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- 倉澤範士九段との心の駆け引き - 西村雅興 [2015年12月18日(金)]
倉澤先生の本から学んで行く-1 - 西村雅興 [2015年12月19日(土)]
Re:倉澤先生の本から学んで行く-2 - 西村雅興 [2015年12月19日(土)]
Re[2]:倉澤先生の本から学んで行く-3 - 西村雅興 [2015年12月21日(月)]
Re[3]:倉澤先生の本から学んで行く-4 - 西村雅興 [2015年12月22日(火)]
Re[4]:倉澤先生の本から学んで行く-5 - 西村雅興 [2015年12月22日(火)]
Re[5]:倉澤先生の本から学んで行く-6 - 西村雅興 [2015年12月22日(火)]
西村、最高の剣道が出来た時期! - 西村雅興 [2016年12月16日(金)]



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倉澤範士九段との心の駆け引き
西村雅興
2015年12月18日(金)
剣道着を新調する為に尚武道へ行った。
そこで『剣道稽古日誌、生涯錬磨』倉澤輝彦  体育とスポーツ出版社 を買った。

それは倉澤先生の名前を見たからだ。
西村は一〜二度だけ稽古をつけてもらった事が有る。

これは2008年頃の西村の非常に冴えた剣道が出来ていた時期の書き込みで、
範士九段の倉澤先生、原田先生との稽古の様子です。
今は2015年の終わりです。
足を痛めてなかった63才の頃の書き込みです。

2008年11月10日(月)
全剣連合同稽古会11/10


仕事は3時半で終了予定、4時まで患者様を治療していると、受付が「院長、原田先生が東京へ来られる日ですよ、まだ大丈夫ですか?」と聞いてくる。
従業員は全剣連合同稽古会のことを良く知っていて、この稽古の翌日「院長、原田先生の来られる日はいつですか?」と聞いてくれて、アポイント帳にその旨記載され、午後は患者様は一人3時半終了にしてくれる。
妻も従業員も快く送り出してくれる、幸せな西村です。

原田先生に挨拶に行くと、顔色も艶もよくお元気そうで安心をした。
列に並ぶと、いつも一番手はKさんだ。
一人の人を注目して見続けると、その人の進歩が見える。
今日も良い稽古をしていた。
その後の八段あたりとの稽古を見ていても十分に肉迫した稽古をしていた。

今日の課題は打とうと思わないで、責め合い、自分から捨てて入り先生に問う。
決して自分から打とうとしないことを心がける。
そうすると、意外なことに今までにないよい稽古が出来た。
当たりは弱かったが刷り上げ面が入った。
こんなことは先生との稽古で初めてだ。
先生の小手の上がり鼻を押さえて小手面に入った。
打ち気を捨てると先生にもなんとかなるものだと思った。
最近に無い良い稽古が出来た。

普通はこれで終わるのだが、今日は範士九段の倉沢先生が真ん中に立たれていた。
九段ならば相手にとって不足は無い・・いつも厚かましい思いの西村です。
前に懸かっていった人たちは腕に覚えのあるかなりの人たちだった。
さすが九段!みごとに捌く!自分からも面を打つ。
大正12年生まれ(85歳)とはとても思えない。
見ていると、捌き方が実に上手い、やはり反射の世界で捌いているようだ。
一瞬に返す、刷り上げる、返す、小手を押さえる、相面に乗る。
相手の動きに体が反射的に動くだけに鋭い打が出る。
この辺りは周りの八段よりも冴えがある・・・さすが九段だ!
以前稽古で、見事な刷り上げ面、返し胴、で小手と見事に打たれた覚えがある。
しかし、先生を動かし、しこたま面を打ったこともある。
後の挨拶で、「いっぱい面を打ちおって。」と笑いながら褒めていただいたことがあった。
先生とは相性が良いのだ。
原田先生との稽古と同じで、倉沢先生にも、自分を捨て、捧身で自分から打間に攻め入り先生に問うた。
先生はてっきり面に来ると思い軽く手元が上がった。
しかし、相手が打たないので、上げかけた手元を下ろしかけた。
西村はその瞬間小手を押さえ、先生の竹刀が少し右に寄ったところを面にとった。
普段、西村は小手面の打ちはしないのだが、手が勝手に打ってしまったのだ。
合計4回しっかりとした小手面が入った。
途中別れ際に引き面を打った、後打ちの傾向があった。
先生から「しっかり間合いを取ってそれで打つように。あれは品がない!」
と注意を受けた。
先生が攻め入ろうとすると、それを押さえるとか,攻めに我慢をするとかしない。
むしろ、風を受け流す様に応じ、逆に面を打ちませんか、と軽く打たれに体を出す。
さすが九段!その手には乗らない!乗ってくれれば得意の返し胴なのだが。
稽古が終わった後「八段なのか?」と聞かれて「いえ。七段です。」と答えると「もう八段の腕がある。私の攻めに全く動じない良いものがあり、立派な小手面が打てるのだから、後はあのような面を打たないように。」と言われた。
稽古の後の挨拶でも同じような内容でかなり褒められた。
この稽古はいつも青木君と見学をしているもう一人の先生が見ていた。
(この書き込みを見たら、感想をお書きください。)
この稽古、青木君に見せたかった!!!!なあ!

原田先生を新宿に送っていく車中で原田先生が言った。
「あの後、倉沢先生と話をした。もう少し面をしっかり打つと八段だ・・・との様な話をしていた。」
今日の稽古は出来過ぎだった!
秘訣は・・・・位を決して落とさないことだ!
       攻め合うが決して打って出ないことだ!
       合気になった瞬間『捧身』で,先をとって体を進め
       相手に問うことだ!【打つ前に死ぬ!】
       答えは相手が出してくれる!  
       後は体に任せれば勝手に動いてくれる!
       打ち合う前に勝負をつけることなのだ!
       打ち合う前は「心の押し合い』でしかない。
       竹刀さばきの能力に左右されない。
       鞘の内で決まった勝負を、
       竹刀と打ちという形で確認するだけなのだ。
       鞘の内で勝負がつかない時は『相抜』になる。
       打ち合わなければ剣道でもない。
       肚と肚、人生観の波動の押し合いなのだ。

剣道はその目指す所はアイデンティーの確立です。
西村は高名な老師範と稽古をしても、決して位を落とさない強さが有ります。
それは西村が生きて来た人生に裏打ちされています。
範士九段の倉沢先生が稽古の後に西村言いました。
「お前は俺が攻めてもピクとも動かなかった!」
西村の肚は先生が強引に打ってくれば、これ幸いと裏を掻く心境です。
さすが先生思い止まられました。

行き着く所は『肚』『心』につきますね。

さて、原田先生にお願いする。
竹刀の事もあるので、握りの幅は狭くし、柄頭をかなり甘して持った。
感触は真剣を持っている手の内に近かった。
体は真っすぐに先生に正対し手の内もしっくりと落ち着いていた。
使い勝手のある竹刀ではないので、心境は無刀流の心境だ。
しっかりと腰は落ち着き対峙すると、先生の心が観得るのだ。
隣から野正範師がしっかりと見ていた(前回もそうだった)。
先生が足から先を懸けてくるが、西村の心が静かで動かない。
十分に合気になった時、先生が先を懸ける前に、西村が打たれに出た。
打たれに出ようと思った瞬間、先生の感性は胴に回ろうと反応された。
思いが形になる前にキャッチされた感がある。
ここで面を打てば先生得意の抜き胴なのだ。
しかし、打に出ようとした訳ではない、打たれに出て後は不動智に任す予定だ。
このとき不思議な体験をした。
自分を捨てて打たれに出る決断をした自分だ(こ瞬間は先生に読まれている)。
しかし、これに反応した先生に対して、冷静沈着なるもう一人西村の指令が出た。
これは頭ではなく、脳化された体の反射指令なのだ。
これが頭、右斜上1メートルぐらいの所に目があって、先生と西村の関係を見つめるもう一人の司令官なのだ。
先生の反応を見事に指令を受け、小手面とどちらもしっかりと決まった。
先生との長い長い稽古の中で初めての声を聞いた。
『参った!』
通りすぎた後、野正範師がうんうん!と頷いていた。
西村の中では『やっと恩返しが出来た!』との思いで感無量であった。
この様子を青木君といつも見学している剣道家がいる。
彼は西村にグーサインを出した。
彼は道場におりて来て言った。
「原田先生と西村先生との稽古は七年間、見続けて来ました。
今日の稽古が最高でした!」と興奮して言ってくれた。
この観戦状況を書く様に言ったが・・・イア?それはとても出来ません。

この境地は倉沢九段との稽古の時と全く同じ境地であった。
人生も今まさにこの様な境地で生きつつあるのだ。

林八段がこの稽古を見ていて「原田先生との稽古を見たよ!」と、褒めてくれた様な笑顔で言ってくれた。

車中、野正範師が褒めていたと原田先生が言っていた。
さらに、良いところに乗って打ったと褒めて下さった。

話を戻すと。
倉沢先生の無意識レベルは一瞬の戸惑いレベル、『スイッチング』状態に入る。
イメージで受け取った面を受ける手の動きが元に戻そうと手元を下げかける。
その瞬間、西村の『智』が見逃さず、反射的に先生の右拳を軽く押さえる。
先生の手元がさらに下がり、面が空く。
知らない内に面を打ってしまっていた。
これが3回、同じパターンで入った小手面である。
西村は通常は小手面の二段打はしない人である。
しかし、このときの『智』の反射的指令は『小手面であった』。
このように『手は勝手に動く』のだ。
問題は身を捨てて,打つ前に死ぬ覚悟が出来ていて、先生の刃の下に身を捧げる覚悟があるかどうかである。
いわゆる『捧身』である。

『手は勝手に動くわなあ!しかし,足はそうわいかない!』
西村が明確な意志で体を出したのだが???その後は『ケセラセラ?なる様になる、後の事など判らない、』
自分の内なる叡智を信じるしか無い。

西村が凄く強い様に書いてあるが、倉沢先生に自分から打って出ると,見事に捌かれ,手も足も出ない。
完璧に打ちのめされる。
しかし、非常に感性の高い先生だから、竹刀を動かす前に自分の智を信じて、勝負を終わらせてしまうこともできるのだ。
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倉澤先生の本から学んで行く-1
西村雅興
2015年12月19日(土)
前回は倉澤先生との稽古の縁を書いた。
それで、先生の本を買って一日で読んだ。
稽古をして頂いた先生をもっと知りたいと思たからだ。
それと九段にまでなられる先生の剣道感観を知りたかった。

先生が教士八段の時の稽古相手の先生からの指摘された事。
我々にも通じる所が有るので紹介する。

大野総一郎 範士八段
先生曰く「のびのびの面、小手〜面は素直でなかなか良い。
ただ打つのではなく、小手を攻め、敵をおびやかし後に面打へ。
このほうが相手に乗ぜられにくい。
ここが大切。」

倉澤先生が八段になっても、面を狙い面を打つだけではダメだと指摘されている。
我々はおって知るべし。

西村コメント
上を攻めて下を打つ、下を攻めて上を打つ。
小手を攻めて面を打つ。
面を打つと見せて小手を打つ。
面を打つと見せて引き出し胴に捌く。
これは攻めの常道なのだが、ほとんどの人とは打ちたい所に意識が強く働き、技前が無いままに打っている。
剣道は打てる様にして、相手が打たれに来る所を打ってあげる。
貴方の弱点はここですよと指摘する様に打ってあげる。
これを教育的打突という。

中野八十二範士八段
先生に金縛りに合う。
どうしても面に伸びられず。
剣先を殺されていた、気、技ともに。
まさに三殺法そのままであった。
※相手の起こりが不明でどうにもならない・・・ここが工夫のしどころ。
西村コメント
これは工夫の仕様が無いのが実情だ。
相手は打気が無いから色が出ない。
スッと入って来られて、自分が反応した所を捕まるパターンだ。
相手に自分が反応し、相手に打つチャンスを与えたのだから・・・どうにもならない。
こう言う時、『そう来るか!』ただ素直に受け入れることだ・・・これが難しい。
相手がこの無反応に困って何かをする色が見えたら、その時は反射的に対応する。
この無反応で対応出来たら、今度は相手が困る。
相手が困らずにその場で入り身を止めればお見合いだ。
これが長く続くと『相抜』の境地になる。針ケ谷積雲の世界だ。
かってある先生と30分間一度も打ち合う事無く対峙したことがある。
お互いに相手が良く見え、仕掛けると結果が見えているんで打てない。
打って出ると負けである事が判っている、いくら誘っても打って来ない。
剣道は古来より打って出た方が負けと云われている。


次回稽古のメモ
色なくスッと間合いに入る。
そして面へつなげる攻めを裏表から。
足の運びもスムーズに出来る様に。

西村コメント
色なくスッと間合いに入る。・・・ここが難しい!
思いは、考えは、例え無意識であろうと必ず色が出る。
色を消すと云う事は考えない事なのだ。
打気を捨て、無心になって身を捧げ(捧身)手、相手に問う。
打たれることを全く恐れない心境だ。
西村の強さはこれが出来る事にある。
西村は剣道での修行で身に付いたのではなく、人生とスピリチュアの世界の旅で身に付いた。
大先生も西村のここに嵌まると、参ったと言われる。
打ち合わなければ剣道でもない。
勝負はその前に終わっている。
通常の剣道では手も足も出ない大先生に、互角以上に対応出来る。
しかし、これを会得するには並大抵の事ではない。
大病、事故をし、死んだと思ったところから生き返ればこの境地を手に入れるのは案外簡単だ。
一度死んだのだから、二度目の死は怖くない!
死ぬ事も怖くなければ、打たれに入るのに何の躊躇もないのだ。
立派な剣道具を付けている自分に、相手は竹で叩きに来るだけなのに。
何の恐れを抱く必要があるのか。
この心境になれば良い・・・現実には難しい!
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Re:倉澤先生の本から学んで行く-2
西村雅興
2015年12月19日(土)
小澤丘先生 範士九段
先生の足さばきは精密機械の如し。
面や小手打ち、時折みせる諸手突きの正確さ、味わいのある剣さばき。
わが遠間よりの面、小手面も、前へ出て応じ返す。
体当たりも、だいいち体を当てさせないさばきは見事と強く映じた。
打ち込み、切り返しで終わる。

西村コメント
西村が大学を卒業した年、埼玉県で五段になった。
北浦和の有信館道場でしっかりと稽古をし五段を取ったのだ。
その年の大晦日、武道館での年越し稽古に参加した。

他の相手には何程の者と大きな顔をして稽古をしていた。
たまたま小澤丘先生と稽古が出来た。
小柄な女性かと思うほどの剣士だった。
当時の剣道連盟の会長だったと思う。
いくら打っても目の前にいない。
スッと体を捌いて面、あるいは小手。
体当たりと思って思い切り打つが打った先にはいない。
全く得体が知れない相手、空気を相手として勝手に打っている様だった。
稽古が終わった後、「チョッとおいで、仕事は何しているの?」と聞かれた。
「歯医者です。」と言うと、「歯医者にしてはいい腕をしている!」と褒めて頂いた。
倉澤先生が稽古をされた様子、西村も味わった。
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Re[2]:倉澤先生の本から学んで行く-3
西村雅興
2015年12月21日(月)
玉利先生  以下三点指摘に感謝
1-剣先をすーっと上から押さえる事を今後の研究課題とせよ。
2-背が前屈みになっている。
 左こぶしを利かせると直る。

3-剣先を乗せるときも左こぶしを利かせる。

西村コメント
倉澤先生程になっても、範士から見れば左こぶしの運用が甘いと指摘されている。
我々はおして知るべし。
掲示板12月18日  中筋を利かす(効かす)参照
中筋の効用を書いたものは見当たらない。
中筋を伸ばすと、体の力がロス無く竹刀に伝わる。
丹田から発した気は竹刀の延長線上に相手に突き刺さる。
中筋が甘いと気が相手に届かない。
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Re[3]:倉澤先生の本から学んで行く-4
西村雅興
2015年12月22日(火)
松本敏雄 範士八段

われ決まったかと思いきや、先生左にかわし小手を押さえる。
また胴の返しの鮮やかな打ち。
真っ直ぐな腕、スッとした一気の面打ちは、敏速な足さばき一致し、見事である。
腰の入った立派な姿とともに印象深かった。

先生からの矯正点・・・指摘されたこと
面打には左腰をもっと入れること。
左手親指の内側への絞り不足。
右肘が横に張る。
右親指の絞りを工夫せよ。
中段の構えの左右の足の位置の悪しきを正せ。

このレベルになっても範士からは基本的なことを指摘される。
我々も同じ癖をもって剣道をしている。

反省
範士の面打ちは、微塵も無理がなく、サーッとして真っ直ぐに腰の入って。崩れがない。
多いに感知するところあり。

西村コメント
右肘が横に張る・・・打気がつよいと、三角筋・上腕二頭筋を使って竹刀を引き上げようとする。この予備動作が右肘の横張りとなる。
この二つの筋肉は意思に敏感に反応するためどうしても、これに頼りがちである。
倉澤先生も相手が範士だったので右手に力が入ったと思われる。
ともかく打気の強さは、肘の横張りに現れる。
心が形に現れる典型である。
竹刀は上にて振りかぶり、押し出しにより切り出す。
最後に左脇を絞り、左拳を鳩尾に引き込む。
この瞬間、親指は真下の方向へ突き刺す様に絞る。
この瞬間、右手は押し絞り、左手は引き絞り・・・・茶巾絞りになる。
この絞りは雑巾を絞る様な回転ではなく、手首が入って来る様な軽い絞りである。
要は、親指が握るのではなく、十分に一気に伸ばすことである。
これが手の内である。

西村はこれを書きながら、潜在意識にこれを擦り込んでいる。
書くことが稽古である。
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Re[4]:倉澤先生の本から学んで行く-5
西村雅興
2015年12月22日(火)
滝澤光三 範士八段

滝澤先生曰く「面打の後、汝が足の運びは横へ逃げている。
真っ直ぐに打つべし。
体、足のさばきも真っ直ぐだ。」

先生前談
我ながら上手く打てた
・・・・でも積もりだった様だ。(と西村思う)
今日は倉澤先生は当てに行った様だ。
竹刀は面を捉えても、体は逃げながら打った様だ。

西村コメント
原田先生との稽古で面が入ったと思ったが、もう一丁! もう一丁と言われる。ハッと我に帰る。
先生の引き立て稽古に西村は勝ちに走り、面を当てに行っていた。
なるほど当たったがそれだけのことにしか過ぎない。
恥ずかしくて顔が赤くなるのが判る。
先生の引き立てに応えんと思い、全身全霊で面を打つ。
胴に捌かれるも、先生は機嫌の良い大きな声で「良し!」と云われ、蹲踞で終わる。
先生の引き立てに応えれた面打だったのだ。
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Re[5]:倉澤先生の本から学んで行く-6
西村雅興
2015年12月22日(火)
西村的総括
範士九段になろうとする人は剣道の道をだだひたすら求める人生をされている。
気になったのは形而下の話が多く見られた。
稽古を頂いて人柄は素晴らしくにこやかな大好きな先生だ。
しかし、西村の興味のある形而上の話がほとんどなかったのは残念だった。
試合等に実績を上げた剣術家的剣道家だと思う。

西村は剣道以外に多くの事をしてきた。
心の修行、心の旅、インナートリップ、気の世界、気功の世界、意識波動の世界、念力、ダンス、
スポーツチャンバラ、抜刀術、居合道、柔道、催眠術、鍼灸、カイロ、整体術、
身体心理療法、呼吸法、オーリングの世界、
歯科医道、心霊治療、超能力占い、気流法、咬合と全身との対話、大型歯科医院営、三度ばかり死を意識した、・・・・・・。
数え上げればきりがない。
それぞれの世界に達人、超能力者が存在する。
最初は信じられなかったが、いつしかそれらが常識になった。
これらの多くの人に接すると自分にも摩訶不思議な力がついて来る。
他人から見れば超能力、自分的にはほぼ合理的に説明が出来る。
素質のある人には指導も出来る
科学的に説明が難しいだけで確かに存在する。
しかし、大半の人は体験がないから信じられない世界だ。

六段、七段、八段になれば、先ずは『気の世界の体験」をされたらどうだろう。
今や動画で見ることが出来る時代だ。
門を叩いて体験されたらどうだろうか。
目から鱗が落ちれば、頭の中が無意識レベルで変化が起こる。
無意識が変われば、自分の剣道に変化が起きるかもしれない。
西村の剣道が『妖剣』と言われる所以がここにある。
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西村、最高の剣道が出来た時期!
西村雅興
2016年12月16日(金)
たまたま12月16日に掲示版に落書きが有ったので過去の書き込みを観る機会があった。

2008年11月10日(月)の開き込みが再掲載されている。
これを読むと、その日の稽古が鮮明に浮かび上がって来る。
西村が剣道に開眼した日なのだ。
原田先生から「参った!」の言葉を頂いた日だ。
先生にやっと恩返しが出来たと感激した日だった。
先生に教わる事40年以上、初めて面が入った日だ。
目標が消えた放心状態で暫くは剣道をする気がしなかった事を覚えている。

以後、高名な範士八段と稽古をしても、それなりの稽古が出来るようになった。
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Tree BBS by The Room