剣道着を新調する為に尚武道へ行った。 そこで『剣道稽古日誌、生涯錬磨』倉澤輝彦 体育とスポーツ出版社 を買った。
それは倉澤先生の名前を見たからだ。 西村は一〜二度だけ稽古をつけてもらった事が有る。
これは2008年頃の西村の非常に冴えた剣道が出来ていた時期の書き込みで、 範士九段の倉澤先生、原田先生との稽古の様子です。 今は2015年の終わりです。 足を痛めてなかった63才の頃の書き込みです。
2008年11月10日(月) 全剣連合同稽古会11/10
仕事は3時半で終了予定、4時まで患者様を治療していると、受付が「院長、原田先生が東京へ来られる日ですよ、まだ大丈夫ですか?」と聞いてくる。 従業員は全剣連合同稽古会のことを良く知っていて、この稽古の翌日「院長、原田先生の来られる日はいつですか?」と聞いてくれて、アポイント帳にその旨記載され、午後は患者様は一人3時半終了にしてくれる。 妻も従業員も快く送り出してくれる、幸せな西村です。
原田先生に挨拶に行くと、顔色も艶もよくお元気そうで安心をした。 列に並ぶと、いつも一番手はKさんだ。 一人の人を注目して見続けると、その人の進歩が見える。 今日も良い稽古をしていた。 その後の八段あたりとの稽古を見ていても十分に肉迫した稽古をしていた。
今日の課題は打とうと思わないで、責め合い、自分から捨てて入り先生に問う。 決して自分から打とうとしないことを心がける。 そうすると、意外なことに今までにないよい稽古が出来た。 当たりは弱かったが刷り上げ面が入った。 こんなことは先生との稽古で初めてだ。 先生の小手の上がり鼻を押さえて小手面に入った。 打ち気を捨てると先生にもなんとかなるものだと思った。 最近に無い良い稽古が出来た。
普通はこれで終わるのだが、今日は範士九段の倉沢先生が真ん中に立たれていた。 九段ならば相手にとって不足は無い・・いつも厚かましい思いの西村です。 前に懸かっていった人たちは腕に覚えのあるかなりの人たちだった。 さすが九段!みごとに捌く!自分からも面を打つ。 大正12年生まれ(85歳)とはとても思えない。 見ていると、捌き方が実に上手い、やはり反射の世界で捌いているようだ。 一瞬に返す、刷り上げる、返す、小手を押さえる、相面に乗る。 相手の動きに体が反射的に動くだけに鋭い打が出る。 この辺りは周りの八段よりも冴えがある・・・さすが九段だ! 以前稽古で、見事な刷り上げ面、返し胴、で小手と見事に打たれた覚えがある。 しかし、先生を動かし、しこたま面を打ったこともある。 後の挨拶で、「いっぱい面を打ちおって。」と笑いながら褒めていただいたことがあった。 先生とは相性が良いのだ。 原田先生との稽古と同じで、倉沢先生にも、自分を捨て、捧身で自分から打間に攻め入り先生に問うた。 先生はてっきり面に来ると思い軽く手元が上がった。 しかし、相手が打たないので、上げかけた手元を下ろしかけた。 西村はその瞬間小手を押さえ、先生の竹刀が少し右に寄ったところを面にとった。 普段、西村は小手面の打ちはしないのだが、手が勝手に打ってしまったのだ。 合計4回しっかりとした小手面が入った。 途中別れ際に引き面を打った、後打ちの傾向があった。 先生から「しっかり間合いを取ってそれで打つように。あれは品がない!」 と注意を受けた。 先生が攻め入ろうとすると、それを押さえるとか,攻めに我慢をするとかしない。 むしろ、風を受け流す様に応じ、逆に面を打ちませんか、と軽く打たれに体を出す。 さすが九段!その手には乗らない!乗ってくれれば得意の返し胴なのだが。 稽古が終わった後「八段なのか?」と聞かれて「いえ。七段です。」と答えると「もう八段の腕がある。私の攻めに全く動じない良いものがあり、立派な小手面が打てるのだから、後はあのような面を打たないように。」と言われた。 稽古の後の挨拶でも同じような内容でかなり褒められた。 この稽古はいつも青木君と見学をしているもう一人の先生が見ていた。 (この書き込みを見たら、感想をお書きください。) この稽古、青木君に見せたかった!!!!なあ!
原田先生を新宿に送っていく車中で原田先生が言った。 「あの後、倉沢先生と話をした。もう少し面をしっかり打つと八段だ・・・との様な話をしていた。」 今日の稽古は出来過ぎだった! 秘訣は・・・・位を決して落とさないことだ! 攻め合うが決して打って出ないことだ! 合気になった瞬間『捧身』で,先をとって体を進め 相手に問うことだ!【打つ前に死ぬ!】 答えは相手が出してくれる! 後は体に任せれば勝手に動いてくれる! 打ち合う前に勝負をつけることなのだ! 打ち合う前は「心の押し合い』でしかない。 竹刀さばきの能力に左右されない。 鞘の内で決まった勝負を、 竹刀と打ちという形で確認するだけなのだ。 鞘の内で勝負がつかない時は『相抜』になる。 打ち合わなければ剣道でもない。 肚と肚、人生観の波動の押し合いなのだ。
剣道はその目指す所はアイデンティーの確立です。 西村は高名な老師範と稽古をしても、決して位を落とさない強さが有ります。 それは西村が生きて来た人生に裏打ちされています。 範士九段の倉沢先生が稽古の後に西村言いました。 「お前は俺が攻めてもピクとも動かなかった!」 西村の肚は先生が強引に打ってくれば、これ幸いと裏を掻く心境です。 さすが先生思い止まられました。
行き着く所は『肚』『心』につきますね。
さて、原田先生にお願いする。 竹刀の事もあるので、握りの幅は狭くし、柄頭をかなり甘して持った。 感触は真剣を持っている手の内に近かった。 体は真っすぐに先生に正対し手の内もしっくりと落ち着いていた。 使い勝手のある竹刀ではないので、心境は無刀流の心境だ。 しっかりと腰は落ち着き対峙すると、先生の心が観得るのだ。 隣から野正範師がしっかりと見ていた(前回もそうだった)。 先生が足から先を懸けてくるが、西村の心が静かで動かない。 十分に合気になった時、先生が先を懸ける前に、西村が打たれに出た。 打たれに出ようと思った瞬間、先生の感性は胴に回ろうと反応された。 思いが形になる前にキャッチされた感がある。 ここで面を打てば先生得意の抜き胴なのだ。 しかし、打に出ようとした訳ではない、打たれに出て後は不動智に任す予定だ。 このとき不思議な体験をした。 自分を捨てて打たれに出る決断をした自分だ(こ瞬間は先生に読まれている)。 しかし、これに反応した先生に対して、冷静沈着なるもう一人西村の指令が出た。 これは頭ではなく、脳化された体の反射指令なのだ。 これが頭、右斜上1メートルぐらいの所に目があって、先生と西村の関係を見つめるもう一人の司令官なのだ。 先生の反応を見事に指令を受け、小手面とどちらもしっかりと決まった。 先生との長い長い稽古の中で初めての声を聞いた。 『参った!』 通りすぎた後、野正範師がうんうん!と頷いていた。 西村の中では『やっと恩返しが出来た!』との思いで感無量であった。 この様子を青木君といつも見学している剣道家がいる。 彼は西村にグーサインを出した。 彼は道場におりて来て言った。 「原田先生と西村先生との稽古は七年間、見続けて来ました。 今日の稽古が最高でした!」と興奮して言ってくれた。 この観戦状況を書く様に言ったが・・・イア?それはとても出来ません。
この境地は倉沢九段との稽古の時と全く同じ境地であった。 人生も今まさにこの様な境地で生きつつあるのだ。
林八段がこの稽古を見ていて「原田先生との稽古を見たよ!」と、褒めてくれた様な笑顔で言ってくれた。
車中、野正範師が褒めていたと原田先生が言っていた。 さらに、良いところに乗って打ったと褒めて下さった。
話を戻すと。 倉沢先生の無意識レベルは一瞬の戸惑いレベル、『スイッチング』状態に入る。 イメージで受け取った面を受ける手の動きが元に戻そうと手元を下げかける。 その瞬間、西村の『智』が見逃さず、反射的に先生の右拳を軽く押さえる。 先生の手元がさらに下がり、面が空く。 知らない内に面を打ってしまっていた。 これが3回、同じパターンで入った小手面である。 西村は通常は小手面の二段打はしない人である。 しかし、このときの『智』の反射的指令は『小手面であった』。 このように『手は勝手に動く』のだ。 問題は身を捨てて,打つ前に死ぬ覚悟が出来ていて、先生の刃の下に身を捧げる覚悟があるかどうかである。 いわゆる『捧身』である。
『手は勝手に動くわなあ!しかし,足はそうわいかない!』 西村が明確な意志で体を出したのだが???その後は『ケセラセラ?なる様になる、後の事など判らない、』 自分の内なる叡智を信じるしか無い。
西村が凄く強い様に書いてあるが、倉沢先生に自分から打って出ると,見事に捌かれ,手も足も出ない。 完璧に打ちのめされる。 しかし、非常に感性の高い先生だから、竹刀を動かす前に自分の智を信じて、勝負を終わらせてしまうこともできるのだ。
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