最近思う事! 西村的悩み
妻と結婚してまもなく、関西の妻の祖母の入れ歯を、友人の診療室を借りて作った。 前に入れていた入れ歯も、入れ歯の専門の先生が作った物でそれなりの入れ歯だった。 西村の腕の見せ所と思い、精一杯の入れ歯を作った。 益々元気になられた。 それはそれで良かった。
さて、それから時間が経って起きた問題がある。 99歳と10ヶ月まで長生きしたのだ。 それも隣の子自転車でぶつけて、腰の骨が折れ、入院して急激に衰え亡くなった。 この事故が無ければ100歳はゆうに生きれたと思う。
さて、問題はこの祖母の長すぎる命なのだ。 介護するお母さんも高齢になり、いわゆる長い老老介護の辛さを味わうはめになってしまった。 西村はお母様に済まない事をした! あの時、義歯を新調しなかったならば、程々でお亡くなりになり、お母様に長くて辛い介護をさせなくて済んだのにと思った。 西村の親切が仇になってしまった。
さて、今度は妻のお父様のことだ! ある時、首が凝り、腰が痛み、血圧が凄く高くなり今にも卒中になりそうだった。 アゴの上下の関係から来る症状なのだ。 このままにしておいて良いのかと悩んだ。 多い男兄弟は全て60代に卒中で亡くなっている。 脳卒中後の介護は本人も、家族も凄まじいストレスを抱える。 一度倒れて寝たっきりになると、下のせわになり、オムツの世界に入って行く。 症状は緩やかに進行しなかなか死ねない、長いベッドの世界へ入って行く。 西村の父も卒中で倒れ長い闘病生活をした。 兄弟も全員が卒中で倒れている。 さて、お世話する母親のことを思うと何としてもこれを回避したいと思った。 妻も、義理の母も、本人も賛成し、上顎の歯を全て抜いて総義歯にして顎位を整えた。高血圧から来る赤ら顔は改善し、血圧もかなり改善した。 これで、卒中の危険からはかなり遠ざかった。 これで、めでたし!めでたし!であった。
話は前後するが、義理の母は入れ歯で苦労をしていた。 上京させ、インプラント併用義歯を入れてからは、義歯の苦労は無くなった。
西村は五月の連休は京都で剣道をしていた。 連休に入ると先ずは関西の義理に父母の入れ歯の手入れに、道具持参で出かける。 入歯の裏打ちをすると、二人とも背筋が伸び、目が開き元気になる。 連休の終わりにもう一度義歯の確認をする。 年に一回の入歯の出張手入れが恒例の行事になっていた。 このような事を長い事していた。
月日が流れ義理の父にパーキンソンの症状が出始めた。 その頃から半分は寝たきりになり、母の老老介護が始まった。 その介護が始まった頃から、義理の母の背筋が猫背になり、最近では正面が見えない程に頭が前に倒れいつ倒れるかと思う程にやつれていた。
今回、妻が母の入歯を修理してほしいから、関西へ行ってと言った。 しかし、89歳のお母さんの入歯の修理は難しいと断った。 妻が、とりあえず行ってみてダメなときはしかたがない。 ともかく行ってくれと言われ、しぶしぶ行った。
お母様に会ってみてみて驚いた! 背筋が伸び、顔も生き生きしているのだ! 父を一年前に介護つき病院へ入院させたので、ストレスから解放されたのだ! 心の重荷、介護の重荷から解放されると、ほぼ完璧に甦ったのだ。 幸いに、大掛かりな事をしなくて修理が出来た。 首筋が伸び、顔が明るくなり、別人に変身した。 ストレスの身体に与える影響の大きさを目の当たりにして、改めて驚いた。
父は88歳なのだ。 パーキンソンだ出始めて急激に衰えた。 この頃から母の背筋はせむしの様に丸くなってしまった。 パーキンソンは遺伝性の疾患の場合が多い。 高齢化すると発症する場合も多い。
歯を治さずにあのままにしておけば、75歳くらいに卒中で倒れ亡くなっていた可能性が高い。 父が卒中で倒れない様にしたことが、今度はお母様に超老老介護をさせるようにしてしまった。 あのとき、卒中対策で上顎を総義歯にしたのは正解だっただろうか!
長生きさせた事は正解だったが、母に苦労をさせるはめになっていまった。
【世の中 親切が 御節介】・・・西村は悩んでしまう!!
幸い!母は元気になっているので、一ヶ月程上京してもらえば、百歳まで生きれる入歯は間違いなく作れる自信は西村にある。 お父様の問題が解決したら、これまでの苦労に報う為、大切な妻の母だから、妻に感謝の気持ちで入歯を作りたいと思う。 そうすると100歳を超えた辺りから、老衰でしずかにお亡くなりになると思う。 90歳になったら、後十年健康で生きれる入歯を作る。 おそらく105歳くらいまで生きる様な気がする・・・・・・!
追伸 先日、主人が亡くなりましたと電話を頂いた。 この方は西村が作った入歯を20年以上使われた。 途中一度裏打ちをし、1回修理をしただけだ。 昨年の始めに義歯の検診に来られたが何も問題は無かった。 奥様の電話から。 『主人がアトリエを片付けてサッパリして喜んでいた。 朝、起こそうと思って主人の所に行ったら、息をしていなかった。 おそらく、主人は自分が死んだ事にも気がついていないのではないかと思います。 大往生でした!』 こんな幸せな最期を迎える人もいる! 誰もがこんなに幸せな最期を迎えれるとは思わない! 出来れば死に様は自分で迎えたいものだと思う。
西村の母の死 関西へ母の見舞いに行った。 その時、「私はよう生きた!もう良いわ!」 この時、私は母が自分で死ぬ事を決めたと思った。 その夕から水以外一切口にしなかった。 木、金、土、そして日曜日の早朝息を引き取った。 透析も食事も一切拒否し、自分の意志で死んで行った。
【普通はこのようには行かない。】 担当医が孫の医者の友人で、彼から延命拒否を伝えていた。 義理の息子で私の義理の兄が医師で、この旨を担当医に伝えていた。 本人の意志も確認済みだ。 母は見事に自分の意志で死んで行った! 日曜日の新潟での講演は涙を流しながら話したものだ。 九人兄弟の一番末っ子の私だが、兄が上に二人いたが、母から喪主をする様にと生前から頼まれていた。 東京駅に妻に喪服を持って来てもらい、直接姫路に向かった。
人間死に様をじっくり考えたいものだ。 そうすると、生きている今が何と素晴らしい事か。 死を意識した時から、本当の意味で生きて行くのだ。 西村は本当の意味で過去に三回、死を意識した。 その為、毎日が有り難いと思い、精一杯生きている。 明日死んでも思い残しはない、我が人生悔いは無い! この思いで生きておれば、相手が竹刀で打って来ても全く動揺しない。 西村の剣道の強い秘密はここにある。 それ故、本気で歯を治したい人しか治療をしたいとは思わない。 そのかわり、ほんきの人には誠心誠意、精一杯の治療をする。 そして、私も患者様にも至福の終了を迎える。
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