今回は、松原輝幸 範士八段の著書 『最強の剣道』から学ぶ
稽古相手が不思議な体験をするように 八段合格し、明治村で優勝してから、全国で立ち会う相手に不思議な体験をする人が増えていった。
身長180センチもあろうかと大きな体をした相手が、身長168センチの私の小手を打とうとする。 その瞬間、私は構えたままスッと前に出る。
すると、私の剣先が相手の咽に当たる前々に、相手が後ろへひっくり返ってしまうのである。 構えを解いて、どうしたのか尋ねても、相手は 「急に強く押された感じがした」と首を傾げるばかりなのだ。
攻め合から自分の間合いに入っただけで、相手がドタンと倒れてしまうこともあった
これらの出来事は物理的に説明はできないが、やはり相手を”気”で圧倒したのだろう。
その後60才で脳梗塞で倒れるが、何とか剣道が出来るようになった。 もう相手に勝つ、負ける、ということは大きな問題ではなかった。 剣道が出来ること自体が大勝利だったからだ。 無欲、無心でいられるのが”気の剣道”である。
稽古会に呼ばれることが多い。 その際、稽古相手が、構えた瞬間からなぜか下がってしまうのである。 相手に触れずに勝ってしまう感じだ。 私の方は何もしていないのに、オーラに押されてしまうのだ。 最近、堀口先生が言っていた「力ではダメだ」という意味がやっと分った気がする。 「相手を打つ前に、まず気で勝つ。 打って勝つのではなく、勝って打つ」 無心になるというのも、言うのは容易だが、行うのは難しい。 範士になった頃は色々な目標、言い換えれば”邪心”があった。 役職も趣味を楽しもうという気持ちも薄れた。 今はただ、自分の剣道を追求したいだけである。 無欲になったというのは「諦めた」ということでもある。
気を会得することは、力任せに数を打つことではない。 無欲無心で得られるのが”気”の剣道である。 剣道に限らず。力を抜き、無心でことに当たることで道が開けることは多い。
強いで通し、”松原の面”と言われた範士の剣道の修行の流れである。
前から松原先生の気当たりで相手がひっくり返るとかの記事を読んだことがある。 西村的にはやっとこのレベルの先生が出現したかと喜んでいた。
さて、意識の波動で相手に影響を与える次元の話をしても、ほとんどの人は眉唾ものと耳を傾けてくれない。 西村に実際に体験させられて、そうかな?のレベルの理解になる。 残念ながら強い遠当てをできるレベルには西村は無いが、相手の気をかなりコントロール出来るレベルニアある。 これをセミナーで教えたこともある。 剣道は究極はこのレベルの意識波動の押し合いである。 意識波動を強烈にすると相手の心は怯え(おびえ)目は開いているが心の目は閉じて、居着きの状態になる。 これを勝って打つと表現している。 これでは”殺人剣”のレベルでしかない。 押し合った意識波動を少し強め、これに相手が押し返した瞬間、スッと緩めると、相手は壁が急に暖簾の感じ、おっとっとと(シメタ)と勘違いして打って出て来る。 (勘の鈍い人には首筋の後ろを緩め面を見せる。) この潜在意識のレベルでの予備動作は察知が簡単で、その起こりの瞬間に入り身となって、間を盗み、相手の顕在意識が左拳の動きになった瞬間、自分の無意識が相手の動きに合わせて捌いて取る。 このとき頭は参加せず、ただ意識波動を緩め打たれに入る覚悟だけあれば、体がかってに、手も勝手に動く。 これを相手を働かせて取る”活人剣”という。
これを読まれた先生方は”気”についての動画・本等を参照して、実際に門を叩いて経験されると。違う次元の剣道家になることは請け合いだ。 幸い、気で相手をすっ飛ばすとか、相手をねじ伏せるとか動画で見られる。
私の回りには正真正銘「超能力者」が多くいる。 西村も咬合と全身症状については超能力者のレベルと自負している。 これは自分が開発したというよりは天啓(神様が教えてくれた)の結果である。 最初はその現象に戸惑ったが、今では常識のレベルになっている。
気の世界、遠当てが出来る世界、気の玉を相手にぶつけてすっ飛ばす世界からみれば常識なのだ。 ただし、受け手の感受性が低いと思った程の効果が起きない。
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