奥川金十郎 剣道・居合道八段範師 先生追悼集より
「無念無想という事は、真理を追究する事だと思います。新陰流上泉伊勢守が柳生石船斉に稽古の極意を説いた。
うつるとも月は思わずうつすとも 水も思わぬ猿沢の池
私はこの意味を安易に考えていました。 それが70歳になってようやくわかりました。 「以来、わたしは剣道をやるのに意識を用いません。 体だけで剣道をやります。 体だけで剣道をやって知能的な指令を一切排除する、これが剣道の真実です。 勝ってどこを打ったかわからない。 負けてどこを打たれたのかわからない。 これが剣の大成の絶対条件だろうと思っています。 わかりにくいと思いますが、これがどうして真理の追究につながるのか。 邪念を打ち払い狭い主観にとらわれない境地を自分でつくっていくということは極めてむずかしいことです。 何物にもとらわれない眼でものを見る境地ですねえ」
『それ、剣法正伝真の極意は別に法なし、 敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり。 敵の好む所とは何ぞや。・・・・ 我が体を総て敵に任せ、敵の好む処に随ひ・・・』 剣道をやるのに意識を用いない、という話を聞いてふと思い起こした山岡鉄舟の言葉であった。
これだけの名剣士ですら、70歳にして初めてわかったのだ!!
森田文十郎先生『腰と丹田で行う剣道』 剣道の専門家が二足歩行対角線運動の交叉点を丹田と悟った。 茶巾絞りも同様であった。 しかし、剣道の専門家が58歳にしてやっと気づいたとは、恐れ入るほど遅すぎると思う。
剣道が如何に『百連自得』の世界に終始し、そこに行われている多くの要素を如何に科学的検証をして来なかったかがわかる。
切り割り『七分三分』は念流の極意、柳生流の切り落としの極意も、西村では左足のひどい座骨神経痛で一歩すら前に足が出ない時の、京都の朝稽古で悟った。 そして、その効果が何故なのか、足が治るに従い切り落としの冴えが無くなってくる理由を検証した。
西村に教わった人が直ぐに昇段するのは、その人の欠点と足りない所の勘所をしっかり押さえているからだ。 それは剣道を科学的に検証して来たから直ぐにわかるのだ! 形あるのもの検証は意外に易しい。 しかし、形がない世界の追求は意外に難しい。 ここを教えるにはその人の人柄に尽きるからだ。 私の問題ではない、教わる人の心の感性によるからだ。 私の師匠もそこを大きく感じているものと思う。
どの本を読んでも、相手の心が映るまでである。 武蔵の『放心作用』に至っては満足なる解答がない。 西村の意識エネルギーが相手の身体に入って行く体験をすれば簡単な事なのだが。 かって、軽井沢の別荘で2日間のこの手のセミナーをした事がある。 程度の差こそあれ、全員が理解をし、実践できる様になった。
西村の過去の親記事一覧表を回顧して噛み締めて欲しい。 あなたが欲しいものを発見できるかもしれない。
目から鱗が落ちた!!!! 『月影』を読まれた多くの剣道家からの反応であった! 他にもお宝が埋もれている。 この掲示板がある間のチャンスです!
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