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- 切落し開眼 - 西村雅興 [2008年1月30日(水)]
切落し開眼…追伸(予習) - 西村雅興 [2008年1月31日(木)]
切落し開眼…理合 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し開眼…理合・・・追加 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し・・・二題 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し・・・鎬が必要か・ - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
懐疑的解釈 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
技は心のはたらきで発揮される。 - 西村雅興 [2008年2月3日(日)]
切落し・・・過去ログから書き出しました - 西村雅興 [2008年2月11日(月)]
Re:切落し開眼 - 夏井 [2008年1月31日(木)]
Re[2]:切落し開眼 - 西村雅興 [2008年2月1日(金)]



切落し開眼…理合
西村雅興
2008年2月2日(土)
念流兵法心得

切り割りというあり(合い打ち)。
切り割りとは 敵の太刀 七分出したる処を、
三分の太刀を以て体中剣に切り割るなり。
然る時は敵の太刀削るなり、
その七分の太刀と云うは、手の伸びて我頭上当たるか当たらざる処にして、
間不入髪電光石火のかね合いなり。   
能能修業すべし。

森田先生
合い打ちはかけた方の勝ちと伝えられているが、今の剣人でこの経験のある人は少ないらしい。
七分三分の太刀と云う事は、大分遅れて打ちだしたことになるが、それでも間に合うものだの訓である。
350匁もある真剣打ち振るって見ると小器用なことはできず、合打ちはかけた方が勝つであろうと感じられるものだ。
竹刀打ちではその実感がこないので困るので七分三分の訓があるのであろう。

森田先生は少々懐疑的である。
しかし、西村的合理的解釈では、七三の理は物理的な解釈ですれば極く当然の打ち勝ちである。

西村の切落し
お互いのギリギリの間合い、せめぎ合いの頂点に達する寸前に、グッと体をやや前上に伸び上がる(重心の位置のエネルギーを得る)、これに呼び込まれた相手が面を打ってくる。
両者が同じだけ前に出れば、お互いに竹刀が物打ちに当たる。
この時、刀勢に勢いがあり強い一本になる。
しかるに、当方は三分しか出ていないので、相手は打つべき得物の頭に届き難く、手も体も伸びきった体勢になり、竹刀は脇が開いた刀勢の無い、ただ前に出てきた物になってしまっている。
要は相手の竹刀はやや直線的に前に伸び切った刀勢の無い状態になっている。
当方は重心を引き上げ位置のエネルギーを稼いでいる。
さらに、先を懸けた余裕に三分の動きであるから、四分の時間的、心理的余裕がある。
相手がこちらに長い距離出て来る時間だけ、当方に時間的余裕がある。
体を引き上げ、さらに高く頭上に引き上げた竹刀を、相手からの竹刀から身をまもるために、真下に引き落とせば、相手の竹刀をたたき落とせるは極く当然である。
物理的な角速度、支点からのモーメントを考えれば理の当然である。
相手は肩から竹刀が遠くに延びきり刀勢は消え去り、竹刀の先は支点の肩(体)から遠い位置にある。当方は十分に脇を締め、位置のエネルギーを利用し竹刀を余り体から離さずに、しっかりと身の内(体のエネルギーが十分に竹刀に伝えれる範囲)にて操作をし、竹刀を刀勢強く真下に落とす。
長く伸びた棒を上から叩けば、伸び切った棒は簡単に叩ける。

森田先生の二足歩行の原理の発見においても西村のほうが発見が若かった。
この剣理においても西村の分析の方が合理的解釈だと思う。

西村は教わって出来た、研究工夫をして出来なのではなく、それしか道がなかったから必然的に理に適った切落しが出来た。
研究・分析はその技としての再現性の確かさを求めるが故に後から求めたものである。
上手く行くには合目的な理合いが存在した。
理合いが判れば再現性が高くなる・・・科学的分析の効果である。
しかし、判ったから上手く行くのではない。
そこには『心』がいつもつきまとう。



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