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- 今日は全日本選手権 - 西村雅興 [2007年11月4日(日)]
恥ずかしながら追伸 - 西村雅興 [2007年11月4日(日)]
Re:今日は全日本選手権 - 白鳥 [2007年11月4日(日)]
西村の見解! - 西村雅興 [2007年11月4日(日)]



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今日は全日本選手権
西村雅興
2007年11月4日(日)
今日は全日本選手権大会

今日は新しいHPの各科目のコンセプトを書いていた。
一休みしに居間に行った。
妻が「パパ!剣道の試合をしているわよ!」
私は椅子に座って見た。
妻が「昔はあの辺にいつもパパが映っていたわよ!パパは目立つから。」
会場の最前列辺りを指さし言った。
そうなのだ!いつも最前列に陣取って見たものだった。
しかし、今は・・・・
「竹刀当て競技だよなあ!警察官の竹刀を持ったフェンシング競技みたいだ!」と、つぶやいた。
妻が「パパが見ないなら他のチャンネルに回すよ。」と言った。
私は「いいよ、書斎で仕事をするから。」と寂しい気持で椅子を立って書斎に向かった。
何時のころからだろう・・・全日本選手権大会に全く興味がなくなった。
剣道への考え方が成長し、求める物との解離を感じ始めた頃からだろう。

西村は世界選手権にはインターハイの個人優秀者を派遣した方が勝ちやすいと思っている。
かって、埼玉にいたときのことだった。
国士舘大学の正選手と、高校生の試合を観たことがある。
大学生の方がほぼ完敗に近く全員負けたのだ。
国士舘大学生の中に岩手県出身のインターハイで活躍した剣士がいた。
彼は選手にも選ばれていなかった。
同じ試合をした同士が稽古をしたらどうだろうか。
高校生は歯牙にもかけられないほどに、完璧に打ち負かされるであろう。
範士八段が全日本選手権に出たらどうだろう・・・優勝するだろうか・・・否。
しかし、元立ちに立てばこれらの選手を立派に遣うだろう。


八段範士の有名な選手も若かれし時は同じようなことをしていた。
西村もそうだった。
競技はしょせん競技なのだ!
剣道を剣術と勘違いしたり、不満や憂さの吐き所にしている人も沢山いる。
西村もかってそういうときも有った・・・その醜さに気がつき愕然とした覚えがある。
心の修業を1年間して、2医院を閉鎖し規模の縮小をした後だった。
六段を取る少し前だっただろうか。
人生で『捨てることの大切さを知り、実行した。』その直後だった。
今は妻がそばにいてくれて、安らかな人生を送れるように、剣道は時に人生の方向性を誤らないように示唆してくれる羅針盤になっている。
妻の存在が有り難い様に、剣道そのものを有り難いと感じる今日この頃だ。
選手権を眺めているとき、自分の剣道の過去が走馬灯の様に思い出された。
色々な人の出会いを思い出し、チョット嬉しい気分を起してくれた。
「剣道そのものは良いものなのだ。それをその人がどう扱うかによって決まってくる。」
原田源次先生のつぶやいた言葉なのだ。
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恥ずかしながら追伸
西村雅興
2007年11月4日(日)
今日は妻の誕生日
六本木ヒルズの駐車場に入れる。
そのエリアには30台ほど車が止まっていた。
フェラリーが2台、ポルシェが6台、ベンツが10台、 BMWが6台、国産車は数台。
何時来ても豪勢なものだと思う。
夕方、六本木ヒルズの超高級店、ニューヨーク発のイタリアンの店だ。
雰囲気は最高、来ている客もそれなりの雰囲気だ。
しかし、何故この手の店は暗いのだろう。
天井からのライトは無い。
メニュウを見るのに一苦労なのだ。
妻はこの手の雰囲気と有名さが好きなのだ。

先ほど、レストランの評価を妻に言った。
「一人二万円ぐらいかかった割りには美味しくなかった。
3回目だけど今日は良くなかったなあ!
5人で10万円だものなあ!
伊勢定のウナギの方が良かったのになあ!」
さらに、先ほどの選手権の感想を妻に言った。
「何言ってるのよ!必死になって武道館へ見に行ってた癖に!笑っちゃうわ!」
そこから妻の辛口が始まった。
「年を取ると自分の欠点は棚に上げ、人に厳しく自分に甘くなるのよ!
パパも歳をとった証拠よ!」
西村は恥ずかしくて両手で顔を覆った。
当たっているだけに反論の余地がない・・・妻に完敗。
「批判・批評の表現も程々にしないとね。」さらに妻の追い討ち。
この言葉に反省をして追伸致します。

西村の辛口の表現もこの辺りを加味してお読みください。
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Re:今日は全日本選手権
白鳥
2007年11月4日(日)
西村先生、お久しぶりです。
昨日は快晴でしたが、何かと段取りが悪くて山登りに行けず、結果的に全日本の試合を見ました。

佐藤−内村の試合で、内村のコテに副審の一人が旗を上げましたが、なぜ他の審判が取り消したのか、今の私の剣道レベルではその理由がよくわかりません。
肉眼ではよく見えませんでしたが、今は幸いデジタル放送をハードディスクに録画できる時代です。
超スローで見ると、内村の竹刀は刃筋正しく打突部位できちんと小手を打っているようです。
機会も姿勢も気勢も残心も十分だったように感じましたが、何かが悪かったのでしょうね。
もし西村先生があの試合の録画をご覧になられる機会がございましたら、なぜ一本にならなかったのかを教えて頂きたいと思います。

真剣勝負であれば、審判などいなくても勝負の結果は明白であったと思います。
竹刀剣道の勝負の判定は実に難しいなあと感じました。
私的には剣道のそういったファジーさに救われていますが、一流選手達は大変だろうなあと思いました。
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西村の見解!
西村雅興
2007年11月4日(日)
先生の悩みは剣道が判ってきた証拠です。
少し長いですが・・・

ずーっと昔、西川と鍋山との決勝戦を見ました。
攻め込みとタイミング的には圧倒的に西川選手の勝ちの様に見えました。
西村は面をあまして後の先で打った鍋山の面と思いました。
え!審判は西川の面に旗が上がりました。
その後何度もスローで見てみて、西村の判断の方が正しいと未だに確信をしています。

JR東海の剣道部の忘年会が熱海でありました。
永松陟先生が彼の選手時代の監督で、彼は昼にJRの人達と稽古をし熱海での忘年会に出席をしていました。
西村の長年の疑問をはらすべく、熱海の忘年会に参加しました。
そこで西川氏にあの一戦を聞きました。
彼は自信を持って面が入ったと言いました。
打った当の本人であり、彼の性格からみて嘘を言っているとは思えません。
攻め込んで面を打った相手を評価するか、後の先で余して打った面を評価するかは難しいところです。
目の前で見た審判には攻めの優勢が旗を揚げさせ、距離を置いた目から見れば打突の正確さが見えます。
西村が審判をしておれば鍋山と思います。
しかし、目の前で審判をすると?です

小太護身道【スポーツチャンバラ】の個人戦の時です。
相手の動きは遅くスーッと体を進めると、相手の手元が上がり、西村的には下から見事に小手を斬ったつもりでした。
丁度3回同じ場面を繰り返しました。
しかし、2回目、審判はその後の、後打ちの面を取りました。
審判には剣道家がいなかったので、西村の小手が速過ぎて見えないのでしょう。
それではと思い、今度はより強く同じ小手を取りました。
しかし、結果は叉面に上がりました。
結局、個人優勝は逃がしました。
当時、西村に勝てる人は一人もいないと思っていました。
昨年度の個人優勝の人が(空手五段)が稽古で全く西村には歯が立たなかったからです。

試合が終わって、会長の田辺哲人先生から言われました。
「西村先生の小手は先に入っている。
同じことを3回もしたのは間違いだったなあ!
試合は相手を納得させ、審判を納得させ、観客も納得させて勝たないとなあ!
審判のレベルも見て試合をしないとなあ!」
まさに会長の言う通りです。
人の評価で勝負を争うとき、審判を見方につける(審判のレベルにあわせる)余裕がないと優勝は難しいのです。

基本的に個人戦は一本も打たれなければ、必ず優勝を致します。
(団体戦では引き分けになります)
西村の大学の一年先輩の越前先生は1年間一本も取られませんでした。
歯学体では個人優勝です。
しかし、相手もさるもの、団体戦では引き分けに持ち込まれます。
彼が攻めに転じるとポカを致します。
彼は絶対先に打たない信念で1年間最後まで通しました。
凄い!の一言です。
西村には到底出来ません。
ちなみに、中学時代には大将で出て全国優勝をしています。
試合に関しては天才的な強さを発揮します。
しかし、剣道の昇段ではどうでしょうか?

西村の経験ですが。
東北地区での試合で納得した審判の態度は、福島県警の先生方が審判をされた時の1回きりでした。
仙台での試合は審判が佐藤〜〜先生の顔色を見ながら旗を揚げていました。
本当にイヤになる審判ばかりでした。
剣道試合のレベルは審判の資質で全てが決まります。
全日本の選手も旗揚げの基準に沿った試合をしています。

前にも書きましたが・・・
西村の大学時代、新人戦の試合がありました。
審判は各大学の主将が努めました。
西村が医学部・歯学部の主将の時は5年生でした。
6年遅れて大学生になっていましたから29歳の時です。
他の大学生が高校性にしか見えませでした。
当時、我が強く、貫録も有り、稽古では東北の学生には誰にも負けない気の強さを持っている時でした。
何しろ目の前の主将連中が後ろで拍手をしている時からの知り合いです。
審判会議で西村は強烈に主張しました。
立派な試合をさせたい・・・・
試合が始まりました。
いい加減な打ちでは西村が旗を動かしません。
各大学の主将も自分の格を下げませんでした。
西村が旗を揚げないようでは恥ずかしくて旗を揚げれないのです。
選手は試合よりも昇段審査の様な剣風で試合を行いました。
強く大きく伸び伸びとした見事な剣道を展開しました。
旗が上がる瞬間は三本が同時に一斉に上がりました。
西村は六年間の内、東北の地区での試合で最高の試合を演出させました。
審判が試合の質を決定すると、つくづく思いました。

スポーツチャンバラでは(当時)審判のレベルをおもんばかって、各試合場に審判監督を配したと思います。
選手の監督の異議も受けたと思います。
そして、エクセレントジャッジ賞を作り優秀審判院を表彰しました。
これは長く剣道、居合の世界に身を置いた会長の見識によるものです。
剣道の審判はひどい場合が多い。
試合は審判員がその質を決める。
その競技の浮沈は審判によって決まる・・・・との思いを聞いたことが有ります。

宮崎選手の偉業を見る度に、剣道を教える道場の先生方は悩まれた様です。
教えたい剣道と対極にある剣風が日本の代表的な選手権の優勝者になっている。
ちなみに、宮崎選手の七段昇段審査は惚れ惚れとするような剣風でした。
剣道には二面性〜三面性があり、その選択が個人の選択にかかっています。
試合剣道、昇段審査向け剣道、稽古剣道


白鳥先生
目の前で審判をしたとき、攻め込みの優勢とかが審判に伝わります。
距離を置いて客観的に見ると打ちの正確さが良く見えます。
白鳥先生が直に審判をすると、その試合の審判と同じ判断をするかもしれません。
その審判もテレビで見ると先生と同じ判断をするかもしれません。

今は無くなられた大浦先生の立ち会い。
相手に攻められて打たれていると思いました。
剣道雑誌ではその評価は全く逆でした。
大浦先生の責めに、相手は我慢が出来ずに打って出たと評価していました。
大浦先生を褒めた記事を読み西村はビックリしてしまいました。

原田源次先生と賀来先生との立ち会い。
原田源次先生が大きな面を打ちました。
賀来先生はピクリとも動きませんでした。
面に来る竹刀を受けようともしませんでした。
西村的には賀来先生の居つきと判断をしました。
西村的には、原田源次先生の大きな面が二本決まったと大層嬉しい思いをした一戦でした。
しかし、原田源次先生が会場を出てきての一声は全く逆でした。
「今年の賀来先生は凄い!動じない!」でした。
相手が動じないのに打ってしまった自分の負けを認めた声でした。
剣道は奥が深い・・・・と感じた一瞬でした。
この時、動じない相手に打ってしまった時、それは心の世界では負けを意味することだと知りました。

しかし、八段先なら原田源次先生の面は旗が上がらないかもしれないが、竹刀当て競技では完全に旗が上がります。

剣道は当事者のレベルが上がってくるとその実態は本人達が一番知っている。
ちなみに、西村は剣道においても実生活においても『勝負』はしないことを決めています。
ましてや第三者に判断を委ねることはしない人生を送ることにしています。
勝ち、負けは人生に必要ないと思っているからです。
お互いの良い影響が人生の質を高めると思っているからです。
勝者が居ても敗者はいない! 人生を送ることにしています。
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