最近、剣道の研究も一通り終わった様な気がする。 行き着くところは『智』に行き着く。 しかし、本当はこれの人生の活用にあるのだ。
さて、剣道を振り返ってみると不思議な事が多かった。
・高校時代世田谷区の国士舘高校との大将戦で胴を打って勝っていた。 旗が上がって勝ったが、当人は相手に何を打って勝ったか全くわからなかった。
・賀来先生との名古屋での稽古で不思議な体験をした。 前に出ようと思った瞬間に内小手を打たれていた。 手元は全く動かさないのに、見事に小手を打たれるのだ。 手元は腰に付けていて全く動いていないのにだ。 これには頭を抱えてしまった。
・原田先生にはズーッとであったが、ここ!と思って打ったら胴に抜かれていた。
・北海道の古川先生が微動だにする事なく、賀来先生に大きな面を三本打たれていた。 ただ案山子の様に打たれていたのだ。 賀来先生が「西村は二本くらい面をとっても納得しないから、三本打ってみた。」と云われた。
・あるとき七段の先生に面を打っていた。 通り抜けた後、面を打ったらしいと気がついた。 相手は全く動かなかった。 この光景を頭上右上2メートルぐらい上からビデオを撮っている様に鮮明な映像が出てくるのだ。 その光景は意識をすれば何度でも見れるのだ。
・原田先生と稽古をして、時に見事に面が入る事がある。 この時は後で判るのだが、先生の心がそこになかった時、特に体調が優れなかったとき、逆に西村の意識が非常に高まっていた時だ。 先生の心、体調はは帰りの車中で先生から聞いて判ったのだ。 西村の感性がそれをしっかり受け止めている事になる。
・高校時代までは本当に試合は強かった。 今、思い出そうと思うが試合に臨んで何も考えずにただ打っていた様な気がする。 何も思い出せないのだ。 稽古量、身体能力、感性だけで竹刀を振っていた様な気がする。
・剣道の奥の深さを初めて感じたとき。 28歳のとき、歯科大学の四年生(六年遅れで大学に入学)で主将をしていた時だった。 昇段試験の前日の講習会で原田先生を見た。 剣道具の用意をしていなかったが、後輩の剣道着、防具、竹刀を借りて即席で格好を付け先生に稽古をお願いした。 名声はかねがね聞いていたが初めて稽古をお願いする。 最初の内は先生の大きさは普通、少し経つと仁王様の様に3メートルくらいの大きさに感じ始めた。 しばらくすると目の前が真っ暗になりふらっとした。 そのとき、先生がそれまでと声をかけてくれて、視界が開けた。 その日の夕方6時に寝て、翌日12時まで目が開かなかった。 18時間寝続けたのだ。 目が開いても一時間は体が動かず、やっと気を取り直して五段の昇段審査へ向かった。(本来の受付は午前9時だったが、何とか受け付けてもらった) こんな先生と稽古をすれば強くなる訳だとつくづく思った。
あんな事、こんな事いろいろ体験して行くと、自分の体験の奥にある心理、真理、理合、極意を知りたくなった。 歯科医としては噛み合わせからの人間の探求をし、重心と姿勢、噛み合わせ症状と身体の相関関係、ストレスと心の重要性などを深く探求し、学会、論文などを数多く発表していた。 この分析能力を剣道に向けたのだ。 何と面白い事か!今まで不可解な事が極意書には書いてあるし、体の生理的機能的関係は剣道の動きの基本であったりする。 それに二足歩行の原則がそのまま剣道に当てはまる。 さらに、西村の深層心理学と行動療法の研究はそのまま当てはまる。 ここからは一般的でないが、意識波動で相手の身体に入って行ける世界、見えないが感じる世界、超能力的世界、奇跡の世界等を数多く体験している西村には剣道で起きている次元はそれほど高い次元の現象ではない事に気がついた。 剣道では『不動智』の『智』に相当する世界が究極のところである。
しかし、他のある種の世界では『智』は常識で、そのものを治療に使ったり、人生を生きる指針・展開にしているのが現状なのだ。
剣道に話を戻すと・・・ ・賀来先生は西村が前に出ると無意識が決めた瞬間、それを察知している。 重心が体内で少しでも前に動いた瞬間、そこを捉えるのだ。 ・賀来先生は相手の反撃に対して全く思慮に入れていない。 葛藤なく打ちたい様に打つから、相手も先生に付いて行けない。
・原田先生は西村が前に出ると無意識が決めた瞬間、それを察知している。 そして、後戻りが出来なくなる動きに入った瞬間、先生の感性が勝手に相手に対応しているのだ。 原田先生の場合は右足から静かに大きくゆったりと右胸を見せポッカリ空間が空いた所に吸い込む様に相手を引き出し、誘導する。
日本の最上位にある八十歳を超える名範師九段、八段と稽古をするとはっきり判る事がある。 『思った時点で、思いを捕まえられている。 そこで、西村の得意技・・・思わない!である。』 これは『覚り(さとり)(さとりという獣の話がある)』に尽きるにだ。 思ってない事は読みようがない世界に入って行く。 後は『智に任せる』なのだ。 これならば最高位の先生に互角以上に対応が出来る。
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