『剣道は先と読みである!』・・・・原田源次先生いわく 2007/11/剣道時代 『攻めとは構えである!』・・・岡先生いわく・・・西村が直接聞いた。
その人の人生観が剣道に出るので、一番の教えは観念論・心法になる。 ここが変らないと剣道の意味がなく、人生の良き友にならない。 小川範士が話をされ始めると、高段者でも「結局これだ!」(禅問答)と手を前に組んで黙想の手元をして、聴かずに帰ってしまう。 そうすると、剣道の本質への道を閉ざしてしまうことになる。 賀来先生を送る車中に岡田さんは『禅問答』に近い話を聞いて心に響き、田伐さんも同じく各先生の稽古の後の一言を受け止め成長する。 原田源次先生の抽象的な話を聞いて、思いを巡らす岩崎さん、西村である。 しかし、小川範士が言った「話せば話すほど本質から遠ざかってしまう!」
そこで、見えない話は後にして、三次元・四次元的に目で見える(目で認識出来る)所を書きたいと思う。 四次元は三次元的な構えから、動きに時間が加わるので、立体的な動きと言うことになる。 この四次元化する動きは、既に三次元的な停止の構えにその予測が付く。 さらに時間が『停止』した三次元的観察から、時間が参加し始めた一見三次元的映像に見える中に静かな『ウゴメキ』を感じる『静止状態』をも予測が付くと、これは相手の心の発露、無意識の顕在化した構え(停止状態)→(静止状態)へと見抜くことが出来る。 これが直感的に自分の心に響くには稽古の千日の鍛・万日の練になります。 原田源次先生いわく。 『何を読むことが出来る様になればよいか。 まず相手の構えから打突する部位と機会を判断するといった。もっとも基本的な部分から、動きや体さばき、体勢、気力など、足の先から頭のてっぺんまで、そして精神状態までも含めて総合的とらえ、一つの攻防方法を見出すいう部分までもが求められます。 これらの『読み』を身につけて、はじめて技につながっていくといえるでしょう。 しかし、この『読み』が成り立つには万日の鍛練が必要だと言われています。』 この続きはまだあるのですが、本で読んで下さい。
さて、このところ剣道の稽古風景を見ていて、つくづく思うことがある。 ・左膝が折れている ・左膝が突っ張っている ・両膝が曲がっている ・両膝が突っ張っている ・体重が前にかかりすぎ ・体重が後ろにかかりすぎ ・肩がいかっている ・猫背になっている ・右肩が前に出て半身になっている ・頭が前に落ちている ・頭が後ろに反っている ・足幅が広い ・両足が重なっている ・左手の位置が高い ・右ヒジが外に張っている ・右ヒジを入れ込み過ぎている ・両脇が開いている ・両肘を絞り過ぎている ・竹刀を横から握っている ・下手な人ほどこれらが重なる・・・進歩がない(下手の横好き・師匠がいない) ・試験に落ちる人ほどこれらが重なる・・・(唯我独尊・聴く耳がない) ・試合には強いが・・・身体能力が高いが当てに走る構えになっている・勘頼り!
このように基本的な構えの中に何か本質的な自然な構えとズレたものが多く見受けられます。 その一つ一つ(見えるもの)にその人の潜在意識(陰)が見え隠れしているのです。 陰流とはこ『陰を読み、陰を動かす』流儀です・ これは陰流の流祖、愛洲移香斎久忠から、新陰流の創始者、上泉伊勢守信綱へと、さらにこれが柳生において『柳生新陰流』へとなっていく。 つまり、現代剣道の精神性の高い剣道の原点です。 最後は・・・『陰流』は相手の陰(相手の見えない心・無意識の動き)を観て相手を斬る。 相手の陰を斬る。 新陰流の創始者、上泉伊勢守信綱の若き日に、陰流の流祖、愛洲移香斎久忠が別れ際に言った。 『陰流の極めは、己の陰を斬ることや。 難題やなあ。 斬れるか? 斬れまい。 しばらく儂(わし)が若の陰を映し取るから、己が陰を斬る方法を考えなはれ』・・・・となり、自分心のウゴメキを斬ることにつ斬る。 →打つ前に死ぬ・・・となる。 ・・・・ここまで来ると、人生観が変らないと難しい!
そこで、簡単なパズル型式で表現していきたいと思います。 高段者になるとすでに御存知のことかと思います。 初心者の方への助言をお願い致します。
『先』はここで、相手の動きを誘い、心を起し、陰の本体を認識する作業である。 千代田での稽古を見ていると、この先の作業、打つ前・技前の作業ができている人が少ないのが残念である。
例 ・体重が前にかかりすぎ→打とう打とうと気が焦っている心(陰)が見える。 対応→近間にて、面を見せて小手か胴に切る →遠間にて、月影の絶好のチャンス 【いつもは西村が一方的に書いていますので、先輩諸氏の知恵を拝借したいと思います。】
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