『人生は、はかないものです!』 心の奥から何かを感じたら、剣道は勝手に変わって来ます! その心の変化が剣道という動きに表れたのです。 その変化の程を稽古で感じてみたいと今から期待しています。
『人生は、はかないものです!』 人は死を意識したときから、本当の意味で生きていく。 それまでは人は永遠に生きているものだと錯覚している。 西村は父の死の床で、ら旋状になったお線香の火の番を朝までしながら、「徳川家康」の13巻の最後の巻、家康最期の瞬間を本を読んで明かしました。 翌日、お坊様の家族への最後に聞いたお経が体の芯にしみ込みました。 以後、西村の生き方はかなり強烈な人生になりました。 「死ぬとき、絶対悔いの無い最期でありたい!」 この思いでした。 28歳、歯科大二年生の時でした。 以後、人生の選択は命を賭けて決めてきました。 それから28年後、心臓に何かを感じ死を覚悟したときがあります。 その時、自分に問いました、「お前はこの人生に悔いがあるか・・・・無い!」 死を意識したとき、人生に悔いがなく、心が静かな自分に気がつきました。 死んだら妻に会えないのが寂しい!・・・だけでした。 西村はこの時を限りに、剣道修業は止めました。 死に臨んで静かな心に、さらに修業の必要があるとは思えなかったからです。 この時、西村が支えた人達が、今度は西村を支えて生き返らせてくれました。 その嬉しさで、三日間軽井沢の別荘でうれし泣きで過ごしました。 西村の天職を通して人を救う使命があると、真に気がつきました。 この一点で生きる決心を改めてしました。
さて、剣道が変わりました。 死に臨んで静かな心を持っているのに、堅牢な防具を身にまとい、それに相手が竹で打ちに来るだけなのに心が動くわけが無い。 以後、どんな相手がどんなに面を打ってきても心は静かです。 松風館で新進気鋭の50歳前の若手二人の八段と稽古をしました。 相手は面を打つと体で意思表示をします。 西村は面に来れば咽を突き殺すと体で意思表示をします。 それでも相手は西村に大きな面を打ってきた。 当然のごとく、咽に竹刀は突き刺ささります。 これに懲りず、もう一度来ました。 結果は同じです。 お二人とも同じ結果でした。 西村の突きにお二人とも2回づつ突き殺されています。 有名な新進気鋭の教士八段も竹刀競技の卓越者でしかありませんでした。 人生の肚は修羅場をくぐってきた西村の前では竹刀競技は歯が立ちませんでした。
熊先生が奥様を亡くされて直ぐの京都でお会いしたとき、その心の有り様に『侍』を感じました。 奥様が亡くなる時には、十分に心着なく奥様とお別れをされていた心境を聞いたときです。 この先生も「剣道がしっかり人生を支えている。」と感じました。 これが名実共に八段なのだと感じました。 さらにその精神がカナダ生まれの息子様に引き次がれている剣道ぶりには改めて感服致しました。
剣道は人生の鏡になれば剣術・竹刀ゲームから本物の剣道になっていく。 そぶべい様も本物の剣道の門をくぐられた様です。
参考までに28歳の時に聞いた{白骨の章}を書いておきます。 最後の一行「阿弥陀仏〜〜〜」を外せば、それは宗旨は無関係になります。
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫(もとのしずく)・末の露(すえのつゆ)よりも繁しといえり。 されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二(ふたつ)の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属(ろくしん・けんぞく)集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。 西村の財布、衣服のどこかにこの文章のコピーが何時も入っています。 毎日を悔いの無い人生を送っているかを自分に問う為です。
最近はNHKの「功名が辻」を見ながら、一豊と千代の夫婦の有り様を見て、 自分に投影して涙を流して見ています。 まさに西村の夫婦はそのようなのです。 それが西村の一番の幸せです。
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