先日の歯科OB稽古会の反省と成長
いつもは最初から元立ちに立って稽古をするが、今日は網代先生にお願いする関係で元には立たなかった。
ある人との稽古。 この先生との稽古は久しぶりだ。 お年を召しているが七段の立派な剣道なのだ。 久しぶりなのと、先生の前に立っている人がいないので私がお願いしたい。 いつもなら余裕で打て、捌ける相手なのだ。 出て来る所を突きが決まり、攻めて下がる所を押し込んで面が入った。 相手のお年を考えると本気になって稽古はできない。 身体は鉛を張り付けた様に動かない。 頭は霞がかかってスッキリしない状態だ。 お互いにどちらかが入れば終了の状態だ。 ここで竹刀を下げて、少し面を出し、面を誘った。 相手の先生は引き出されて面を打って来た。 しかし、私の心身は素早く反応しなかった。 見事に面を打たれて終了。 打った先生も入った様な、でも何か怪訝の様子だった。 形の上では面を打たれて完敗である。 外から見ればそう思う。 試合なれば旗が相手に上がる。
形而下では現象面を見る。 形而上ではどうなのか。 西村的には今日は稽古に来るだけの心身の覚醒が無い。 やっぱり、来るんじゃなかった。 でも、網代先生の剣道を見てみたい稽古をお願いしてみたい。 私の中に葛藤があった。 網代先生との稽古が終わり、この先生との稽古になったのだ。 稽古の最期に誘った面は、相手は引き出されたのだが、自分の方にいつもなら対応出来る状態でなかた。
反省:剣道は心身の覚醒が無い時は剣道にならず、ただの運動にしかならない。 このようなとき、稽古に行かない、網代先生との稽古で終わっておく。 二つの選択肢があったはずだ、それを無視した結果、面を打たれた事になる。 剣道は稽古をする前に本当はどうしたいのかと心に聞いて行動をする。 頭では判っているが、時々同じへまをする懲りない西村でした。
そう言えば、人生で同じ様な事を繰り返している。 今は聡明な且つ堅実な妻がいつも横にいるので、ズッコケル事が少なくなった。 今回の稽古で、おちょこちょいの自分を見てしまった。 70才にもなるのにまだまだ青臭い自分を感じた。
形、動き、目で見える事から、自分を見つめ反省し成長する。 剣道の形而上の部分が大切な例です。 先日の歯科OB稽古会の反省
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