[新規投稿] [ツリー表示] [親記事一覧] [最新の記事を表示] [ログ検索] [ヘルプ] [ホームページへ戻る]


- 竹刀をわざと重く扱っている・・・それはしんどい! - 西村雅興 [2008年2月14日(木)]
物理と師匠 - 西村雅興 [2008年2月15日(金)]
剣道稽古の難しい理由 - 西村雅興 [2008年2月16日(土)]



△上に戻る
竹刀をわざと重く扱っている・・・それはしんどい!
西村雅興
2008年2月14日(木)
千代田木曜稽古 2/15

皆様、竹刀を重そうに引き上げている。
「よいしょ」と引き上げている。
打とうと思った時には手元が腰から離れていて、腕も竹刀も体から離れている。
それを引き上げるのだから辛いわけだ。
刀では絶対に素早く引き上げる事は不可能だ。
重い刀は身の内、軽く刀を押し上げ、引き下ろす体に近い処で操作をする。
上手になれば、刀、竹刀を押し上げる様に体が出る。
その結果自然に刀は押し上げられる。
もっと上手になると竹刀の先は、緩く前に出ながら上へと向かい、
竹刀の先は後方へ力が向くことなく、そこの高さから相手の喉元へと引き落とされる。
体の前進、両手はやや伸び、体幹の伸びも(菱形状にが潰れる、井桁崩し)押し切りになる。
ともかく、体の力が竹刀に有効に効率良く伝わる身の内で操作をすべきなのだ。
早く当てたい意識が竹刀を相手に近づけ様と、ついつい竹刀が体から離れて前に行ってしまう。

念仏を唱える・・・両手で念仏を唱えるように手を合わせて上に上げれば竹刀は勝手に振りかぶっている(押し上げられている)。
【刀は振りよき様に振る】・・・武蔵の教えだ。

中学・高校時代に嫌と言うほどに基本稽古をしておれば、竹刀と一体感がある動きになるが・・・そこまで訓練された人が少ないようだ。
・・・だからこそ、基本に帰り、竹刀操作を考えて稽古をする必要がある。
実はその前の足の運びの運用の稽古も大切なのだが・・・・!
レスをつける


△上に戻る
物理と師匠
西村雅興
2008年2月15日(金)
慣性モーメントが大きいものは回りにくい。
外部から力を加えて回転させようとするとき回しにくいことになる。
大きな車輪ほど回転半径も重さも大きくなり、慣性モーメントも大きくなるからだ。
慣性モーメントが大きい物体は回りにくい・・・基本的力学法則なのだ。

稽古をすればするほど下手になる。
自然の物理法則に反した稽古をすればするほど悪い癖が強くなる。

肩を支点に三角筋、上腕二頭筋で引き上げている。
それも御丁寧に肩からの距離を(支点からの距離)を竹刀の先をわざわざ遠くにしている。
三角筋は本来ヒジを上に動かす力しかない。
上腕二頭筋は拳を肩に近づける力しかない。
これらはこの距離の長さのものを屈筋で引き寄せるものなのだ。
竹刀は軽いので何とか動くが、それは重いのだ。

武道は屈筋をほとんど使用しない。
武道の本質は【読みと反射・重力と伸筋の活用】にほかならない。

月謝を支払った、月謝をもらった関係、師弟関係であるが、道場主は上達を請け負う責任を負う。
いわゆる芸事の指導である。
指導者は個人の能力において、必要な技術、課題を与えて伸ばすことが仕事だ。
ゴルフを例に取ると、レッスンプロについて基本技術を教わり、コースに出て色んなことを教わる。
剣道は少しばかりやったことがあるだけで、コースに出て我流で回っている様だ。

剣道的、武術的身体動作が全く出来ないのに、竹刀が振れるからといって叩き合いをゲームとして遊んでいる。
この時、竹刀が先に触れば良い、先に当たれば良い、打たれなければ良いと思い稽古をすると体はその目的沿った動きを習得していく。
これが上達したのが悪い癖なのだ。
ゲームを楽しんでいるいる時はそれで良い。
昇段審査で泣くことになる。
剣道は昇段に求められている課題をクリアーしながら強くなる必要があるからだ。
六段、七段ではこの課題に気がつきここを重点的に稽古をした人が受かることになる。

体育館的仲良し稽古は『危険な稽古』に落ちいてしまう。
特に芸事・武道は師匠で決まる。
それは『武運』そのものだ。
師を持たず、ただ風まかせでは航海はおぼつかない。
レスをつける


△上に戻る
剣道稽古の難しい理由
西村雅興
2008年2月16日(土)

さて、西村は辛口の表現をすると思われるかもしれない。

何故、剣道は難しいか?
片手で刃物を振り回す・・・小太刀護身道(スポーツチャンバラ)の様な競技では、ただ稽古を積み重ね、強い人の真似をし、感性を高めれば案外うまくいく。
剣道は実際にはもっと重い刀を、軽く長い、しかも柄が長い竹刀を代用品として刀の様に操作をしたいと思う所に矛盾が有り、本来は歩み足で行うべき武術を今風の足の捌きにしている。
さらに得物を両手で持っているから身体の動きが制限され体の機能的運用が難しくなっている。
そして、打突部位の限定、姿勢、竹刀の当たる部位・・・等の制約を求めている。
竹刀当てゲームならば何等問題が無いが、昇段を重ねるに従い、刀的操作、当てるから打つ、さらに斬る要素の要求が強くなる。
スポーツチャンバラでは一切要求されない、正々堂々、立派な姿勢、気剣体一致・・
の要素の要求が強くなる。
(スポーツチャンバラでは自分が安全で、相手の攻撃能力が無くなったことが唯一勝つ条件である。)
剣術的要素の、術が道に置き換わった時点で本能に任せては難しくなった。

そこで、剣道的要素を十分満たした方法を熟達者に指導をお願いするしか無くなる。
「剣道は制約が多い、だから長くやっている人が有利になるんだよ!」
これは佐藤博信先生から聞いた言葉だ。
剣道的制約がしっかり身に付いた人が有利になるということだ。
それにはこの条件を十分満たした人に指導を受けるのが得策なのだ。

しかし、剣道家の特性として、自立志向の人が多い。
道場の様な指導者がしっかりしている処に入ればよいが、開放型の体育館の環境では難しくなる。

普段は誰か師匠を持ち、持続的に指導を受け、出稽古的に体育館的な処で稽古をする二本立てなら話は別だ。
このような方は結構上手くいっている様だ。
レスをつける



Tree BBS by The Room