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- 切落し開眼 - 西村雅興 [2008年1月30日(水)]
切落し開眼…追伸(予習) - 西村雅興 [2008年1月31日(木)]
切落し開眼…理合 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し開眼…理合・・・追加 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し・・・二題 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
切落し・・・鎬が必要か・ - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
懐疑的解釈 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
技は心のはたらきで発揮される。 - 西村雅興 [2008年2月3日(日)]
切落し・・・過去ログから書き出しました - 西村雅興 [2008年2月11日(月)]
Re:切落し開眼 - 夏井 [2008年1月31日(木)]
Re[2]:切落し開眼 - 西村雅興 [2008年2月1日(金)]



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切落し開眼
西村雅興
2008年1月30日(水)
『切落し開眼』

前置き
切落しについて色々書かれている。
その諸説、説明には全く異論は有りません。
書かれた人、説いた人はそれぞれ優秀な人達ですから。

『切落し開眼』

その経緯。
西村の研究は噛み合わせ治療(咬合治療)で姿勢を直しあらゆる病気の症状の軽減をはかることである。
さて、あるとき顎の位置を左にシフトして、右の腰痛を改善する体験治療の研究中だった。
このシフトをいつもより長期に強くしていた時期がある。

腸内洗浄に興味があり、それを実行した。
そのクリニックでは上を向いて、肛門から筒を入れ洗浄するのだ。
この時、足は膝をあげくの字に曲げる。
足が滑って伸びようとするのを長時間我慢して足を曲げていた。
この時、足の裏の裏筋の筋肉を長時間に渡り過緊張させていたことになる。
その翌日の土曜日に40人と稽古をし、日曜日には30人と稽古をした。
当時、西村の足は強靭で強いバネを持っていた。

さて、月曜日仕事に行くと、左足がピクピクしている。
ふくら脛が勝手に軽く痙攣しているのだ。
火曜日の早朝、身体が動かない。
トイレに行こうと思うが立てない。
四つんばいになって、這ってトイレにいきついた。
立てないので、便器に座ったが腰に激痛が走る。
ぎっくり腰かと思った。
用をたし、便器にからおりると四つんばいで這ってベッドに戻った。
女房も異変に気がついた。
小の方なら時間が短いが、大の方の時は脂汗を流しながら用を足した。
数日は歩行困難・・・椅子に座れないから仕事が出来ない。
腰に強力に何重もゴムバンドを巻くと10メートル位は歩けるようになった。
強くゴムを巻くと何とか椅子に座れるので、仕事に行った。
診療室内の移動は椅子に座ったまま、助手の手で動かしてもらた。
強度の座骨神経痛を発症したのだ。
ヘルニアではなくて、腰の座骨神経の周りの筋肉が緊張過多となり、股関節、骨盤を引っ張り、この神経の大元を伸ばして入る状態になってしまっていた。

そんな状況で、五月の京都大会へ行く決心をした。
新幹線は地獄だった。
ゴムバンドを四重に強く巻き、脂汗をかきながらやっとホテルへ着いた。
左足に体重が乗せれないので、部屋の中では右足でケンケンして動いていた。
その頃の西村を今から思うと笑ってしまう!
それでも、翌日杖をつきながら朝稽古に行った。
10メートル歩くと一休み・・・の状態だった。
防具を着けて元に立ち稽古を始めた。
一歩の歩幅前に足を出せない、出来るのは半歩であった。

そこで、気を入れ相手に対峙し、グッと腰を入れて体をやや前方に強く上げた。
相手は面に来る・・・呼び込みやや伸びきった所を、高く上げた竹刀を真下に脇を締め引き落とした。
見事に切落しが決まる。
かって自分の稽古でこのような切落しが出来るとは全く思わなかった。
しかし、現実に見事に決まるのだ。
結局、京都の稽古は全て切落しで、それも見事に出来たのだ。
夜の飲み会で言った。
「皆さんは歩けもしない西村に斬り殺された!」

当時、切落しについて言葉を知っているくらいで、その原理等は全く知らなかった。
しかし、足が動かない状況ではそれが見事に出来たのだ。
それから、足が治て来ると次第に切落しが下手になってくるのが面白かった!
あれ!どうしてだろう・・・。
ここから切落しについて研究をした。

研究をして、稽古をしたから出来たのではない。
足を痛めら、不思議なことに切落しの名人になってしまったのだ。
足が治るにしたがって、次第に切落しの冴えが消えていき、ついには切落しの技は凡人になってしまった。
かっての、切落し名人にカムバックする為に研究をしたのだ。
そこから、物理的な法則、心の法則、イメージの法則、体の運用の分析をした結果当時に近い切落しの技をいつでも出来るようになった。
しかし、当時に近づいたのであって、当時の切落しに冴えが未だに出来ない。
これは心法(潜在意識を含めて)の問題であると気がついている。

次回、これらについて述べることにする。
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切落し開眼…追伸(予習)
西村雅興
2008年1月31日(木)
[ログ検索]を押して、西村の「切落し」の過去記事を読んでみましょう。
打たれた人の記事も参考になります。
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切落し開眼…理合
西村雅興
2008年2月2日(土)
念流兵法心得

切り割りというあり(合い打ち)。
切り割りとは 敵の太刀 七分出したる処を、
三分の太刀を以て体中剣に切り割るなり。
然る時は敵の太刀削るなり、
その七分の太刀と云うは、手の伸びて我頭上当たるか当たらざる処にして、
間不入髪電光石火のかね合いなり。   
能能修業すべし。

森田先生
合い打ちはかけた方の勝ちと伝えられているが、今の剣人でこの経験のある人は少ないらしい。
七分三分の太刀と云う事は、大分遅れて打ちだしたことになるが、それでも間に合うものだの訓である。
350匁もある真剣打ち振るって見ると小器用なことはできず、合打ちはかけた方が勝つであろうと感じられるものだ。
竹刀打ちではその実感がこないので困るので七分三分の訓があるのであろう。

森田先生は少々懐疑的である。
しかし、西村的合理的解釈では、七三の理は物理的な解釈ですれば極く当然の打ち勝ちである。

西村の切落し
お互いのギリギリの間合い、せめぎ合いの頂点に達する寸前に、グッと体をやや前上に伸び上がる(重心の位置のエネルギーを得る)、これに呼び込まれた相手が面を打ってくる。
両者が同じだけ前に出れば、お互いに竹刀が物打ちに当たる。
この時、刀勢に勢いがあり強い一本になる。
しかるに、当方は三分しか出ていないので、相手は打つべき得物の頭に届き難く、手も体も伸びきった体勢になり、竹刀は脇が開いた刀勢の無い、ただ前に出てきた物になってしまっている。
要は相手の竹刀はやや直線的に前に伸び切った刀勢の無い状態になっている。
当方は重心を引き上げ位置のエネルギーを稼いでいる。
さらに、先を懸けた余裕に三分の動きであるから、四分の時間的、心理的余裕がある。
相手がこちらに長い距離出て来る時間だけ、当方に時間的余裕がある。
体を引き上げ、さらに高く頭上に引き上げた竹刀を、相手からの竹刀から身をまもるために、真下に引き落とせば、相手の竹刀をたたき落とせるは極く当然である。
物理的な角速度、支点からのモーメントを考えれば理の当然である。
相手は肩から竹刀が遠くに延びきり刀勢は消え去り、竹刀の先は支点の肩(体)から遠い位置にある。当方は十分に脇を締め、位置のエネルギーを利用し竹刀を余り体から離さずに、しっかりと身の内(体のエネルギーが十分に竹刀に伝えれる範囲)にて操作をし、竹刀を刀勢強く真下に落とす。
長く伸びた棒を上から叩けば、伸び切った棒は簡単に叩ける。

森田先生の二足歩行の原理の発見においても西村のほうが発見が若かった。
この剣理においても西村の分析の方が合理的解釈だと思う。

西村は教わって出来た、研究工夫をして出来なのではなく、それしか道がなかったから必然的に理に適った切落しが出来た。
研究・分析はその技としての再現性の確かさを求めるが故に後から求めたものである。
上手く行くには合目的な理合いが存在した。
理合いが判れば再現性が高くなる・・・科学的分析の効果である。
しかし、判ったから上手く行くのではない。
そこには『心』がいつもつきまとう。
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切落し開眼…理合・・・追加
西村雅興
2008年2月2日(土)
ここで大切なことがある。
現実には相手の伸び来た竹刀を撃ち落とす作業の様に見えるが、先ほどの説明でもそうなるが・・・そう考えて相手の竹刀と闘うと上手くいかないのが現実である。
意識は前に頭を出してきた頭を、胸まで切り落とす意識である。
その切り下げの自分の竹刀の軌跡の中に相手の竹刀が入り込み、飛ばされると云う結果である。
相手の竹刀を意識すると、しっかりと切り下げは出来ないものである。
何故ならば相手の竹刀とぶつかる瞬間に意識が集中するから、竹刀の切り下げの目標位置がそこになり、その寸前に自分の刀勢が弱まってしまうからである。
あくまで胸まで切り下げる。
その竹刀の軌跡の途中に相手の竹刀が入ってきた結果、相手の竹刀がはじき飛ばされる、その後に斬ってくださいとばかりに、相手の頭がこの軌跡の中に入ってくる。
結果として切落しの面が決まる。
これは抜刀術で実際に真剣で斬ってみるとはっきりと体感が出来る。
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切落し・・・二題
西村雅興
2008年2月2日(土)
切落し 二題

足が治って来ると、切落しが上手くいきません。
そこで、真向唐竹割りの精神で切落しの稽古をして見ました。
右足をスーッと出し、相手が動いた瞬間、ずーっと腰を進め、身体の全てのエネルギーを竹刀に伝え斬り込みます。
このエネルギーは相手の打ち込みのエネルギーより数段強く、相手の竹刀を跳ね除けて面に斬り込んでいきます。
強力なバネの力を感じる瞬間です。
この切落しは『一刀両断切り込み』と呼んだ方が良いような気がします。
この切り込みは京都の朝稽古で、岐阜の先生が見事にこれで打たれていた様子を岡田先生が見ていたと思います。
これはこれで強力な斬り込みで、打ち込むエネルギーの違いを見せつけるには良い技です。
身体全体のバネを竹刀の一点に集中する動作が基本です。
これも相手の竹刀を意識すると上手くいきません。
進み来る相手を人間の形をしたゼリー状のの物として、それを前進しながら大きく振るかぶった竹刀で臍まで斬り込むイメージです。
これは技と云うより、強烈な意志と力が相手を勝って打った面だと思います。

今は、西村は両方出来ますが技としては『一刀両断切り込み』より『切落し』の方が勝っている様な気がします。

『一刀両断切り込み』
打たれた方は完全に打ち負かされたと思うでしょう。
竹刀が当たった瞬間いわゆる力負けを感じます。参ったと感じます。
『身も心も打ち砕かれ』ます。
力で負けたと思うでしょう。
『切落し』
打たれた相手は、竹刀が当たる前に「しまった!」との感情が起きます。
打てると思って打って出たが、目標物の頭が意外にこちらに出てこない。
ここで、しまった、はかられたと思うが動き出した身体は止められず、竹刀は遠きにある頭まで強引に伸ばそうとし、身体は崩れ、手が伸びきってしまう。
この伸び切った処を上からバサッと切落される・・・『心を切落される』。
はめられたと思うでしょう。

玄人好みの剣道は後者です。
若い人から見れば前者が良いと思うでしょう。

さて、どこの流派でも、柳生新陰流の時間差攻撃、念流の七三の訓も相手の刀と体の伸び切った処をを処理するという事を説いています。
切落しはやはりこれでしょう。
尚、一刀流の切落しは右足を床に強く踏み込むと聞いたことがあります。
これは右足を下に踏み込む反作用で体が上に上げる力が発生し、の反作用で両手には下に引き下げる強い力が発生します。
西村の切落しはこの反作用は余り意識せずに、体が落ちる重心に落ちを利用すると同時に頭をぐっと押し上げる背筋を使います。
その時反作用で同様の両手の引き落としの力が発生します。
(頭を後ろに引けは竹刀は前に出る、頭を上に上げれば竹刀は下に下がる。
いずれも強い起立筋の緊張によってもたらされる。)
実際は一刀流の方法と西村流の境は無いように思う。
西村の切落しの意識は柳生流の『合し』です。
    しの漢字が難しいので平かなにする
実際は『合撃』(がっしうち)

合撃(がっしうち)
新陰流独特の時間差攻撃である。
相手が打ち込んでこようと、動きをおこした直後に、合わせて打つのである。
相手は、わが技の尽きたるところを打たれるとわかっておりながらも、すでにはじめている動作を中途でとめられず、なすすべもなく敗北することになる。
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切落し・・・鎬が必要か・
西村雅興
2008年2月2日(土)
切落し

竹刀では鎬が無いのいで、切落しは難しい・・・出来ない。
と書かれている文章を見る。
それは間違いであって刀より竹刀の方が簡単なのではないかと思う。
刀の身厚みは非常に薄い。
それに比べて竹刀は丸く厚みがある。
真っすぐに引き落とせば、その厚みだけが自分の空間になる。
相手の竹刀の半分の厚み自分の半分の厚みはこれが合撃すれば、相手を横に飛ばすベクトルの発生力は大きいと思う。

ある時、ある八段が言った。
試験で切落しをやってみれば八段に受かるよ。
範士の先生方も出来なのだから。
範士の先生方が出来ないとすれば、鎬がが無い竹刀では出来ないとの先入観があるからかも知れない。
あの森田先生ですらそのかんがある。
では鎬を使って実際に真剣で打ちあった人は今の世にはいないから、実証できない。

最後に、切落しが成功するにはしっかりと脇が絞まり、胸がすぼみ(肋骨つぶし)ヒジが内側に入り中筋、打ち筋が締まり、両手がゆったりとしたくの字になり、消して両肘を伸ばしてしまわないことである。
皆様が上手くいかないとすればヒジの伸ばしすぎが原因だと思う。

森田先生の一文に
いかにも大きく、ヒジを伸べて強く振る事が出来きそうである・・・・。
西村に少々異論がある・・・ヒジを伸ばす気持は大切だが、伸ばしきったヒジには胸を締める、脇を締める時に発生する強力な胴体力を生かすことは出来ない。
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懐疑的解釈
西村雅興
2008年2月2日(土)
懐疑的な解釈

自分が出来ない時、懐疑的解釈をし、それが正しい理由を考える。
これは偏見という。
出来ると云う人の話を良く聞いて体験することである。
『鎬が無いから竹刀では難しい。』・・懐疑的な、一般的な意見。
『竹刀は厚みがあるから、より簡単である。』・・西村の意見

西村のトピックスの例から
懐疑的見解
『お世辞でなく西村先生の治療は本当に素晴らしいですね。
実は今日治療して頂いた右上のゴールドインレーを入れる前に、違う意見も聞きたいと思い、セカンドオピニオンとして歯学博士号をもち、大学で教鞭取られていた、経験豊富な別の先生に去年暮れ診察して頂きました。
しかしながら予想と反して、西村先生の噛みあわせによる治療体験談を話してもまったく信用してもらえず、懐疑的であると言われました。
西村先生は、単なる腕の違いだけでなく、たった一本の歯に対する熱意があるからこそ、あのような奇跡的な治療が行なえるのですね。
自分が体で感じた体験談が一番の薬となる今日この頃です。今後ともよろしくお願いします。』
西村の返事
『西村が命を賭けて30年間自分の体で体験し検証してきた咬合治療です。
一本の歯がその人の人生までも変える事実を骨身にしみて知っているからです。
体験した患者様こそが、その価値を感じるのです。
西村は咬合治療で歯科医を見捨てました。
結局本当の所をしっかり出来るのは西村しかいないことに気がつき、セミナーをやめたのです。
あなたは非常に運がいい人です。』
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技は心のはたらきで発揮される。
西村雅興
2008年2月3日(日)
『技』が発揮されるには『心』を見方にしないと出来ない。

切落しの難しいのは斬ってくる相手の存在、相手の刀(竹刀)の存在を忘れる境地になれるか?・・・ここが難しい。

人中路

新陰流の合撃では   
相手のはたらきにつれ、拍子にしたがって、
わが人中路(じんちゅうろ)【敵に正対するわが体の中心線】に沿い、
上段位頭上から下段位「帯下通り(おびしたとおり)」まで、
拝み打ちに切落す。

ここで注目して欲しいことは、相手の身体を真っ二つにすると云う意識ではない。
刀は人中路を切り下げているだけである。
相手はこの刀の軌跡の中に自ら入り込み、結果として切落される。
するべき働きは相手の存在は必要がないし、意識をすることもない。
体は相手に正対しているが、刀の動き目の前の空間を切り裂く意識のみである。

名刺での割りばし斬り

余興で名刺で割りばし斬りをする。
コツを教えると、勘の良い人ならば直ぐに出来るようになる。
しかし、同じ相手にある仕掛けをすると全く切れなくなるのである。
先ず、西村が椅子に座り、割りばしを両手で持ち、相手にも椅子に座らせ、名刺で割りばしを斬らせる。
相手は自分が出来た割りばし斬りに凄く喜ぶ。
少々悦に入ってきた頃、ある仕掛けをすると、突然切れなくなる。
相手は頭を抱え込んでしまう。
どうしてだろう!
その仕掛けを解くと、また斬れるようになる。

その『仕掛けとは』
最初のうちは、西村が両膝を広げておく。
割りばしに注目しないで、ただ思いっきり振り下ろす事を教える。
そうすると、相手はその膝の間を名刺を持った手が通り過ぎるばかりに切落してくる。
名刺の通過点にたまたま割りばしが有った時、それは簡単に切れる。
要は思いっきり名刺を下に落とせば斬れるのである。
『仕掛けとは』、知らぬ顔をして西村が両膝をすぼめるのだ。
有意識は同じように名刺で斬ろうとしている。
目は両膝がすぼまっているのを見ている。
無意識は前と同じように振り下ろせば、自分の手が膝にぶつかることを認識している。
そこで、無意識は保安の危機管理能力を発揮する。
有意識は無意識の危機管理能力が発揮されたことに気がついていない。
だから、同じように斬ろうとする。
しかし、その動きは無意識がコントロールして、手が膝に当たらないようにしている。
見た目に違いは感じないが、膝に当てない様にスピードはコントロールされているのだ。
思いっきり振り下ろした最速の動きの処に割りばしが有れば斬れる。
目が認識した膝の存在は、もはや思いっきりの状態が崩れている。

相手の竹刀を撃ち落として切落そうとすると、相手の竹刀と当たる処が最終目標の動きとなってしまい、実際当たる前にそこで止まる様に手加減をして、スピードコントロールをしてしまう。

前にも書いたが・・・試し斬りの場合…チョット悪趣味だが。

先ず、西村が袈裟に切って見せる。
簡単に斬れるのだ!
次に、剣道家に前に立てた巻き藁を袈裟に斬るようにと言う。
ほとんど剣道家は斬る前に心を集中し、その巻き藁(実際は古い畳表を一晩水に浸けたもの)をジーッと穴があくほど見つめる。
自分が斬るべき対象物を十分認識するためだ。

そこで意を決して、斬って見ると刃は対象物の中ほどにとどまり斬れないのだ。
ほとんどの人は自信喪失をする。
茫然とするか、頭を掻いて苦笑いをする。
その前にか細い女子が斬って見せておけば、なおさら自信喪失をする。

さて、この剣道家は頭では巻き藁を斬ろうとしたが、対象物をしっかり認識するが余り、剣の最終目標をワラの中心にしてしまったことだ。
この無意識が設定した目標はワラの真ん中で刀を止めてしまった。
思いっきり振り下ろそうとしたが、当たる寸前に速度を弱め中心で止まるようにしたのだ。
体も手元も刀も無意識の臨んだ通りになっている!

実際に袈裟を斬りを指導する場合
得物の半歩右に立ち、袈裟を斬りながら、得物の半歩左で立つように移動しながら刀を振り落とさせる。
体の一歩の移動の途中に得物が有り、刀の最速の時に得物に当たることになる。
要は一歩体を移動するようにしながら刀を振れば、たまたま得物が途中に有ったので切れたことになる。

さて、同じように袈裟が斬れたとする。
そこで、3センチ位の青竹を中に入れておく。
そのことを伏せておけば、この青竹はついでに斬れてしまう。
しかし、斬る前に青竹が入っていることを告げ、目で確認させてやらせると、
ほとんどが失敗する。
巻き藁の中の青竹に意識がとどまるからだ。

このように身体は・刀は使い手の心の働きに叶うように操作するものだ。
多くの人は自分の心の働きを十分に認識しないでいる。

面打ち指導で
面は額越しに咽まで斬り込む
・・・この途中に頭が有り、最速の時期に竹刀が当たる、このように斬り込め。
   意外に良い面が入り、打った本人がえ!と驚く。
面に当てにいく
・・・当たる前に、右手が速度を落としている。
   目標物で竹刀が止まる為だ・・・これを竹刀の面触りという。
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切落し・・・過去ログから書き出しました
西村雅興
2008年2月11日(月)
切落し
過去ログから書き出しました。
同じことを延々と書いています。
繰り返しその内容に目を止める事が心に入る秘訣と思い書き出しました。
長く、アトランダムに載っていますが読んで見てください。


先生の足が出るとき、上体が全く変わらず、スーッと出ていました。
相手は我慢が出来ず相打ちに面に跳んできます。
しかし、相手の竹刀は手元で、一度後方へ竹刀御先が後方へ向かいます。
竹刀は左両手で手元が相手を覆いかぶさる様に出ていて、それに連れて上がった竹刀の先をトーンと落す様な感じで手の内の作用で切り落していました。
なるほど岩立先生の面とは全く違うのです。

切り落しについても同じだった。
相手をしっかり引きつけて斬り落せば、竹刀の重みで切れた。
しかし、そこが甘いとやはり斬り落せない。

日曜日、七段を目指す強い六段と稽古をしました。
彼は一年間、西村のことは少し強い七段ぐらいに思っていた様です。
昨年の夜の稽古を見て、目から鱗が落ちたようです。
なんで!あんな切り落しが出きるのか!
あの速い打ちをいとも簡単に捌けるのか!
と、じっくり見ていた様です。
その後から、質問してくるようになりました。

前方に打ち抜くような疾走感が得られなかった』
斬ると言うことはそういうことです。
竹刀の競技としての前進をするのではなく、竹刀を刀と想定し、相手が伸び切ったところを、上から斬り落す。
これで正解です。

西村の場合は左脇がしっかりと絞まり、左手首の中筋(なかすじ)が効いているので、相手はこの拳で左に素っ飛んでしまいます。
でもこれはちょっと難しいかも。

『私の左足はほんのわずかしか前進していませんでした』
これで良いのです。
余り前進すると、相手の竹刀に力がある時に自分の竹刀が当たるので、相手の竹刀も飛ぶが、自分のも飛んでしまいます。
切り落しは相手の体と竹刀を伸び切らせて、上から下に落す。
相手が伸び切るには、自分は余り前進しないことです。

西村が京都で新七段と稽古をして、全て斬り落した時、西村の身体は前に飛びません、後ろ足で体を押すだけです。
こちらの右足が静かに滑りだして、相手を前傾させ、ぐっと足を前に出すと、相手は面に飛び込んで来ます。
最初の間合から見れば、相手の前進は七分、西村の前進は三分。
相手の身体が伸び切り足が空中に有る処を、右足に体を乗せ床かを強く下に踏み込み、この反作用で竹刀を真下に落すと、相手の竹刀は弾け飛んでしまいます。

それとは違い、西村がぐっと体を上に持ち上げて、竹刀も天に届けと真上に引き上げます。
これに引きだされて相手が面に飛び込んでくると処を、体の重心の落下と胸を降ろす勢いで斬り落しをします。
この時は未だ足がついていないような気がします。
どちらの場合にも切り落しは見事に決ります。
胴体力で言うと、どちらの場合も身体の力が竹刀に乗っています。
重心の上方への反作用の利用。
重心の急激落下と胸の下がりの利用。

西村が右足を静かに滑り出し、間境を越える。
これは『虚』
相手はこの足に反応して打って出てくる。
これが相手の『実』
この気を捉えて、足腰の十分な体勢を持って面を取る。
相手が打ってしまったこと気付かない場合は『実で実を取る』
少し相手に負けない、切り落しの覚悟の面が必要だ。
相手が打ちながら一瞬『「嵌まった!」と気がついた時点で『虚』に転ずる。
この『虚を実で取る』
この場合は、相手はすでに死に体だから、落ち着いて面を取れば良い。
相手の面が早ければコテ、胴等を打つ。この誘いを『月影』という。
時には、後頭部の筋肉を緩め、頭を少し前に落す。
相手は面に誘導されて、面を打ってくる。
『ある攻撃の形を相手から引きだす。』
そこを返して胴を取る。
西村の一番の得意技。
この心と体と剣の相手との関係を『懸中待』という。
いわゆる『先々の先』である。
西村は『飛んで火に入る夏の虫』と呼んでいる。
誘蛾灯に誘われて、自滅する昆虫である。

この逆の、待ちに見せながらあらゆる方法を使い、相手に動作を仕掛けさせる。
己はその動作を盗み、後の先を取る。
その場合、相手の先はすでに何の意味もなさない、無用の動きと化す。

シャワールームである人が言った。
「今日は先生の凄い打ちを見ました。
相手は切り落されて、真っ二つですね!
あんなことが出きるんですね!」
西村が言った。
「川瀬先生が言ったよ!
八段審査で、切り落しをやって見せれば受かるよ。
審査員の先生がしたくで、出来ないのだから。
竹刀は鎬が無いから切り落しは出来ないという人がいるが、それはウソだよ。
自分が出来ないから、言い訳に使っているだけだよ。
真剣に比べ、あんなに厚みがあるのだから、その厚み分だけ有利だよ。
難しいのは、相手の打ちを呼び込み、体と竹刀が伸び切り、その力が弱くなった所を、上に上げた竹刀を下に引き落とす事なのだ。
相手の前進が七分、自分の前進が三分。
相手の竹刀が前に進み来る打ちに対して、真上から切り落すことにより、切り落しが出きる。
大切なことは、相手の竹刀はこちらに飛んで来るのを見ながら、自分の竹刀を頭上高く引き上げて、落す瞬間を待つ肚なのだ。
そのと時が来たら、息を一瞬に吐ききり、胸を降ろし、肩が前下内方へ落ちる力と脇の締まりで、体全ての力が竹刀に凝縮する。
この様な体の使い方を知らないと、本格的な切り落しにならない。
負けずに打ちに行くと、先に前進の動きを起した相手に面を打たれる。
身をさらし、手を呼び込んでから打つから難しい。
技術だけではなかなか出来ない。
西村に切り落し、斬り落し、斬りの言葉の方がしっくりくる打ちなのだが、これをやられると相当こたえるらしい。
取ったと思って打った面を、後から動かれて、竹刀を弾き飛ばされ斬り落されると、「ぎゃふん!」となるのだ。

『切り落し』の精神は、すでに書いてあるので参照して欲しい。

最近稽古の回数が多いので、動きは抜群だ。
週に3回稽古をすれば、稽古相手がゆっくり動いているように見える。
若手の大型でスピードのある人を相手に、自分から面を打ち込み、入れてしまう稽古をしている。
姿勢が全く崩れないままに風の様に前進すると、相手はただ眺めている。
そこで、スッと起して心が動いた瞬間を打つ。
見事に入る。
相手に申し訳ない様な気がするが!

このスッと打ち間入る事を『水(すい)に入る』と言う。
ここの要領がなかなか理解出来ないようだ。
この入り身の妙は、体の動きではなくて、相手の白刃の下に自ら身を入れる心の勇気なのだ。

ともかく、体を静かに足から風の様に進め、体で懸かって相手を引きだし、
面に切り取る。
小手、胴右抜け、胴左抜け、摺り上げ面、左右の二つ胴、最後に出ての面、切り落しの面と順番に入れていく。
何でこんなに上手くいくか、相手を誘導しているからだ。
覚醒催眠の世界なのだ。

背筋が働き、上体を上方に引き上げる力が働くと、竹刀の下方への力とスピードは尚増すことになる。
摺り足で前進して、先に足を付け右足を急に伸ばし、体を押し上げると、その反作用で竹刀の下方への力は強力になり、切り落しの威力が増す。
一刀流の切り落しの極意、右足の強い板の踏み込み、それは体の押し上げを意味し、そこからの反作用の利用を教えている。

今週は三回目だ。
最近にはない稽古回数だ。
火曜日の稽古は冴えていた。
さあ!今日はどうか。
火曜日程ではなかったが、結構冴えて一時間半動き回った感じだ。
それには訳が有った。
今日は千代田の木村先生が上席で見ていた。
西村は元立ちの一番上に立っていたので、先生の目の前で稽古をすることになる。
先生に恥ずかし稽古を見せる訳にはいかないと、気を入れた結果だ。
さらに宮城県の先生方も見えていた。
取っては投げ、千切っては投げの大活躍だ。
鷹揚な稽古をしないで、常に先を懸け打って出て、引きだして打ち、打たせて捌いて、打たせて切り落し、つ込みの弱い相手には左右の二つ胴といった具合だ。
朝は軽くして、昼食はとらない。
空きっ腹の体の緊張感を維持し、稽古に送ってもらう車中で瞑想をしておく。
道場に着くと、水とお湯を交互にかぶり、身体と意識を覚醒させる。
この準備の後に木村先生の存在だ。
否応なく冴え渡った稽古が出きる。
体は今週三回目の剣道の動きだから、筋肉も冴えている。
ここまで冴えると全ての相手がスローモーションだ。
それ故、切り落しが良く決る。

町田の先生が西村に言った。
「あんなに余裕が有る返し胴を見たことが無い。」
西村が言った。
「あれが右足の脱力による、武術的身体動作ですよ。
支点を求めない動きです。」
そして、その見本をやって見せた。

さらには、腰の切れ、浮き腰の原理、腰と鍔で胴を斬る、手元を返すだけで竹刀の先は直線的に引いて斬る・・等の説明もしたかったのだが。

最近の西村は相手の竹刀が面金に当たる寸前まで止めないで、その一瞬に面返し胴を打つように心がけている。
この余裕は相手が面に伸び切った瞬間に切り落しに入る、その呼吸と同じなのだ。
上に体を伸び相手を引きだす、伸び切った所を切り落し。
相手が面に伸び切った瞬間に、滑落を使った腰の動きと、これに引かれる右手の落とし込みなのだ。

近くで見る機会のある人は見てコツを掴んで下さい。

岡田さんがいう、「あの大きな体がスルリと見事に返し胴を打つ。」原理の要点を載せました。
この胴は原田源次先生にも通用する胴です。
残念ながら、原田源次先生の様な抜き胴は出来ませんが。

先ず面を打つとき、『頚反射』を使う。
竹刀が面を打つ瞬間に頭を強く後方に引くと、その質量相当分のの力が前に行く。
頭を後ろに引けば竹刀は前に伸びる。
高校生の試合の面での写真などでよく見受けられる。

相手の伸び切った所を下に切り落す場合は、頭を上に突き上げる。その分だけ竹刀を下方へ向ける力が増す。
一刀流の極意切り落しは、前足を床を破らんばかりに下に踏むという。
床を下に強く踏む意味は、体を急激に上方へ向ける力が発生する原理だ。
そうすると、自然に手は下に強い力が働く。

五段・六段と言っても、昇段を受けるには身体運用の基本動作の稽古こそが大切なのだ。
ほとんどの人がここの稽古をしていない。
当てあい、叩きあいの稽古のみに終始している。

七段元立ちが抜けて、互角稽古に入ると目も当てられない稽古風景が展開される。
先ほどまでの稽古とは一変し、打たさない・打ちたい・当てたい気持のシャモの喧嘩の様な光景だ。
館長がいる道場では先ず起こりえない稽古風景だ。
この稽古は結構楽しいらしい。
生き生きとして叩きあいをしている。
まあ!ストレス発散の運動だ。

西村の場合は相手の動きの数倍速い入り身、重心の滑落、手の内、腰の冴え、切り落し、身体の緩み等を確認しながら緩やかにダンスの様に動いている。
十二分に勝てる相手を遣って、身体運用、技と冴えと呼吸の稽古をしている。
相手がい打ちあう前に、既に終わっているから、楽な稽古だ、それだけに自分を統合した動きの稽古の専念できる。
これをしないと、ただの運動に終わってしまう。

最近の心境。
竹刀を手に持っているが、心境は徒手空拳。
相手の間合も竹刀も攻めも何もない。
身体は自在に動く。
相手の心と、自分が同調しているだけだ。
そうすると、相手の心を包み込んでしまえる。

遠くに跳んで打とうとすると、遠くから打つことが出来ます。
その分何処かに負担がかかります。
目の前の物を軽く一歩出て、刀で据え物を斬る時は、下向きの力は強く作用します。
剣自分は少し前進し、相手を大きく引き出し切り落します。
自分もかなり前進する必要が有るとき、『斬り込む』・『込む』の意識を強く持つと、適度な前進と斬りの力が発生します。
この時は、足に意識が一切なくとも、目的に適った身体動作をしてくれます。

難しい問題が有ります。
竹刀が軽く、当てようと意識が強ければ、これらの身体動作を越えた動きで当てることが出来ます。
試合での旗揚げゲームの基準ではこれらの動きが優先します。

高段の審査では刀のイメージでの打突が要求されます。
そこで皆さんは苦労をします。
竹刀を重くし、当てることより斬ることに意識を強くすれば上手くいきます。

結局は左足の引きつけを意識する程前に出ないこと、左足の蹴り込む力に等しい右足の動きがあれば良いことになります。

身体競技として剣道を捉えると、竹刀の重さと刀の重さの違い、スピードの優先度等が主に出て来ます。
意識レベルの競技、共生と捉えると身体動作は従の関係になります。

本当に剣道を楽しむ時期は、試合的興味を放棄したところから始まるのかなあ!と思っています。
『心・技・体』上に立つのは『心』なんだと思う今日此頃です。

島野さんの動画を見ました。
右足の攻め込みが見事に出ています。
相手がそれに呼応して、打ちに出たところを見事に打ち取っています。
『右足攻め入り面打ち』の教科書的な打ち方です。
多くの方は右足の出と一緒に手元が上がってしまいます。
その意味で、この動画は文章では分かりにくい部分が、見事に具現化されています。
ここが掴めないので、手が先に打ちだしてしまいます。
叉は、振り上げてから足を出します。
若い剣道家はこの『右足攻め込み面打ち』をマスターをしましょう。
遠間からの見事な面が入る技です。
剣道時代の『右足の技術』の代表例だと思います。

千代田の土曜稽古会では、この打ちを心がけた人は伸びています。
これに右足が床から離れたままで打つように指導しています。

これが出きる様になると、西野悟郎先生の様に出した右足を、床につけること無しに、相手の色が出たとき左蹴り足になって打つようにしましょう。
言うが易し、行うが難し!の部分ですが、十分勝てる相手から始めましょう。

年齢と伴に足腰のバネが弱くなると、次の蹴り足が弱くなります。
そうすると、甲斐清治範士が書いていた様に、右足をフッと浮かせます。
御互いがギリギリの打ち間入っていると、相手は『来た!』と感じます。
そこで、相手は遅れてなるものかと打ちに出ます。
そこを取るのが『月影』です。

西野先生、甲斐先生の打ちが出るようになるには、左足七分の体重から腰の中での(前後的足幅内)重心移動がポイントになります。
この『体内重心移動』が島野さんの『右足攻めは入り』の役目をします。
これは膕が伸び且つ膝にたわみがあり、やや重心を下げ床をしっかり掴んでおく必要があります。
(この構えは範士八段ぐらいになると、腰の沈みがあります。
若い教師八段は相対的に腰が高く足が伸び切っている。)
重心が前足を越えようとしたと同時に右足を少し浮かせます。
相手は体内(足中)での重心の移動で攻め上げられていますから、右足が浮いた瞬間に反応します。

この技は相手の感性が高く、『見えない重心移動を攻めに感じれるレベル』でないと効果を発するには難しい。
相手のレベルに合わせ、足を大きく浮かすとか、一瞬出すとか、首筋を緩め頭をフッと出すとか、色を強く出す必要があります。

最小限の動きでこれを効果的に技として使っている先生が、岩立範士です。
この部分が見事にスピードアップされた打ちが、田崎先生です。
右足の攻め込みがゆっくり長い先生は、師匠・原田源次先生です。
右足がフッと浮き、相手の出がしらを打つのが甲斐先生です。

さて、この技の相手を呼び込み打つ動作が相手の感性、スピードとの関係で打つ場所が変わって来ます。
当たり盛りの年齢では、当然面でしょう。
相手が若く、こちらのスピードがついていけない時は、面返し胴となります。
少し遠間で自分に心のゆとりがあれば、相手の伸び切った所を上から切り落しでしょう。
相手が強く近間でこれを仕掛けると、相手の手元が浮こうとする瞬間にスット体を前に滑らせ、手元の上り鼻を小手でしょう。
(これは西村の得意で有名な範士八段も斬られています。)

年と伴に相手を大きく動かし、自分は小さな腋のしまった身の内で竹刀を操作する小さく切れ味鋭い剣道へと移行していきます。

剣道は面白いもので、攻めて相手を動かす段階で壁にぶつかります。
相手の肚が出来てくると、この攻めを受けとめ反応しなくなります。
そうすると、攻め入ったつもりが墓穴を掘ることになります。

こういう相手には攻めの強さに、攻めの一瞬の緩みを見せて心を動かします。

次の段階では攻めは弱く、攻め負けた感じで、ふらっと色を見せ相手の間合に入った感じで、相手に打たせます。
相手が『シメタ!』の感じで来た所を、ギリギリ引きつけ胴に返します。
早く対応すると相手は打つのを止めてしまいますから。

その次は、賀来先生のレベルで、打つ前に何も心に無く、打つ気も無く相手と対峙し、相手に勝ってしまっているが、相手はそれに気がつかないので、仕方がないから竹刀で打って「ハイ!貴方は負けていますよ!」と形で示す。
心の有様で勝負が終わってしまっている、勝負が無いレベルです。

分かってはいるが、心の彩(あや)はその処理に苦労をするのは、西村も同じです。

皆様も一度自分のレベルを考察され、今越える壁を自覚されると、長足の進歩につながると思います。

今回は賀来先生の2002/3剣道時代の『審査員の目』を考察してみましょう。
『竹刀は握らずに自然に持てば良い。』
『打とう打とうという思いからつい握ってしまう。
それが右手打になってしまう。
自然に持ったままで打てばよい。
それは相手と争わない気持になることではないか。』
『軽い桐の木刀で構えて振ってみた。
右手打ちの弊害も完全に解消し、心も平然となってきた。」

右手の屈筋の上腕二頭筋は意識と密接に瞬時に反応します。
打とう打とうと思えば屈筋がその意識に応じて小さくピクピクします。
これは相手に読まれます。
屈筋を使おうとすると自然に竹刀を握ります。
上腕二頭筋の反応時に肩を固定しょうと無意識が働き、右肩が硬くなります。
さらに腕の引き上げに三角筋を使い、肩を後方に引き腕を引き上げ竹刀を振りかぶろうとすると肩を前に出します。
要は竹刀の振りかぶりを右手の引き手であげようとする動作です。
賀来先生はこれらを『力を抜くこと、相手と和する心』解決された様です。
意識の変革で全てが変わるということです。

さて、西村の説明は科学的に迫ります。
前にも十分書きましたが、再度書きます。
竹刀を振りかぶる時は『竹刀を引き上げるのではなく、押し上げる』と意識します。
二足歩行の自然な生理的な身体動作を使います。
実際に何度も何度も少しお股で大きく手を振りながら歩いて見ましょう。
足と手の関係が分かります。
さらに骨盤の揺れ、かたの揺れ
右足が出るときは左手が前に行きます。
この動力源は左足が後方へ後筋を使い軽く前へ押し出す動作から、軽く蹴り込む動作です。
この時、重心がやや前下方へ転がり落ちようとするのを、大腿の伸筋である大腿四頭筋が体を持ち上げ、後筋(大腿二頭筋・ハムストリングス)の押し出しを使い重心の位置を保とうとする。
最後に左足の床の接点から重心がかなり前に行き過ぎて落ちようとするとき、軽く蹴って体を保ちます。
この左足の前進への力、蹴りだすときの力を体幹部を通して交差させながら肩の動き腕の動きでバランスをとって歩行姿勢を保ちます。

左足が後方へ力を向け身体を前進させるときは、肩が前に出ながら、左手が前に出ます。この左手が前に出る力こそが竹刀の柄頭を押しだす原点なのです。
自然な左手の前に出る時期を少し遅らすと瞬発力になります。
後筋の力で体を進め、相手の心が動いた瞬間に左足が押し足から蹴り足に変わります。
この蹴り足の瞬間に左肩を前に一瞬にだし、拳を前に出せば、それまで前に出ているはずの左手のエネルギーの蓄えが爆発します。
この時、上腕の伸筋である上腕三頭筋肘を伸ばす作用として参加する。
この力のロスを防ぐ方法は内筋(うちすじ)中筋(なかすじ)の軽い緊張です。

左腕を伸展しながら急速に拳を出せば、竹刀の柄頭はやや上方で前に行く。
この時、竹刀は竹刀の重心を支点に回転し、柄頭は前に竹刀の先は後方へと向く。
拳が上方への動きがあるため、結果的に竹刀は振りかぶった形になるが、事実は竹刀を押し上げ回転させた結果である。
足のエネルギーを腰に伝え体幹を通して、胴体力を使って竹刀を動かせば自然にこの様な動きになる。
それ故「竹刀は一歩前に出て打つ』理屈なのだ。

この一歩の力なしに竹刀を動かすと、先ほど書いた、上腕二頭筋で拳を肩の方に寄せ、三角筋で肘を上方へ挙げ肩を後方へ引いてそれを助けることになる。
打ちたい意識が、足から発した自然な
身体バラバラの手打となる。
打ちたい意識を捨てないと、この悪癖は治らない。

ここで、難しいのは右手の処理である。
自然歩行の原則から云う胸の前、喉元から顔の前にあり柄を持っている。

だから、この右手は力を抜き、『緩めてになる』
もし、この時右手が鍔近くを少し強く握っていたら、先ほどの竹刀の回転の支点は、柄の右手の位置になってしまう。
そうすると、支点から短い距離の左手に強い力が必要になる。
しかし、この右手をフリーな位に緩めてやれば、回転中心は竹刀の重心になり、ほとんど力が必要ない。
さらに右肩はやや後方へいっている。

これは実際に竹刀を持って振っていただければ、その場で分かります。

次は振り降ろしの番になります。
前に出た右足が踏み込みの段階になると、右肩が前に出て来て、これが右手の竹刀の押しだしになります。
右拳は肘が曲がり顔面に近づいていた所から、右肩が急速に前に出るからこの力に乗じて右肘をやや中に絞りながら前に出す。
このとき左足が前に来る力が強いと、左押し出しの逆で、右押し出しが強くなる。

この時左手と右手が強調して竹刀の重心を前方に押している。
基本的にはこの重心、支点を前に押しだしながら竹刀の先は回転しながら前方へ向く力を発する。

この時、左足が前に来ることから、左手は下に下がるのが自然である。
左足の引きつけの力は左拳を下方へ下げ、『左拳を引き手にする』。
この左拳は歩行時は左の腰の横を通り後方へ行くはずの手である。
しかし、現実には竹刀の柄頭を持っている。
そこでその左拳の力を鳩尾の方向へ納めるのである。
右手は押し手、左手は引き手となって、竹刀の先は前方へのエネルギを下方へ転じ押し斬り、竹刀当てが斬りに入る事になる。

茶巾絞りは薄い布を軽く内に絞って、前後にしごく水の切り方である。
それでこの時の手の内を茶巾絞りの様にと云われる。

ここで難しいのが、先ほどの右手の緩め手の様に、本来の位置とは違った位置にある事である。
左拳を鳩尾に納める方法が分からなかった。
左拳をそこへ持っていこうとしても納まらないのである。
江戸川には範士八段、その手の内が素晴らしい評価の古城先生がいる。
見事に納まる手に内である。
いつも惚れ惚れとして見ていて真似をしたが出来なかった。
あるとき先生の見本説明をビデオに撮って研究をした。
長い時間が懸かったが分かった。
本来左手が後方へ行く動作を、左腋を締め左肘を体に寄せるのだ、そうすると左拳はピタリと鳩尾に納まる。

これで面は打てたのだが、その次がある。
息を吐ききる事により胸郭がしぼみ、肩が前下内方へ落ちる力が発する。
最後にこの力を加えれば、しっかりズッシリ斬り込みになる。
ここまで分かれば切り落しも難しくはない。

コツは左拳を意識し、左腋を締め鳩尾の高さに引きながら納める。
右手は相手の咽を突き破らんが如く押し込む。
竹刀の意識は相手の顔の額越しに咽まで斬り込む気分だ。

分解するとこのようになる。
この一連の動作を身体に覚え込ます作用が、基本打ちなのだ。

あるレベルの人には、それぞれの欠点に合わせて叱咤激励する。
(このような分解した内容を説明する時間が現実には道場ではない)

構えた時は一度伸びて、軽く重心を下げて膝を緩めろ!
膝に緩みを持たせ、床を掴め!
右足を滑らせて攻めは入れ!
構えた時は胸を出せ!
顎を引いて、頭を立てろ!
打とうと思うな身を寄せろ!
打とうと思えば足を出せ。
打ちたい気持を丹田に収めるのが、剣道の修行!
心が『打て!」と命じたら、捨てて打つ!
ヘソを相手の胴にぶつけろ!
意識の攻めの上に竹刀を置け!
左拳で相手の鼻を突き上げる様に打て!
右手は緩めて!
蹴り足になるまで左拳は挙げるな。
打った時は一瞬に動作をする。
挙げた拳はすぐ降ろせ!
額越しに咽まで切れ!
右拳で相手の咽を突き破れ!
左手をもっと降ろせ!
左拳を胸まで降ろせ!
打った時は息を吐ききれ!
高校生の様に打って走り去るな!
打ちきった後は三歩で向きを変えろ!
頭を振り向き、由断無く体の向きを入れ替えろ。
振り向くコツは七本目の打ち太刀の動作に有り!

角先生位になると、意識の変化が理合いの合った身体動作と仕手表現される。
先生の言葉を有りがたく感じるには、先生がそうであった様に、八段合格近くになって初めて分かるのかも入れない。
一般的には各論(部分的動き)の積み重ねで仕上がる。

二日間の成果が実現しました。
師匠・原田源次先生に『無心の体の懸かりの先』を実践しました。
師匠が手元を動かしたのを見てから打った面が一本入りました。
体の懸かりの先が先生の竹刀を押し込んだ面でした。
身体のエネルギーが竹刀に乗ったのです。
(打つ前に色々と考えるが)『何も無いんだよ!』の言葉を聞いた事を、身体で実践できた喜びは大変嬉しかったです。
それも原田源次先生に出来た事は本当に嬉しかった。
何本も打たれ返されましたが、この一本は今まだかって一本も打った事が無い面でした。
『切り落し』の後のさらなる進歩、『無心で体の懸かりの先』の実践です。
これは後で気がついたのですが、師匠の攻めはいる入り身なのですね。
『剣道は前に出るしかないなあ!』の言葉を思いだしました。

相手の間合に入るのに、心に全く葛藤がありませんでした。
初めて師匠の心境が垣間見えました。
打つも打たれるもありませんから、竹刀を持っていることすら忘れ、相手が打ちだすまで手元が動きませんでした。
ここを今回誉められました。

切り落しは心身ともに覚醒し、相手を気力で圧倒し、スッと捨て入り相手を起こし打たせた時しか上手く行きません。
それに、竹刀の重さも必要です。
さらに自分の正中を切り下ろす竹刀を信じた時だけ上手くいきます。
柳生流の『合撃(がっし)打ち(相打ち)』
相手に先に打ち出させ、その動きをみたうえで、打ってくる竹刀の上にわが竹刀を打ち被せる。
心身が覚醒していないと出来ない技です。
かなりの緊張感と緩みの存在が必要なのだと、最近判って来ました。

前回、桑田の重力を応用した古武術的な動きを考えてみよう。
重力の重みを使う方法である。
フッと膝を抜くと七十キロ位の体重が一瞬に落ちる。
この仕事量を腕に一瞬に伝えればかなりなエネルギーを得られる。

面打ちの場合、
摺り足で前進した力が弱まっていく瞬間、最後に強く押しだし、体重が下方へ向かおうとする力が竹刀に乗り、押し出しが同時に背筋を伸ばし頭を受けに突き上げやや後方に引く、重い頭が上を突き
、これが竹刀へ下方への(胸を下げる)力となり、頭を後ろに引く力が、頚反射となり竹刀を前方に押しだす力になる。
左足の引きつけは体のバランス作用で、左手を下方へ向ける強烈な力を生み出す。

切り落しの場合、
相手が前に伸び切った所を、自分は前進を弱め上体を上に引き上げてその落ちる力を胸に伝えて切り落とす。
相手の距離の移動は前に七分、自分は三分。
相手は体を沈み込んで伸び切っている。
自分は相手の受けから体を乗せる。

小手打ちの場合、
相手が手元をあげようとする瞬間に、重心を前に滑落させてそのエネルギーを胸、腕に伝え小手を切る。
間合が近い時は膝を抜き、その一瞬の重心落下を竹刀に伝える。

胴の場合、
胴は相手を引きだし、相手が打てると錯覚して左手を上げて蹴るまで、頭の位置は動かさない。
ただし相手に呼応して、右足は斜め前に既に動きかけている。
相手の竹刀を受けた瞬間、右前方に重心を滑落させて体を移動すると同時に右手で鍔で胴を切る。
この時上げた手と肩が瞬時に落ち、この力が竹刀を引き落とし、これに引かれて剣先が凄いスピードで胴を切る。

西村の胴を見ていただくとそうなっている。
これは乳井先生の腰の切れをマネして手に入れた動きです。

皆さま果敢に西村に挑んでくる。
西村に注意を受けると、無意識に体が逃げていったり、竹刀だけで打とうとしている自分に気づかれた。
指導をすると、素直に修正して打ってくる。
皆さま、最後は真正面に面を打てるようになった。
西村に最後に見事な面を打たせてもらって終了。
ちょっと鼻っ柱の強い人は、西村の豪快な面の切り落しを受け終了。
今日の稽古は、西村過去最高に重い竹刀を使う。
しかし、竹刀の重さは全く感じない。
太刀の道に沿って自然に動かせば、身体の力を竹刀に伝えるだけで、スンナリ打てる。
西村も太刀筋が決ってきたようだ。

身体・竹刀が動く力学的考察

前から纏めたいと思っていたことです。
先日、軽井沢でHideさんが何気なく話した、頚反射と小沼先生の京都大会の右足をくの字から真っ直ぐのばす力を利用した、一刀流の切り落しの秘伝がきっかけです。
今回これが書けたとはHideさんのお陰と感謝しています。
さらに、相手の構えから相手の得意技を推察する話し、この構えからはこれしか出来ないと話した内容は正に適切なる推察はには恐れ入った。
無意識が次の運動のために備えた身体の準備姿勢が構えに現れていることの話しです。
さすがは体育を専攻しただけのことはあると舌を巻きました。

西村の切り落としは上に伸びた体が、沈む力に胸を下ろす力を加速して打っていた。
そのちょうど逆の作用で切り落としがあるのを聞いて、それは理に適っていると思った。
秘伝の中に自然の法則が隠されている。
結局のところ、秘伝はこの法則を身体意識を通じて発揮される。

土曜日久しぶりの千代田の土曜稽古に行った。
川瀬先生八段に足の不調でご無沙汰した事を告げる。
京都で杖をついて歩くのがやっとで、一歩が出ない状態で剣道をしたことを言った。
そこで、相手が打ってきた面(ほとんど引き出したのだが)をほとんどすべて切り落としたことを話した。
川瀬先生が言った。
「みんな面の切り落としをしたくて必死になっている。
しかし、ほとんど出来ない。
試験でやって見せれば八段は受かるよ。
先生方がしたくて出来ない事をやって見せれば、三重◎だ。
先生方だって驚くよ!」

前にも書いた事が有るが、竹刀に刀の反り、鎬が無い所が刀の技が出ないところだと言われている。
その延長線上でそのために、竹刀では切り落としが難しいと言われていた。
西村は京都ではほとんど相手の面打ちを切り落として、そして見事に決まる所を披露してきた。

竹刀には刀と違い、刀に比べ物にならないぐらいに厚みがある。
自分の刀を正中に上から切り落とせば相手の竹刀は弾け飛ぶのは必定だ。
よって前述の理論は通らない。
自分が出来ない立派な理由を付けているに過ぎない。
その証拠に西村に切り落とされた竹刀は弾け飛んでいた。

これは前にも書いたが、体の運用、相手と自分の力のベクトルを考えれば簡単に解決する問題だ。

身を上に延ばすように胸を出す。
そうすると、相手は面に来ると思い面に打ってくる(相手を引き出す)。
このとき、1/4位しか体を進めず、両拳を真上に押し上げ相手が見える位にする。
このとき、決して竹刀の先を後方に持っていかない。
相手から見ればこちらが余り前進しないから、身体を伸ばし手を伸ばして面に届かそうとして伸び切っている。
拳が身の内から離れ脇が開いてしまっては間が延びた一本の長い棒の様な物だ。
しかも、竹刀の力の方向は前進の直線的な動きだ。
この伸び切った状態の竹刀を気にせずに、真上から真下に喉元まで胸を下ろして切り込む。
左腋はしっかり締まり、肘は内筋を活かし力が外に逃げないようにしている。
手首は中筋が通ることにより、固定されている。
(ゴルフスイングの左手首固定、ボーリングの手首固定と同じ)
そうすると、竹刀の下に落ちる力は胸を下げる胴体力が直接懸かることになる。
しかも、その時竹刀の物打ちで打とうとはしない。
相手の竹刀を鍔で叩き落とす感じで、切り落とす。
このとき、竹刀の先を早くしょうとして手首に力を入れてこねると力が抜けてしまう。
これは右手の押しと、左腋の絞めに寄る左拳の引きの手に打ちとする。
打っていった時の拳の高さを目標としないで、このときばかりは胸まで切り落とす感じで竹刀を切り下ろす。
そうすると、最速の時に相手の竹刀、面を打つことになる。

相手の左拳が動く前に自分の手元をあげると、小手を打たれる。
相手の左手が動いた瞬間に自分の手元を上に押し上げ、ギリギリまで引きつけ相手が伸び切った時に切り落とす。
相手に体を進め前進すると、相手の竹刀に威力が有るので切り落としは出来ない。
相手の竹刀が六分、自分の竹刀が四分(3:7でも切り落しにならない)【今は3:7が良いと思っている】
面返し胴をギリギリまで引きつけて胴に切るに似る。
そうしないと、京都で西村が切り落とした様には出来ない。

技術的な事はいつでも教えます。
そして、直に習得することは出来ます。

難しいのは内面の問題です。
十分に攻めた後、相手に我が身をさらし、面に行くと見せる。
そこで、相手の手元の上がる反応を見る余裕がないと小手を取られる。
この一瞬を自分の手元を動かさずに、相手を見ている心の余裕が有るか?
ここが一番習得の難し所です。
打たれたくないと思えば使える技では無い。
打ちたい気が消え、我慢比べで相手を許す気持ちが無いと出来ない。
十分な攻め合い、相手がもう我慢できない状態に追い込んでから
自分が我慢できない振りをして打ち気を見せる。
気の実のぶつかりに虚を見せ、そこに相手が実で打ち込んでくる。
相手の実が既に消えようとする瞬間、真上から実の気と竹刀が真下に落ちてくる。
自分が相手に合わせて打ちに行くと、相手の実に自分の実がぶつかり切り落としは成功しない。
相手の気の実も体から発した竹刀の実も既に消えようとする瞬間を、
「そこが貴方の甘いところです。」と心で囁きながら教育的打突をもって、
指導してあげる。
此の様な気分でないと成功しない。
勝負を賭けた様な争いの場面では出ない技だ。
賀来先生が古川に打ったあの三本の面の感じだ!
心の余裕が成せる技であるから難しい。
ここを教えるのが一番難しい。

原田源次先生
西村の命の恩人です。
いつも暖かい助言と指導を頂きあり難い存在です。
先生との稽古は一期一会の心境の稽古です。
恩返しは先生から見事な一本を取ることです。
今回は面を打つだけの・・・これだけの稽古を1/3の時間は避けました。
先生のあの静かな攻めは入りに同調をし、なおかつ面に出ないで面を捧(ささ)げました。
そうすると、返し胴は見事に決まりました。
これは先日の永松陟範士にも決まりました。
西村のこれに対応出来る人はほとんどいないようです。
先生と攻め入りの同調から、右膝で先を取ろうとしたのですが。
先生の面の引き立て面の稽古の意思を感じ止めました。
左拳の動きを『一瞬の我慢比べ』と思いましたが、なかなか先生相手では難しかった。
今回の収穫は素晴らしい『摺り上げ面』を頂いたことでした。
特に京都での先生の剣の冴えは他では見られないほど冴えています。
この冴えた摺り上げ面は剣道はここだ!と感じました。
先を取って攻めあげ、体を静かに前に進め相手に面を引き込み打たす。
西村の六分の前進距離に対し、先生は三分の前進しかしない。
やや遠いと感じる相手(相手の前進距離が短い)、呼び込まれて身体と竹刀が伸び切り始め、体も竹刀も偉力が落ちかけた時、先生は残りの一分で摺り上げ面を打つ。
ここでのコツは、相手が面が打てると思って打たすとだ。
相手を真っ正面打たせ、自分を突き抜けて行くように打たせる。
その為には、相手の左足の押し出しが始まるまで、面を見せてそこの位置に誘導する必要がある。
これも我慢なのだ。
相手が確信を持って面に出るや否や、体を右に捌き自分の左横を通過させる。
相手は目標を失い身体が伸びようとし、竹刀の力も弱くなる。
ここをスッと摺り上げて面に竹刀を落とす。
横から見れば出来レースなのだ。
原田源次先生が言った。
「先を取って入ること。
間合いが大切なこと。」
この二点を教わった。・・・・西村には得意の技ではあったが、やっと真髄を知った様な気がする。
西村がかって左足が蹴れない時、斬り落としに開眼しました。
相手の竹刀の力が減衰期に入った時に、切り落としをする。
基本的に全く同じだ。
体を左に捌く斬り落としも考えて見よう!!!!!!!

さて、稽古はどうだったか。
一番先に面を着けSさんとお祝い稽古。
同じ段になったのだから、一応の腕の差は知っておいてもらいたかった。
10本ほど先に西村が取って、最後に良い面を打たせて終わった。
あらゆる打ちをしてみた。
面を打たせて胴に返す。
面を打たせて摺り上げて面。
面を打たせて摺り上げて裏から面。
攻め入って、動く瞬間に面。
足からゆっくり攻め入り、相手と相打ちからの斬り落とし。
面に引き出し逆胴。
面に引き出し、体を左に捌き胴。
スッと体を入れ、相手の手元が上がる瞬間に小手。
最近あみ出した攻め入り・・・右膝で相手を引き出す・・・面斬り落とし。
何でも出来る!
相手の心が見えれば!
申し合わせ稽古の様に見事に決まる。
最後に相手に気持ちよい面を1本打たせて終了!
問題はこの後、同じ七段の側に立ってしまうと稽古の機会がなくなる。
七段に引き上げると稽古に来なくなる!
寂しいが・・・まあいいか!
七段同士稽古をしているが、西村とはしたがらない・・・・これが剣道家なのだ!
この見栄が無くなれば、剣道による自己の確立になるのだが・・・ここが難しいのだ!

チョット不満!
現代の剣道は相手のこのような面をも、上から乗って面に取る、この精神を尊ぶ傾向がありますが、武術的な剣道の神髄は面に来る相手に面に出てたとえ勝ったにしても、自分が傷つきカタワになれば一生を棒に振ることになります。
西村の剣道観ではこれは無謀な事だと思うのです。
相手の動きを七分、自分の動きを三分にして動けば、結局相手の倍の速度を手に入れた事になります。
さらに入り身がよければ、手の動きには相手の四倍の時間の余裕がある事になります。
さらに、相手の呼び込みを長くすれば、相手の死に体になって身体も竹刀も伸び切ったところを、上から斬り落とせば簡単に斬り落としになります。

たまたま、K君が久しぶりに相手に来た。
武道館へ着いた時、彼は竹刀を二本持って素振りをしていた。
重い竹刀、木刀を持って素振りをする時に気をつけなければならないことがある。
ほとんどの人がそうだが、肩の三角筋を使うためにヒジが外に開いてしまう。
彼もそうだった。
注意をしてあげたいなあと思っていたところだ。
肩に力が入り気合いが入り、西村の右足に誘われすっ飛んでくる。
しかし、これが早いのだ!
見事な位に早いのだ。
見てから相面は乗られてしまう。
胴に返すのは簡単だが、面に行くと相打ちになってしまう。
180センチ以上の上背で、この瞬発力とスピードにはほとんどの七段も打たれるだろう。
西村の足の誘いを誘いにしないで、間を盗む方向に仕向けた。
彼が一瞬前に出る機会が無いのだ。
彼が気がつき打って出た時は、既に遅く西村の竹刀が面をとらえていた。
『誘いと、間を盗むは少し違う』この間を盗みながら攻め込む名人が原田源次先生なのだ。
『誘いは 月影だ』『盗み攻め入るは、我が身を捨てて静かに間合いに入っていく』
彼には『間を盗む』で面をとった。
『月影』を使えば、簡単に胴に返せるが、、面に乗るには相手の勘とスピードがあり過ぎる。
この様な使い分けも必要だ。
最後の方は胴に返して取る。
そして、上から斬り落として面をとって終わりにする。
暫く見ない内に剣道が洗練されて来ていた。
次の段も近いだろう。

岡田さんの剣道に対する『心眼』が目覚め始めた様ですね。
強くて立派な剣道を観て、惚れ惚れする!からそれを感じます。

『今回確認できたことは「右足の攻め」。強いて云えば右膝での攻めですかね、強い人はこれができていますね。西村先生の常々おっしゃれれている、この攻め出しのこと、切に確認しました。打ち抜くのも、捨てるのもこの攻めができてから始まりますね。』

この右膝の攻めは原田源次先生のビデオに如実に出ています。
西村はかなりこれが出来るようになりました。
昔は右足を滑らせて攻め入っていました。
これだと直線的に距離は出ますが、蹴り足が弱くなると難しくなってきます。
足を出したら打つしかなくなってしまう欠点がありました。
最近、右膝の攻めを使うと、相手が我慢できずに来た瞬間、上から落下の重力を使い斬り込む(切るより斬る)感じで切り落とせます。
自分の間合いと十分な溜めが確保できる様です。
進化した高速斬り落とし面を開発しています。
角先生の手元がぐうっと上に上がる面打ちに近い感じになります。

「斬りーー込み」ですね。
そういった思わず納得の表現をなされるところが先生のご指導のすばらしいところですね。

さて、昨日はふたたび大学生の人たちとの稽古を行いました。
最初は飛び込み面のような感じの面に挑戦してみたのですが、まったくダメでした。
小手を打たれたり、竹刀でブロックされたり、あるいは相面で制されたりと、いいところひとつもありませんでした。
やはり私の前進する力は彼らに遠く及びません。

そこで作戦を変えて、左足に体重をかけて、右足を少し進めて、彼らが面を打ってくるところを上から斬り落としてみる手に出ました。
何となく鈍い打突ではありましたが、この手なら相手によっては面を制することができました。

ただ、ちょっと気になっているのは、これでは相手を真っ二つにしたような感じは得られましたが、前方に打ち抜くような疾走感が得られなかったことです。
たいていは体当たりになってしまいましたので、私の左足はほんのわずかしか前進していませんでした。
先生が斬り落としをなされた時の、左足の前進具合と残心の示し方についてご教示頂ければ幸いです。

昨日一番の収穫だなと感じたのは、左胸の感覚でした。
胸を開いて攻め込んだ(つもり)の時に、相手の打ち気を左胸に感じたような気がしました。
私の場合は後が遅いから、いくら相手の心の動きを感じてもボコボコにされるという結果には変わりはありませんでしたが、ひとつの収穫だと思いこむことにしました。

西村先生、蓮沼さん、こんにちは。

斬り落としの件、納得致しました。
できるできないは別として、自分の身体を通してイメージしたことが間違いではなかったことがわかりました。
斬り落としは一刀流で、月影は柳生流だという表面的理解しかないのですが、私は相手を起こして斬り落とすという剛胆な技に憧れています。
胴はどう考えても不器用な私には無理な技ですし、西村先生の月影斬り落としを私の剣道の目標として頑張りたいと思います。

「斬り落とす」なんとも言えずいい言葉の響きがありますね!
皆さん頑張っておられますね。私も稽古の励みにしています。
この前、市の合同稽古がありました。稽古の前に西村先生のご指導を抜粋した「剣道マニュアル」を読み返し今日の稽古をイメージしました。今年の課題が「攻め」なので、自分なりの攻め「来るなら突くぞ、!」等を実践してみようと思っていました。西村先生が前々から言われていた事ですが、攻めと打ちは違う、ということが少なからず実感できました。「打ち気」を体にみなぎらせて前に出ていくと、相手は必ずそれを事前に察知してそれなりの対応を取られます。実力が上の人には簡単に返されて打ち返されますし、同等のレベル若しくは以下のレベルの人には返されはしませんが受けられます。勘のいい小学生であれば胴を抜かれます。
 次に「攻め」て前に出る。これを自分なりに相手に実践してみました。自分は未だ体が覚えるところまでいっていないので、頭の中で前に出て相手が手元を挙げたら「小手」、そのまま出てきたら「胴」のけぞったら「面」、これらを考えながら実践しました。考えてやる分少々遅れはありますが、何とか決まります。
 漠然とですが西村先生のご指導が少しずつ形になってきていると実感出来ました。やっぱり西村先生はすごい!!!
 ひかがみが曲がり、踵が上がってしまうと「攻め」が出来ない。すなわち前に出る時に相手に察知されてしまう。ほんの5cmか10cm前に出るのが相手に解る、だから、返されたり抜かれたりして相手に後れを取る。よく実感できた一日でした。
 その日の第二稽古で元立ちの先生にお褒めの言葉を頂きました。
「姿勢もいいし、構えもいい、何より竹刀が真っ直ぐでてくる。」
美味しいビールをいただきながらの第二稽古会でした。
後、歳が同じくらいのリバイバル剣士のお父さんとの稽古のときですが、この方が私が右足をスット出すとあわてて大きく面を打ってこられました。重心が前に係懸かり要するに手打ちの状態です。私の方は一瞬早く前に出ているので後は右足を踏んで竹刀を降ろしました。見事に相手の竹刀は斬り落とされ、私の竹刀は相手の面を斬り込んでいました。西村先生のご指導のとうりです。斬り落としには力を入れず、真っ直ぐ竹刀を上から落とせばいいことが実感できました。何回やっても同じ結果でしたのでその方は不思議そうな顔をしておられました。
 少し下の人と稽古しても自分の稽古がちょっと上がっていく事が実感できます。目標を持ってそれを一つ一つクリアーにしていく。毎日毎日少し上を目指して頑張っていく。剣道は面白いですね。
西村先生今年もご指導宜しくお願いいたします。
レスをつける


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Re:切落し開眼
夏井 [HomePage]
2008年1月31日(木)
西村先生、ご無沙汰しております。

切落し開眼を拝見しまして、西村先生が歩くのもやっとの時の京都の朝稽古を思い出しました。

とにかく鬼気鬼神の迫力を肌身で感じました。
先生が調子が良くて強引に前に出た面より、あの体調で切り落とされた面の印象が心に強く残っています。
西村剣道の不思議さです。(妖剣でしょうか?)

今年の京都剣道談義は、昇段審査のため残念ながら欠席します。
諸先生方の昇段審査・京都大会でのご健闘を祈念しております。
レスをつける


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Re[2]:切落し開眼
西村雅興
2008年2月1日(金)
夏井先生久し振りです。
あの全く足が出ない、歩行困難な状況が開眼させたのです。
『とにかく鬼気鬼神の迫力を肌身で感じました。』
まさにそのような状態でした。

あの時と今は全く違い妖剣から陽炎(かげろう)の様に揺らぎの、枯れた剣道の世界に入っています。
いよいよ得体の知れない剣豪小説を地で行っています。
ここにさらに不思議な世界を入れると(念力・インスピレーション・テレパシー・意識波動、覚醒催眠を加えると)まさに妖剣の世界に入ってしまいます。
ここまで書くと呆れられるので控えています。


足が不具者の様な状態で、死地を切り開くにはこれしかない!
切落しの極意がこの辺りにあるようです。
潜在意識・無意識が完全に握手をして選択した打ちかたです。
あの時の切落しが一番見事で、あれの再現が難しいのです。
なぜなら、今の足の状態ならば、無意識が前に出て、相手を打てると知っているからです。
自分の全てが切落しをすると決めた!
それしか道が開かれないと悟った!
有意識と無意識が完全に握手をして結果は、100%切落しに決めた!
今は、この100%を有意識が無意識と完全に握手をしきれない状態です。

切落しで決めてみようか・・・と有意識が思い実行する。
無意識の意向は十分伺っていないのです。
京都は切落しか為す術が無かった。
だから有意無意合わせた100%の切落しが出来た。

過去記事・ログ検索で実際に打たれた人の書き込みを見てください。
そうなんです、見事に切落しは決まるのです。
今の西村に難しいのは、有意識と無意識の心の握手です。
ほとんどは有意識が勝手に理論を振りかざし、技としての切落しを自慢気に打っていることです。
そして、悦に入っている自分が嫌いです。
相手に何かを感じて欲しいと愛を込めて切落しをするとそれは見事に決まります。
自分勝手に相手に自慢をして、悦に入ろうと思うと上手い切落しになります。
上手いと、見事には少なからず距離があります。

諸派・・・念流、一刀流、新陰流
これらの究極の切りは切落しです。
自分の体を捌くことなく全面に押し出し、七三の極意を死に臨んで行う境地です。
打つ前に捨てきれてこそ出来る技です。


『陰流』は相手の陰(相手の見えない心・無意識の動き)を観て相手を斬る。
相手の陰を斬る。
新陰流の創始者、上泉伊勢守信綱の若き日に、陰流の流祖、愛洲移香斎久忠が別れ際に言った。
『陰流の極めは、己の陰を斬ることや。
 難題やなあ。
 斬れるか?
 斬れまい。
 しばらく儂(わし)が若の陰を映し取るから、己が陰を斬る方法を考えなはれ』

己を捨てきり、相手に対峙し、七三の極意で相手を呼び込み、七分に相手の伸びた所を三分の動きで切落す。
この己を捨てきった時、もはや刀は不要となり、相手の起りの際に身を捨てて相手の白刃の下に入り、相手の刀の柄頭を左手で下から掬い上げて、右手を相手の柄中を取って、半身に体を引くと相手の身体は前に空転する。
こうなると無刀の世界です。

羽賀淳一が当時養子であった中倉清に連れられていって、植芝先生に見事にこのようにやられている。
この無刀は植芝先生のビデオでも拝見できる。

コツは長い得物を持った者が己の間合いの有利を無意識が思い込み、刀を振りかぶる瞬間、相手は間合いの不利を知った無意識が瞬時に吸い込まれるように相手の懐に入り込む。
要は自分を空しゅうして、意識と入りみの確かさで決まる技である。

これはスポーツチャンバラで60センチ棒とナイフの試合でも同じである。

この原理がしゅう猴(手の短い猿)の身の原理も同じ。

結局は無想、夢想、神妙、の様に身体が勝手に反射動作で無意識に理に適った動きの結果出来ることです。
心のウエイトが大きいから難しい技です。
レスをつける



Tree BBS by The Room