

Mさんは「ものが見えなくて、失礼をしました、」と言われました。
この逆に真っ赤になって、怒られる方もいます。

耳障りが良く、当たりの良いだけの治療は決して良い結果にはなりません。
是を『ソフ・トラブ』と言います。
少し気分に引っ掛かるかもしれませんが、相手の為を思って、心からの情報を提供し、処置をする。
時には話した自分に、嫌な思いを返されるかも知れない。
しかし、そこを相手のためを思ってあえて勇気を持って話す。
是を『ハード・ラブ』と言います。

世の中の様々な事はこの『ハード・ラブ」が無いと、問い結果にはなりません。
西村が今あるのは、いつもこの方に対した様に、『ハード・ラブ』を心がけたからです。
大切な事柄に覆いをかけて、その場しのぎの行動をせず、あえて敢然と対応してきたからです。
人生の最後に『自分は自分の本心に正直に生きた!」と言って死にたいからです。

今回、Mさんからのメールは西村のものだけにするには勿体なくて、考察を入れて書いてみました。
Mさん、有り難うございました。

【参考までに】ある剣道家とのやり取り。
『『受け入れてしまえば、これ平常心』』
西村雅興 [HomePage] [Mail]
6月9日(日)
西村先生ありがとうございます。
いま、ひとつ問題がありまして、始めから近い間合いの人に
対することです。
この場合、攻められたこちらが反応しなくても、既に打てる間合いに
入られているので、易々と打たれてしまいます。
このあたりが課題です。間合いに入られるのが問題ではあるのですが。
でも、もともと近い人は構えた時点でそのあたりに居るので苦労します。
明日の朝稽古で自分自身の確認をして見ます。
最初から間合が近い人がいます。
剣道にならないので困ってしまいます。
厚かましい人に多いです。
折角の剣道がだいなしになってしまいます。
困ったものです。
西村にも良い解決方法がありません。
しかし、「易々と打たれてしまいます。」は感心しません。
間合がどうあろうと、中心が崩れなければ打たれません。
蹲踞の時点で気分で先を取られて、そのまま立ち上がってしまったのではないでしょうか。
立った時に先をとられていて、自分では無意識に相手の動作に反応していると思います。
(自分では反応していない積もりですが)
相手はしっかり貴方の反応を見て打っています。
『お地蔵さんに刀を持たせ、真っ正面から打って出れる人はいません。』
打たれたくない気持ちが、相手の攻めに無意識に防御に回り、その逆をつかれているのだと思います。
打たれる時は必ず竹刀の先を中心から外され、左手を浮かされています。
結局、相手の先に反応し相手の攻めを押さえに行っているか、防御に回っているかのどちらかです。
相手は先生の弱点を十分承知している人だと思います。
先生ほどの腕前に易々と打てるには、そうとしか考えられません。
一度ビデオで撮ってみると良く分かると思います。
最初から近間に入られて、困って嫌な顔をしている先生が目に浮かびます。
その時点で勝負ありですね。
困らないで、そう来るか!と受け止めれば、心は平静、普段のままです。
『受け入れてしまえば、これ平常心』
嫌な相手ならば、次回から稽古をお願いしないことです。
解決方法はこれが一番速いです。
苦手な相手ならばその理由を自分に見つけなければなりません。
相手と自分の関係を工夫したければ、対処方法が分かるまでやることです。
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関係性の感情の処理!
西村雅興 [HomePage] [Mail]
6月9日(日)
剣道も人間関係も全く同じだと思います。
精神世界ではこの解決方法の言葉があります。
『相手を許す』
『相手を受け入れる』
問題は必ず両者の関係で成り立っているわけですから。
『病気は必ず関係性の問題で起こる。』
この関係性の解決の一つの方法です。
自然と人間の関係性では環境問題です。
対人関係では感情のもつれです。
『義理と見栄を捨てれば、病気は治る!』
身体を壊す感情は、義理と見栄を重きに置く生き方から発生します。
打たれたくないとの思いが、防御として反応します。
打ちたいと思う心が相手に読まれます。
それは無意識が打たれたくないと思えば、必ず無意識が防御に身体を動かします。
自分の無意識がなす身体の反応は、自分では感知することは出来ません。
剣道の攻めは相手のこの感情を起こさせ、裏を取る作業です。
相手にこの感情が起きれば、相手の心は自分の手の平に乗ったと言います。
自分にこの感情が起これば、相手にここを遣われます。
剣道でよく云う『相手を良く遣った・遣われた』です。:遣った(操り動かす)
西村は剣道では攻めますが、打ちたい、打たれたくないの感情は余りありません。
そうすると、相手のこの感情が良く見えます。
その相手の感情を手の平に乗せれば、相手が自分から打ち所をさしだします。
そうでなければ、そうなる様にお誘いいたします。
その結果、打った打たれたと云うことになります。
その中間に返し技が生きてきます。
最近の西村はシンプルライフを心がけています。
マイマスの感情が起こる場合、昔は解決(許す心)を心がけましたが、今ではエネルギーの無駄を感じた時は関係性を断ちます。
それ故、嫌な患者様は治療いたしません。
嫌な相手とは剣道をいたいません。
相手に気に入られる様に努力はせず、義理と見栄を張らずに生きています。
英語版の『マイウエイ』が私の生き方です。
この歌はポールアンカがフランクシナトラに捧げた歌と聞きます。
色んな評判があるようですが、シナトラの生き方を歌った歌と思います。
今死に臨んだ自分のことをを懐古して、「自分の人生は間違っていなかった」の内容です。
この歌を聞く度に、このように生きると決心した、十五年前の日のことを思い出し、目に涙が浮かびます。
西村の人生の応援歌です。
『死に臨んで、人生悔い無し!と言って死ねるか!』
実際、数年前この状況に出あって、自分の心、生き方を死に臨んで確認いたしました。
『自分の人生悔い無し!』と感じた自分を思いだします。
この時から西村は剣道も人生も修業としない感じになってしまいました。
剣道ができる喜び、生きている喜びの世界に浸っています。
『剣道は死ぬまで修業』の全く逆の生き方です。
マイ・ウエイ
いま船出が 近づくこの時に ふとたたずみ 私は振り返る
  遠く旅して 歩いた若い日よ すべて心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
  君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
  すべては心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
  君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
  すべては心の決めたままに
                             [詞:中島淳]
      My Way             Japanese v.
And now the end is near And so I face that final curtain
My friends, I'll make it clear I'll state my case of which I am certain
I've lived a life that's full I traveled each and every highway
And more, much more I did it my way
Regrets, I had a few But then again, too few to mention
I did what I had to do I saw it through without exemption
I planned each charted course Each careful step along the byway
And more, much, much more I did it my way
Yes there were times, I'm sure you knew
  When I bit off more than I could chew
But through it all when there was doubt
  I ate it up and spit it out
I placed the goal and I stood tall
  And did it my way
For what is a man, what has he got?
  If not himself than he has not
Not to say the things that he truly feels
  And not the words of someone who kneels
Let the record show I took all the blows
  And did it my way
                                      [lyric:Paul Anka]
http://www1.ocn.ne.jp/~yoshi/myway/mywayE.htm
を開いて、しみじみとお聞き下さい。
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古本先生からのお返事!
西村雅興 [HomePage] [Mail]
8月14日(水)
西村先生
非常に重たい、示唆ですね。
人生そのものの、生き方に関係してきます。
私は、まだまだ、簡単に割り切ることができません。
すべての相手と対応できるように模索しています。
「相手を許す」ことも「相手を受け入れる」
私は、性格上ある程度、相手を許すことができるのですが、
結局のところ、対峙した状態でやはり無意識を攻められているのだと思います。
相手の先に対して、知らない内に反応させられているのだと思いました。
知らない振りをすることが、できないのですね。
先生の人生の応援歌
マイウエイ
日本語の歌はよく聞きます。
いい歌だという認識はあったのですが、
先生から示された英語の歌詞によると
もっとはるかにに重い、人生の終局の歌だったのですね。
人生を振り返って、よかったと思える人生をいきことができれば
非常にすばらしいことと思います。
我々は、すべてそれを目標に生きているのだと思います。
そのために剣道をして人生の修行を積んでいるのだと、
私は思います。
先生、マイウエイ有難うございます。
この気分ですね。
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